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公書士アンリエッタ 〜いつかペンと制度の力で〜  作者: ke
第4話「波乱と平穏と」
17/34

4ー1

 火元と戸棚の戸締りを完璧に確認して、最後にかちゃりと、玄関扉に鍵をかける。

「ロランは結局、戻んなかったねえ」

 紐飾りに指を引っ掛けてくるくると鍵を回しながら、事務員アニーが言った。西日を遮り濃く影を作る事務所の前に並んで、アンリエッタはこくりと頷く。

「長引きそうな案件ですから。正直、今日で終わるとも」

「ふいー」

 アニーは両手を小さく掲げ、何か情感めいたものがこもったため息をつく。エントランスの階段を下りて、北方、路地の先を心持ち見上げた。

「明日はなんか、労ってやるか」

 腰に両手を置き、そのように言う。勤労意欲の控えめなアニーであるが、だからこそかハードワークに対しては同情的な一面をよく見せるのだった。

 夕方になっても戻らなければ先に終業するよう言い置いてロランが事務所を出たのが、本日の昼前である。少しばかり残業したもののその日出迎えることはついに敵わず、アンリエッタとアニーは二人、仕事を終えて家路に着いている。

「もうさ、結局共犯なんだから責任も半々にすれば良いのにね」

 まだらに黄色く照らされる路地を行きつつ、アニーが言う。それは実際、魅力的な裁定とは思われるのだが。

「……銀行側は、それで納得しませんでしたからね」

 先週アンリエッタも同行したマティルド商業組合への訪問、その三日後。再び来訪を請われて出向いたロランが聞かされたのが、不正クーポンによる横領の発覚と、その事後処理についての相談だった。

 現在に至るまでの顛末は、次のようになる。

 まず、管理を担当者に任せていたクーポンの発券帳簿を目にした事務局長が、とあるページの内容に違和感を持った。それはおおよそ六年前に発券された番号のページで、帳面の七割程度が使用され、残りの三割が再発行扱いとして削除されている。古い券がまとまった数間引かれるのは確かにあり得ることだが、番号と番号の穴を縫うようにして飛び飛びに斜線を引かれる箇所があるのが、妙に気に掛かった。再発行された番号が書かれたページを探す。一度に処理されているため、それらは簡単に照合される。再び古い帳簿のページを繰りはじめ、疑わしき箇所が十を数えたところで、とうとう作業を打ち切った。

 この時点で、横領されたと思しき金額は二千ゲールを超えていたという。切り詰めればなんとか一年暮らせようかという金額は、思い過ごしとして看過するには余りに大きい。事務局長は自身の本来の仕事もうっちゃって、休暇により不在にしていた担当者のデスクをひっくり返し手がかりを漁った。当然というべきか、そこに証拠らしい証拠はない。補佐役に業務実態の調査を命じ、十件先にあるイスタ銀行の窓口へと駆け込む。懇意にしている担当者と面会し、然るべき対処について話し合った。極力他には内密に換金手続きの記録を確認し、恐らくは銀行側にも共犯者がいると結論付ける。

 適当な事業者を騙り架空の名義の口座へ振り込む――その手口はいかにも簡単に見えたが、隠蔽の度合いはなかなかだ。いつどの事業者がクーポンを換金したかという情報は、記録こそされるが共有も公表もされない。毎度彼とやり取りをする行員が不審さを指摘せず記録の保管を終えればそれで終いで、以降再び日の目を見ることはないだろう。銀行側はともかく、直接的に組合側の人間と繋がる情報はない。

 とはいえだ。今回は端から不正があったことを嗅ぎつけているし、疑わしき人物も判明している。ロランの言うところによると「どうとでもやりようはある」わけで、実際牙城はすぐに崩れた。下手人を一室に詰め共犯者からタレ込みがあったとカマをかければ、それだけであっさりと白状される。

「そんなんで、被っちゃったらどうするつもりだったんだろ」

 無効にしたクーポンへの再発行請求。アニーの疑問はむろん、元々検討されておくべき問題である。

「実際、一度あった時はなんとかできたみたいですね。上に報告する勘定金額と販売数を操作して再発行分を埋め合わせたそうです。同じやり方で継続的に横領をするのは難しいですが、イレギュラーを誤魔化すくらいであれば十分に対応できた。最悪、自分で買って補填をすることだってできるわけですし」

 クーポンの運用業務は外部から人を雇って分業化されていたが、再発行についてはその枠外にあった。処理するプロセスが定められていないので、案件が発生すれば全体を統括する担当者へと知らされる。従って、自分の裁量でもみ消すことができたというわけだ。

「だけど結局、バレちゃいましたと」

 結果としては、そういうことになる。不運にもと表現すべきかはわからないが、たまたま不在の時に再発行の持ち込みがあって、たまたまその請求は事務局長が応対する場でなされてしまった。そうして、不正に書き込まれた帳面が日の目を見た。

「これまで、組合に帳簿を点検する取り決めはありませんでしたからね。今回のようなパターンは頭になかったんでしょう」

 業務形態の変化や自身の配置換えの可能性を考慮すれば、もう少しささやかに事を済ませる判断もあり得たはずだ。けれどもどうも、差し迫る事情があったのか単に現実から目を逸らしていたかったのか、そちらは永遠に続くものと見なしたらしい。

 まったく、と呆れたふうに天を仰ぐアニー。

「仕事なんて、ずーっと同じわけじゃあるまいし。でもま、金は人を狂わせるもんね。それも貸し借りの場合は、特に」

 どこか、しんみりと口にする。

 彼が金に困って不正に手を染めたのは、アニーの言った通りだ。何の拍子か賭博場に通って、いつ返せるか知れない借金を抱える。その返済のために組合の金を横から掠め取って、また次の掛け銭に充てた。横領した金のほとんどはルーレットと夜の街に消え、だから彼の服を叩いても戻る見込みのないその損失をいかに分かち合うかということが、唯一組合と銀行がすべき対応だったのである。

 それを、銀行が蹴った。

 不正の一端をあちらの行員が担ったにも関わらず、責任の一切を放棄した。

 今回揉めている理由はつまり、そういうわけなのである。

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