第1巻 第5章 ― 雪山の魔獣からの脱出
朝が来た。冷たい風はまだ唸りを上げ、雪はまだ降っていなかったが、今にも空から落ちてきそうな気配があった。レイハンは仲間たちを見回し、短く告げた。
「進もう。」
彼らは山を登り始め、すでに一キロ近く進んでいた。デイビッドの後ろを歩くエロットは、いやらしい笑みを浮かべながら彼を見つめていた。デイビッドの衣服を見れば、力ずくでも奪いたいという欲望がありありと分かった。
だが、レイハンが許さないことも知っていた。考えを振り払うように、彼は水筒を取り出し、がぶ飲みする。ウィリアムは眉をひそめた。
「水を無駄にするな。」
エロットは苛立ちを隠さず睨み返した。
「黙れ、ジジイ。」
ウィリアムはそれ以上何も言わなかった。
やがて彼らは細い道に差しかかった。二人並んで歩くこともできないほど狭く、足を滑らせれば谷底へ真っ逆さま。
列は一列になった。先頭はレイハン、その後ろにウィリアム、三番目がエロット、最後尾はデイビッド。
デイビッドは前に立つことを好まなかった。影からの襲撃に備え、常に誰かを背後に置きたかったからだ。
登れば登るほど、エロットの体調は悪化していった。ついに小さな休憩場所を見つけたとき、彼はその場に倒れ込み、水筒を取り出して必死に喉を潤した。
ウィリアムも苦しんでいた。足取りは重く、一歩ごとに力が削がれていく。
デイビッドも限界に近かったが、意志の力で前へ進み続けた。
そんな彼らを見て、レイハンは口を開いた。
「先を偵察した。近くに洞窟がある。今夜はそこで休むぞ。隊商からはかなり離れている。安全だ。それに、すぐに吹雪が来る。」
ウィリアムはうなずいた。
「その通りだ。凍え死ぬよりはマシだ。」
彼らは洞窟に入ったが、火は灯さなかった。一筋の炎さえも、雪山の魔獣を呼び寄せかねない。
エロットとウィリアムは横になった途端、眠りに落ちた。レイハンはデイビッドに言った。
「休め。見張りは俺がする。」
デイビッドはうなずき、眠りについた。二時間後、レイハンが彼を揺り起こす。
「起きろ。次はお前の番だ。」
デイビッドは目を開け、外へ出た。隊商の方角に視線を向け、彼は技を発動した。
その瞬間、雪山の魔獣が崖の影から姿を現し、倒れた死体を貪り始めた。
刺すような寒さにデイビッドの体が震える。思わず後ずさりすると、石が転げ落ちる音が響いた。魔獣はその音に反応し、顔を向けた。
心臓が凍りつく。だが、間一髪で身を隠すことができた。魔獣は気づかず、死肉をむさぼり続ける。
安堵の息を吐き、デイビッドは夜明けまで洞窟の入口で待った。
翌朝。エロットは立ち上がることもできなかった。デイビッドは彼を見て言った。
「頭痛、倦怠感、息切れ……高山病だ。登れば登るほど悪化するぞ。」
エロットは顔を歪めて怒鳴った。
「黙れクソ野郎!医者のつもりか?どうせお前が最初に死ぬんだ!」
デイビッドは目を逸らし、低く呟いた。
「見てろよ。」
彼らは再び歩き始めた。だが、エロットの容態は急速に悪化し、やがて意識を失って崖下へ転落した。
轟音と共に彼の体は岩に叩きつけられ、骨は砕け、頭蓋は無惨に潰れた。
誰も口を開かなかった。ただ一つの思い――すでに一人死んだ。
沈黙を破ったのはデイビッドだった。
「昨夜、魔獣を見た。崖から出てきた。」
仲間たちは驚愕する。
レイハンが鋭く振り返った。
「本当か?」
「ああ。」
ウィリアムが緊張した声で言った。
「気づいたんだが……あの魔獣には目がない。音で獲物を狩るんだ。つまり嗅覚も異常に鋭いはずだ。匂いの元になるものはすべて捨てるべきだ。」
そして彼はデイビッドを指さした。
デイビッドの思考は真っ白になった。
――クソッ。やはりこいつか。エロットはどうでもよかったが、お前は……やがて必ず問題になると分かっていた。
レイハンが問う。
「なぜ彼を捨てる必要がある?まだ歩けるじゃないか。苦しんでいるのはお前の方だろう。」
ウィリアムは薄く笑った。
「言っただろう?魔獣は匂いを追う。奴の服は血に染まっている。歩く標的そのものだ。」
レイハンは沈黙した。汗がデイビッドの背を伝う。
突如、レイハンはウィリアムを引きずり、デイビッドから離れた場所で半殺しにした。戻ってきた彼に、デイビッドは低く問いかける。
「どうして……?」
レイハンの瞳は影に覆われていた。
「知らない方がいい。」
それ以上追及せず、彼らは再び洞窟で夜を迎えた。
闇の中、レイハンが囁く。
「起きてるだろう?」
デイビッドの声は冷たかった。
「眠れるわけないだろう。寝込みを殺されるかもしれないのに。」
レイハンはわずかに笑みを浮かべた。
「許せ……彼女のためなんだ。彼女のためじゃなければ、俺はお前を守るために全てを捧げただろう。」
デイビッドは嘲った。
「言い訳は吐き気がするな。俺は中級戦士だ。それなのに……お前の気配をまったく感じられない。お前は“純粋な闇”だ。」
「楽に殺すつもりだった……だが無理のようだな。」
デイビッドは薄く笑った。
「死ぬのはどっちだ?」
次の瞬間、レイハンの口から血が溢れた。
「な……何だこれは……!?」
「“捨てられし者の血”だ。水筒に入れて飲めば――こうなる。」
レイハンの顔は怒りに歪む。
「貴様ァ!」
彼はデイビッドに襲いかかり、洞窟の奥まで吹き飛ばした。
「このクソ野郎ォォ!! 生きたまま切り刻んでやる!!」
レイハンの咆哮が山に響き渡った。
だが、その背後に魔獣が現れた。巨大な腕で彼を捕らえ、生きたまま貪り始めたのだ。
絶叫が山々にこだまし、終わることなく続いた。
デイビッドは走り出し、振り返ってその惨劇を見つめた。




