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軍曹殿  作者: 鵜狩三善
1/7

1.

 時間通りに車椅子を押して(やしき)を出る。

 雲ひとつ無い快晴だった。

 軍曹殿の願いであり私の任である以上、如何な障害が生じようとも毎日の哨戒(しょうかい)を欠かす事はない。しかしどうせ外出するならば、悪天よりも好天の下へこそと思うのは人の(さが)だろう。空の青にはきっと、人を元気付ける成分が含まれている。


「いい陽気ですよ、軍曹殿」


 初夏の薫風が私の髪を(くしけず)る。日差しに目を細め呟くが、無論(いら)えは返らない。車椅子の軍曹殿は、ただ静かに笑むようにするばかりだ。

 笑む、と言っても、東洋人の表情は読み難い。笑顔のように見えるけれど、彼が本当に笑っているかは定かではない。

 判然としないのはその表情ばかりではなかった。軍曹殿は不思議な面立ちをしている。角度によってまだ十代の少年のようにも、不惑を越えた丈夫であるようにも見える。

 日本に伝わる能面は、角度と所作によってあらゆる感情を表現しうるものだと聞く。軍曹殿の面立ちの特質は、その面に近しいものであるのやもしれなかった。


 けれど軍曹殿の(よわい)知れずには、そのアルカイックスマイル以上の直接的な理由がある。

 彼と私──いや、彼と世界の間には時差がある。彼の上に流れる時間は1秒あたり、およそ8000から9000倍に引き伸ばされて遅い。

 またその圧倒的な速度差が生む弊害を可能な限り抑えるべく、平時軍曹殿の知覚は9割方が凍結させられている。つまり車椅子の上の軍曹殿は、俗世間を感知しないし関知しない。

 そういう難しい身柄を取り扱うからこそ、世話役として魔術技官たる私が派遣されているのだ。

 ただここでひとつ、誤解のないように言明しておきたい。

 軍曹殿が受けているのは罰でも、虜囚としての辱めでもない。これは延命措置であり、そして救命措置である。

 



 こうして銃後の好日にあれば(にわ)かに信じがたい事ではあるが、世界は戦火の只中にある。

 知性があり、そして明確な敵意を持つ。しかし政治工作も駆け引きも通用しない。そんな最悪の相手との戦争に、腰までどっぷりと(はま)り込んでいる。

 ただひとつだけ朗報を告げるなら、それは人対人の争いではないという事だ。

 人類の敵とは、即ち蜘蛛である。

 無論そのものではない。あくまで蜘蛛とは、見た目が似通うが故の通称だ。

 地球上の蜘蛛は平均体高2メートル、全長4メートルの体躯を持たない。体表に鱗も無ければ、個体ごとに色も位置も形も画一でないたてがみを備えてもいない。ガラスを引っかくような、耳障りな雄叫びを上げたりもしない。

 だが彼らはそれらの特徴全てを備える。

 その上で八足のうち六足までは地を、或いは壁や天井を走る為に用い、残りの二足は腕として武器を扱う。

 武器といっても、彼らのそれは稚拙なものだ。銃器火薬は存在しないようで、主に見受けられるのは弓矢投げ槍レベルのものまで。また接近戦用の得物は持たない。その距離においては彼らの偽腕とそして顎とが、何よりも有効な武器となるからだろう。


 だがそんな貧弱な装備の蜘蛛どもに、開戦初期、人類は容易く蹂躙(じゅうりん)された。

 彼らは人とは別系統の技術で武装していたのだ。

 蜘蛛の体は物理法則的にありえない堅固さを備えていた。彼らの鱗は拳銃弾どころかライフル弾、ミサイルの衝撃と爆炎すらも無効化してのけた。

 そしてそのひと鳴きで人間は或いは火達磨に変わり、或いは氷結して砕け散る。

 ある部隊は傷ひとつ無いまま全滅した。全員の頭蓋の中身だけが、血の一滴も零さずに抜き取られていた。奇襲を受けた別の部隊の駐屯地には、隊員数と同じだけの数の皮袋が転がっていた。皮膚の数ミリだけを残して、その他は全てなくなっていた。

