ep-3
部屋の中の物は、そうと気が付かない内に増えていた。
しかしそれでも、鞄や籠に詰めて荷造りをしていく分にはまだまだ労しない程度の量で、床に膝を突いて整理をするアンリエッタはありがたいような物足りないような、そんなちょっと捉えがたい気持ちになる。
(それにしても、こんな短い間に)
同じ建物内とはいえ隣室から移動してきた分も含めると、ほんの四ヶ月足らずで三度も家移りをしている計算だ。レームとルウィヒがこの場にいれば、さぞ落ち着かない雰囲気になっただろうと感じる。以前、二人を保護して招いた時だって、今の家族向けの部屋へと移るために騒がしく埃を立てて作業をしていた。
アンリエッタは、置いていかれてしまった二人の一張羅を丁寧に畳むと、籠にしまって蓋をする。四つの籠と一つのトランクに、一室の物品はすっかりと収まっていた。
「おやおや、引越しの準備かい?」
後ろから声をかけられて振り向けば、見知った人物の来訪を知る。
オッテンバールはこちらの発言を制するように、胸の前に両手を掲げてみせる。
「おっと、今日は錠前破りはしてないぜ。なんたって扉が開いていたからね」
だとしても、普通は入室前に声をかけるものである。
「それで黙って入って来てるんじゃ、忍び込むのと変わらないじゃないですか」
「いつもは閉ざされた扉だ。きっと、歓迎してくれるものと思ってね。違うのかい?」
いけしゃあしゃあと訊ねてきた彼に、アンリエッタはため息をつく。引っ越しという言葉が出たのだ、掃除の一環で扉と窓を開け放していたことくらい、とっくに察しているはずである。
「今回限りですよ、好き勝手に出入りするのは。次はきっと私が怒られるんですから」
「ふむ。まあ、今後それ程必要もなくなるし、構わないかな」
およそ警告を受けた者の態度ではなく、アンリエッタはまたため息をつく。
「それで何か、御用でしたか?」
「もうそろそろだったかと思って、様子を見にね。今はあっちに移り住んでいるんだったか忘れちまったから、近い方から訪ねてみた」
「外れて当たりましたね」
そう言ってやると、オッテンバールはなんとも言えなさそうに視線を上向け、肩を竦める。
「それにしても、あなたもフランツさんと面識があったとは知りませんでした」
気付けばしばらく姿を見なかったのだが、いつの間にやら協力関係を結んでいたという。聞いた時はどんなきっかけかと驚いたが、野心と独善に満ちたその動向は、すとんと納得がいく程彼らしいものだった。
「おチビに教えてもらってね」
「……あの子が、自分から?」
周囲に自分たちのことはなるべく話さないよう、兄妹たちには注意をしてあった。ルウィヒには、彼女自身の連想によって思考を漏らしてしまうようなこともあったから幾らかは仕方がないのだが、といって、積極的に何もかもを話したとも思えない。
「色々としてやったからね。見返り代わりさ」
「……」
何でもないみたいに青年は答えたが、そこにあったであろうやり取りについて考えて、アンリエッタは眉をひそめる。
仮に少女が、話すべきでないことを餌にして持ちかけたというのであれば、良い。良くはないところもあるが、少なくともそれはルウィヒの判断でしたことだ。
だが恩情を引き合いに出して、貸借りだとか対価だとか、そういう言葉で誘導して閉ざしているつもりでいた口を開かせたのであれば、話は別だ。抱えなくてもいい責任をちらつかせて正当化させ、背負わなくても良かった小さな裏切りを背負わせる。もしもオッテンバールが、与えた親切を取り立てるようにルウィヒにそれを迫ったというのなら。彼が、今後も兄妹と関わるつもりであるというのなら――
「そういうやり方も、これからはやめて頂けますか」
「さて……」
「オッテンバールさん」
肩を竦めて言葉を返そうとしたであろう彼の声を制して、アンリエッタは言う。
「それを言う筋合いは、今はちゃんとあるつもりですよ」
はっきりと伝える。
目前の瞳はいつも通り、遊戯の駒でも操るみたく軽薄な様相で、こちらのことを見下ろしている。それをじっと、どこにも目を逸らさずにアンリエッタは見つめ返した。
短いような長いような時間が経って、くくっと、オッテンバールはおかしそうに声を漏らす。
「良いよ。善処しようじゃないか」
「善処」
「気に入らない?」
「おそらく、相当、その人の誠実さに懸かってくる態度ではないか、と」
「ひどい皮肉を言うじゃないか」
オッテンバールはしかし、苦情とは裏腹に笑ってみせる。
「まあ、そこは僕という人間を信じてもらうしかないな」
一番難しそうな提案であった。
「……念書か覚書でも作りましょうかね」
「なるほど良い提案だ。あらゆる権利にはルールが付き物だからね」
「……」
軽はずみに口にしてみたものの、書面で締結すれば当然のこと、向こうの行為を制限するのと同時に保障することにもなる。それはそれで厄介なことをもたらしそうに思って、ため息をつくアンリエッタである。
そんなこちらの心持ちなどには一切関心を向けていないだろう青年が、なんとも言えなさげに腕を組む。




