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公書士アンリエッタ 〜いつかペンと制度の力で〜  作者: ke
第4話「波乱と平穏と」
20/45

4ー4

 と目を見開いたのは、何もこの時のアンリエッタばかりではない。

「――さ、どーぞ召し上がれ」

「おぉー!」

「ふぉー!」

 定時を迎え、自宅にて。

 レームとルウィヒがアンリエッタよろしく目を瞠って感嘆の声を漏らしたのは、夕餉の食卓を鮮やかに彩る御馳走を目にした時だった。

 ムニエルにし、アスパラときのこを添えたさくらますのピンク。買ってきて温め直した揚げ芋はきつね色の身に湯気を立て、卓の中央に置いたグラタンのチーズは、その黄色い表面に幾らか焦げ目を付けている。謝礼代わりに招待をされた身なのにそれらの全部を拵えたアニーから「召し上がれ」と言われると、食い入るように皿を見つめていた兄妹はためらいなく料理へ飛び掛かった。

「あっはは。さーすが、すぐ食い尽くしそう」

 アニーは笑うと、グラタンを幾らか皿に取る。朝食にでも回すつもりなのか、それを台所へ運んで戻って来ると、アンリエッタに声を掛ける。

「ほれ、アンちゃんも。遠慮しないで食べてよ」

「はい……すみません、お礼をするはずが何故か料理まで」

「いーのいーの、侘しい食卓がヤだっただけだし」

「わび――、え?」

 疑問を呈したアンリエッタには特に応じずに、アニーはのっけから薬草酒を煽る。

「ま、世話焼きしたい気分だったのさ」

 ちびすけ共の顔も見てみたかったしね――数合わせに出した書き物机用の肘掛椅子に頬杖をつくアニーは、薄い眼差しで兄妹たちを眺める。

「ルーウィッヒ! それ美味しい?」

 訊ねれば少女が顔を上げ、ホワイトソースの付いた唇を手で押さえる。もどかしそうに肩を上下させた後、ふいに席を立った。

「ちょ、食べてる時に……」

 兄の小言を無視した妹は文具置き場を少し漁った後、駆け足で戻って来る。座って、取って来たらしい紙の(おもて)をアニーに見せた。

 ――とてもおいしい。

 端的に書かれた文言の下には、思い出したように『ありがとう』と添えられる。感想を見たアニーは笑って、そりゃ良かったと少女の頭を撫でた。

「にしても、聞いてた通りだね。声は出ても喋れないんだ」

 こくりとルウィヒが頷きを返す。アニーはアンリエッタの方へ向いて、言う。

「このままじゃ不便でしょ。なんか、持たせてやんないの?」

「?」

 他の三人で首を傾げると、アニーはルウィヒに、さっきの紙を渡すよう言う。彼女はそれを畳んで小さくすると、思い付いた様子でペンも借りてさらに何事か書き込んでみせる。

「ほい、こんな感じ」

 やがて書き終えて差し出された手のひら大のその紙片は、文言に小さな絵を添えたメッセージカードに姿を変えていた。

「……ッッ!」

 手に取って、衝撃を受けた様子で目を剥くルウィヒ。しばらくじっとカードを見つめ、続いて隣のレームへ見せびらかす。ちょうど手近にあった彼の肘を、興奮した様子でばんばんと叩いた。わかった、わかったからとレームが落ち着くよう呼びかける。

「すごく良いんだって」

 兄の代弁と共に、むんとルウィヒは得意げにカードを見せつけてくる。なるほどこれなら簡易に意思を表明できるし、彼女が喋れないことも察して貰いやすい。シンプルながら鮮やかなアイデアを目の当たりにして、アンリエッタは感嘆し息を呑んだ。

「こんな、手軽に」

「なに、ほんとに思い付いてなかったの?」

 賞賛には意外そうに苦笑を返された。確かに、考えになかったのが不思議なくらい簡単な発想ではある。けれども、三人だけだとルウィヒの魔法でコミュニケーションを取れてしまうので、そういう対外的なツールを用いることが考慮の埒外になってしまっていた。

 授けられたアイテムをいたく気に入ったらしいルウィヒは、他のものも欲しいとせがむ。何かちょうど良い板紙を探してみることをアンリエッタは約束して、食後、四人一緒になって図案の検討に興じる。

 そうして幾らか時間が経った頃、玄関のベルが響いた。

「お、来たね」

 アニーは言って、家主のアンリエッタそっちのけで戸口へ向かった。声を掛けて人物を問えば、返ってきたのはロランの声だ。

「や、御苦労、御苦労」

 仕事を終えた雇い主にするには気安過ぎる態度で迎えたアニーに、ロランは大儀そうに一息ついた。突然の上司の来訪に、アンリエッタは目を白黒とさせる。

「お、お疲れ様です。一体何が」

「呼ばれたから来たまでだ」

「呼ばれた?」

 疑問を呈すと、「そうそう」とアニーが代わりに頷く。聞けば、こちらに訪問する旨を事務所に書き置きして来たという。

「迎えに来たら晩飯やるよ、ってね。いやほんとに来るんだからあんたも偉いよ」

「前に一人歩きを控えるよう言ったのは俺だ。来ないわけにもいかん」

 どうも、アンリエッタの知らない文脈があるようだった。ぶっきらぼうに言ったロランに対し、アニーはくつくつと笑ってみせる。

「それ。言われた時は何様かと思ったけど、実際迎えに来られると悪い気しないね。あんたの分、ちゃんと取ってあるよ」

 最初に取り置いていたのはそういうことだったらしい。すぐ包むからと踵を返すと、アニーは玄関から進んだ先の台所で支度を始める。しばしその姿を見届けて、アンリエッタははっと我に返った。