 また彼らの得物で傷を受けた者は、それがどれほどわずかな手であっても、或いは高熱によって黒ずみ、或いは石に変わり、或いは黒い粘液と変じて死んだ。

 更に一部の蜘蛛は物理界面下に潜行、構造的な障害の一切を無視した浸透作戦を行うとまで知れた。

 これらの事実が詳らかとなり、とうとう頭の硬い各国上層部も認めざるを得なくなった。彼らは魔術、呪術としか呼称しようのない、独自の戦争技術を備えているのだと。

 攻性呪詛、体殻結界と呼称されるようになるそれらこそ、蜘蛛が繰る術式であり、彼らの最大の武器であったのだ。


 文明の利器と既存戦術の一切が通用しない存在に、人類は手もなく屈するかに思われた。

 だが、そうはならなかった。

 種としての存亡の危機に際し、今まで隠れていたものが表舞台に立ち現れたのだ。

 それは様々な宗教宗派が蒐集(しゅうしゅう)し、秘匿し続けた秘蹟であり、秘奥であり、神秘であった。

 また連綿と受け継がれた血と伝承でもあった。魔術、祖霊法、陰陽道、錬金術、神秘文字。魔女、鬼、妖精、憑き物筋、人狼、吸血種、屍鬼。多種多様なる術技に加えて、夜闇と黄昏の薄暗がりで息を潜め続けて来た魑魅魍魎、百鬼夜行の類が、ここぞとばかりに姿を見せ、一臂(いっぴ)の力をと名乗り上げたのだ。


 当初、彼らへの疑いの目は濃かった。

 その素性、能力は真偽の断を下しにくいものであるが故に、胡乱な状況でひと稼ぎを目論む(かた)り、詐欺師の類であると見倣(みな)された。

 だがそれらと彼らは戦線に赴き、そして目覚しい戦果を挙げた。

 祝福儀礼を施された刀槍は、釈尊十数人分の仏舎利を混入して鋳造された弾丸は、破魔弓の弓鳴りと剣鈴の響きは、蜘蛛どもの体殻結界を貫き打ち破り殺傷した。また悪魔払い、(けが)れ払いの儀は負傷者たちが受けた死呪の悉くを清め、解き払った。

 魔女たちの使い魔と憑き物使いが繰るモノが飛び回って戦局を告げ、怪力の鬼と俊敏な人狼とが隊伍を組んで進軍し、後方では妖精たちが敵方の幸運を奪い味方の不運を拭い去り、吸血種たちは感染への細心の注意を払いつつ、近代医学の手の及ばぬ者を癒した。

 その様はたちまちに世界中を駆け巡り、そして気運が変わった。

 それらと彼らを受け入れぬ国から順に蜘蛛に食い潰されるという実情もまた、この流れの後押しをした。


 そして、夜は昼に受け入れられた。

 国連──蜘蛛の侵攻阻止、人類防衛を主眼として組織された国際連邦──は「最早魔法ではない」をスローガンとして(うた)い、そしてそれは合言葉となった。

 未知の法則が既知となった。隠匿され続けてきた魔術は白日の下に晒され、普遍的な知識となり、技術体系として確立され、研磨された。

 科学と魔術は手を取り合って一躍の進歩を見せ、人は蜘蛛に対抗する術を得た。

 しかし残念ながら、得られたのはあくまで対抗手段に過ぎなかった。

 蜘蛛たちがどこからやって来るのか。何を目的としているのか。それらは未だ解けぬままの謎だ。以降数十年、殆ど進展のないままこの戦いは続いている。

 殴られたから殴り返す。ただそれだけの、泥沼のような戦争が、今もなお続いている。

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