ep-2「一室、暗躍した二人」②
「ですが、私にはさっぱりわかりません」
窓辺のフォンが、言葉の通り腑に落ちない様子を見せる。
「有効性の評価はさておき、魔法のことを捨て置けばあの二人にこだわる理由はないはずです。それもこんな、中途半端な形で」
市への駐留を続けて国境付近を含めた一帯の監視を続けつつ、兄妹たち周辺の様子も窺う。ハーヴェルがマティルド市内に工作拠点を準備していることが判明した以上、腰を落ち着けて調査を続けることは妥当ではあるが、殆ど物のついでのような格好でくっつけられた子守りの用事は、到底成果を見据えたものとは思えない。
「さて、な。わからんというのは大いにわかるが」
フォンに共感を示しつつ、言う。
「俺たちの知らんことを知って俺たちよりも遠くを見てるんだ。一手一手の意味がわからなくなるのも無理はない。末端が、半端な当て推量で気を回すもんじゃあないさ。下手をすれば助けどころか、邪魔立てする羽目にもなっちまう。そうだろ?」
無軌道にしか見えていないものを無闇に詮索すれば、ドツボにはまる。だから手も足も出ないことを一旦は認めて、新たな気付きと情報が訪れるまでは、疑問を保留にしておく他はない。それが所詮は現場構成員でしかない自分たちの、取るべき態度というものだ。
「確かに、そうですね」
けれどもフォンは、上司の意向を掴めないのに納得がいかないのか、言葉とは裏腹に投げやりな調子を見せる。
「気持ちを読み違えて見当外れなお節介を働いた誰かのようになるのは、御免ですからね」
「おい」
「全く――私に言えたことではないでしょうに。今度のことは、命令違反と見なされても文句は言えませんでした。それもあなたの私的な感情で……巻き込まれる身にもなって下さい」
「……悪かったよ」
皮肉を皮切りにして投げられた批判を、フランツは素直に受け止める。
フォンの視線は俯いて、飲み干したらしいカフェ・オ・レに注がれている。
「上官の謝罪というのは、そう軽いものではないと思いますが」
「……」
空のカップを部屋の中央の卓に置いて、フォンは戸口の方へと歩いていく。
「どこ行くんだ」
「二週間も空けていたんです。縄張りの巡回は必要でしょう? どうも、ご馳走様でした」
感情の窺えない声音には、むしろどこか棘があった。玄関から静かに扉の音がして、そこから音もなくフォンは去っていく。
むしゃくしゃした気持ちが沸き起こってきたフランツは、じっと横になっていられずに身を起こした。しかし特段の目的もなかったものだから、ただ何をするでもなく立ち尽くしてしまう。食卓と事務机、一つのチェストと二つのベッド。備え付けの家具の他には携行する荷物をひと所に寄せているだけの、殺風景な室内を眺める。
……そういうふうに動き出してしまう人間に、覚えがあった。
それでなくとも彼女の人となりは、短い付き合いながらも把握している。上からの指示の通り、引き続き兄妹の保護を求めれば、自身のことなど大して慮らないで引き受けてしまうと思った。だからそんな彼女の危うさを、兄妹二人に説いた。憐れみや責任感を先立たたせて身を切り続けていくことは、少しずつ彼女の首を絞めつけていくと。他にやりようがないのではなく、差し迫った状況がそうさせたのでもなく、彼女自身が求めて受け入れるのでなければ、きっとどこかで無理が生じてしまうと。
その見解は、今も変わらない。
しかし。
――あの子たちはっ。
それは、フランツに遅れてやって来た開発局の別働隊を、「見事早まって兄妹の確保をしくじった」とけなし追い返した、後のことだった。
フォンに気絶させられたのから気が付いた時、彼女は乾いて整わないだろう喉でまずそう言った。この世がひっくり返る手前みたいな形相で視線を注ぐ。一瞬フランツが言葉を失くした間に、彼女ははっとした様子で息を吸って、取り乱しかけたのから立ち直る。
起き抜けに縋り付いたフランツの服を、ぎゅっと握り込んだ。
――あの子たちに……危険が?
慎重な声でそう訊ねる。状況と感情の混乱を全部引っ込ませて、冷静な眼差しをこちらへ注いだ。
掴む指だけが震えている。
力の加減がおかしくなっているのか。
不安定な気持ちを御し切れないのか。
いずれにせよ彼女はそこだけ弱さを晒して、意地らしく言葉を待っていた。
然るべき処置を取ることになったと、告げる。
こうなったのは他の目を欺くためで、危険になることはないはずだと、告げる。
多少制限はあるが、今後も二人一緒に、不自由なく育ててもらえるはずだと、告げる。
それらの話を、呆然と開いた眦で聞き届けた彼女を見る。薄く唇を開け、固まったまま表情を変えないでいる様を怪訝に思ってフランツが声を掛ければ、彼女は失くした言葉を探すみたいにきょろきょろと視線を配った。
――そう、……。そう、なんですね。よかった。……、よかったです。
上の空で口にする。
すっかりと、へたれて。
晒した脱力は、少なくとも安堵によるものではなさそうだった。さっき動揺で取り乱しかけた頭を即座に切り替えた、彼女が。終わったことを理解し切れないで足を動かす虫みたいに、ゆっくり彷徨わせた視線で空を切っている。
おいおい。と、フランツは思う。
おいおい、俺はまさか、とんだ思い違いをしたんじゃないのか。
憤りにも似た意固地さで理不尽に向き合い、誰かの助けになるなら簡単に身を投げ打つ、彼女が。
そんな彼女が、気持ちを執着にも配慮にも傾けられずに呆けている。傍から離れていく落胆も、二人に安寧が訪れるのだという嬉しさも、たぶんどちらも投げやりに扱えないで、だから発露できないまま身の内に封じている。そんな、不器用な仕方で佇む彼女の様を、フランツは想像さえしていなかった。
「――全く、参るよな」
間借りするアパルトマンの一室。
一人、卓の椅子に座り込んだフランツは、耽った回想を打ち切って嘆いた。
「的外れで、空回り。テメエはアイツの何を知ってんだって話だ」
空しく後悔を呟く。
卓上、俯いた先のカップを見つめる。
薄く底に残ったカフェ・オ・レは乾きゆき、痕になって残る。
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