「ど、どうぞっ。お上がり下さい」

「いや、良い。外で待つ。大した時間でもなかろう」

 端的に固辞すると、ロランは扉の前から去っていく。マイペースぶりに有無を言えなかったアンリエッタは一瞬ぽかんとして、それからその背を追いかけた。

「なんだ?」

 あっという間に階下へ降り軒先に出たロランが、追い付いたアンリエッタに訊ねる。

「お疲れでしょう? お茶くらいお出しします」

「疲れているから一刻も早く帰るつもりでいるんだ。君も余計な気を回すな」

 余計とまで言われてしまうと、アンリエッタも二の句を継げない。と言ってすぐにそうですかと辞去するのも気が引けて、そのまま居座る。

「あれが、保護しているという子どもかね」

「はい……あ、そういえばご挨拶を」

「構うな。別に必要ない」

 まるで根っこから断ち切るかのように社交辞令を退けてくる。この件に纏わるロランの態度は基本的にそっけないが、とはいえ過度な干渉を避けつつ就業時間にも融通を利かせてくれたりと、アンリエッタとしては大層ありがたい措置を取ってくれていた。

 もちろん始めに事情を話した時には、たっぷり皮肉を寄越されている。

 ――君が? 子どもを引き取ると?

 ――はい。ああいえ、一時的なんですけど。

 ――何故わざわざ自分自身で? 引受先くらいあるだろう。

 ――その、どうも、特殊な事情があって。一人は今病院にいますし。

 ――特殊な事情のある時にはよそへ預けるものだと思うがね。

 それで、経緯を話す。信じられない愚か者を見たとでも言いたげな眼差しを、アンリエッタは彼から受け取った。

 ――ニーナと話したがっていたのは、それでか。退職届とどちらがマシだったか、というところだな。

 ――え? 退職?

 ――なに、追い出すつもりはない。君の人生設計には甚だ疑問が残るが、残念ながらそれは公書士としての仕事ぶりとは関係がないことだ。職務に関係のない観点で評価を行うのが私は嫌いでね、この性分を今とても忌々しく思っているが、軽々に悖るわけにもいかん。

 そんなやり取りがあって、以降ロランには成り行きの詳細を報告している。アニーに対しては兄妹の来歴などは伏せてあるので、一件に関して深い事情を把握しているのはロランとニーナの二人ということになる。例外を挙げるとすれば、短い内にルウィヒの魔法に勘付き、情報が筒抜け気味になっているオッテンバールだろうか。

 ロランが、暗くガス灯に照らされる通りを見つめている。

「あの、フランツとかいう軍人」

「軍人……?」

 おうむ返しをしたアンリエッタに、ロランは肩をすくめる。

「本人はそうは名乗らなかったがね。私の所にも来た。律儀なことに君の協力を得るつもりでいると断りを入れにな。だったら委託契約を結べと言ったんだが、そうそう証拠に残る真似をしたくはないんだそうだ。全く話にならん」

 吐き捨てて、ロランはアンリエッタの方を見る。

「君は、書面を介さない口約束など言語道断だと思わんかね、アンリエッタ・ベルジェ三等公書士殿?」

「う」

「まあ、その軽率さが向こうの信を得るということもあるんだろう。君の腕はともかくとして、心根自体はそこらの人間よりも信頼できる」

 褒められたような貶されたような台詞を前にアンリエッタが反応に困っていると、屋内の方から足音がした。段積みにした食器の包みを下げたアニーが、兄妹たちを引き連れて降りて来ている。ほれ、と彼女はロランの前に立ち、包みを持つよう差し出した。

 アンリエッタは兄妹二人を手で示して、ロランに言う。

「レームとルウィヒです。男の子の方がレームで、女の子がルウィヒ」

 挨拶はいらないとは言われたものの、顔を合わせたなら紹介くらいはすべきだろう。「ん」と、これと言った感情は表さないまま応答したロランのことを、今度は兄妹に向けて示す。

「二人とも、こちらはロランさん。私とアニーさんの雇い主で……」

「怖そうなおじさんだけど、実際に怖いおじさんですよ」

 肩の後ろから声色を似せて宣ってきたアニーには、言ってませんそんなことと文句を言う。

「はじめまして、ロランさん」

 固い声音で口にしたのはレームだ。兄の後ろに隠れつつ、ルウィヒも先ほど試作した一枚を挨拶に見せつける。

 横から、アニーに肘でつつかれるロラン。

「ん。よろしく」

 一瞥してそう言って、次は肩をぺしぺしと叩かれる。ロランは迷惑そうにアニーを見やり、彼女が顎をしゃくったのに応えてルウィヒへ目を向けた。

「なんというか、なかなか、悪くない絵だ。子どもらしい」

 バシンと背中を叩かれる。

「……あー、字の方は――そうか、君が書いたか。よく書けている。上手だ」

 ぱっと目を見開くルウィヒ。まだ覚束ない手付きで手の中の紙片をいじくって、別の一枚を上に取り出す。興奮のままに兄の後ろから一歩前に出ると、またカードを差し出した。

「ふむ、どういたしまして」

 『ありがとう』という一文を目にしたロランが、そう答える。成果を確認し合うようにこちらへ目を向けた少女に、アンリエッタは頷いてやる。

 はしゃいで大きく腕を動かすルウィヒと一緒になって、三人で手を振り二人を送った。

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