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公書士アンリエッタ 〜いつかペンと制度の力で〜  作者: ke
第3話「子どもたちについて」
12/33

3-2

「クーポン」

 それって、前にレームが使えなかったやつだ。

 アンリエッタは、言葉を繰り返したレームとこちらに指を触れて語りかけたルウィヒのことを見比べた。反対の手でバケットを一切れ持ち、もぐもぐと口を動かしている少女を見下ろす。

「あの時はまあ。でも、今は使えるでしょ?」

 アンリエッタの回答に推測できるところがあったらしく、レームは忌々しげな目付きを妹へ向けた。

「……ルウィヒ。余計なこと言っただろ」

 兄の視線から白々しく目を逸らしたルウィヒは、両手でつまみ直したバゲットの残りにぱくつく。

 朝、出勤前の食卓の一幕である。大家の好意で住まいを別の部屋に変えたとはいえ、備え付けの丸テーブルの大きさについてはさして変わらず。狭苦しくパンと煮豆とオイルの皿を並べた食卓を三人で囲む。本日の仕事について訊かれたので答えてみれば、先のようなやり取りが続いたというわけだ。

 レームとルウィヒ。様々事情があって身を寄せる先のないこの兄妹の身柄を、アンリエッタは一時的に預かっている。あの邂逅から、はや三週間。初めは身を寄せ合ってこちらと対峙していた二人の緊張もすっかり打ち解け、今ではアンリエッタを挟んで小競り合いをする程になっていた。

「クーポンって、えっと、お金みたいなものだろ。使えなくなるなんてあるの?」

 レームの疑問の通り、券面に発行年月が付されるものの、マティルド商業(クー)組合市場振興券(ポン)には明確な有効期限が提示されない。組合側の換金不能が判明してから遡って二年分の券は表示金額が保障される取決めだが、それは有効期限とは別のものだ。だからつまり、実質的に無期限に使える。けれども。

「証印がね、ダメになっちゃうんだよね。そうすると銀行でお金に換えられないの」

 事業者が受け取った使用済のクーポンは、銀行に提出することで換金される仕組みだ。クーポンには偽造防止対策として、霊的証印(マナ・マルケ)を施したスタンプが押されている。付与された霊素は時が経つとともに減衰するが、保管環境によってはそれよりも先に鉛インクの劣化が進行する。深刻でなければ表面を削ることで対処できるが、復活を望めない場合も多い。使用済のクーポンを受け取った銀行は付与された霊素が特定のものであることを確認してから処理するので、証印の反応がない限りは換金できないことになる。

 だったら、すぐに交換しないと損?

 訊ねたルウィヒに、「うーん」とアンリエッタは唸る。

「代金に貰ったクーポンは換金する以外に使い道がないし、持っていても仕方がないのは、そうなんだけど。でも損になったりはしないよ。ちゃんと組合に相談すれば再発行にも応じてもらえる」

 の、だが。

 今回の依頼人はそのことを関知していなかったがために、公書士事務所まで相談に来た。ロランは商会からの依頼も受けているのでついでに対応できないでもないが、そもそも間に入る必要がないことである。けれども組合とは折り合いが悪く時間を作るのも面倒ということで、依頼を受託することと相成った。

 朝食を食べ終わる。片付けておく旨をレームに告げられ、ありがたく受け入れる。

「帰りはいつもと同じ?」

「ちょっと早いかな。仕事はお昼くらいで終わるんだけど、人と会う約束をしてるの」

 アンリエッタが鞄の中身を確認しつつ言った答えに了解し、頷くレーム。

「良い子で待ってて。人が来ても、大家さん以外は開けないように」

 再び首を縦に振り、それからレームは「あっ」と声を上げた。

「オッテンバール、来るかも」

 名前を聞いて、アンリエッタは難しく目蓋を細めた。どうも二人の素性に興味を持ったらしい彼は、怪我の経過観察だと嘯いてはたまに顔を出していた。

「勝手に鍵を開けて入ってくるんだよね、あの人……」

 玄関に関貫錠でも付けるべきかと悩む。とはいえルウィヒがいくらか懐いているので、対面に制限をかけるのにも気が咎めた。

「まあ、仕方がないな。来たらウチに上げて良いよ。レーム、よろしくね」

 言外にお目付け役を指示すると、少年は先ほどよりも大きく頷く。微笑を返し、玄関の扉へ手をかける。肩にかけた鞄を引かれたので振り返れば、ルウィヒがこちらを見上げている。

 夜、刺繍、教えてね。

 そのように言われる。アンリエッタは触れられた指を握り直すと、彼女の前へしゃがんだ。

「もちろんいいよ。代わりに今日も、レームに字を教えてあげてね」

 部屋の奥で、少年が肩を竦めるのが見えた。依頼に頷いたルウィヒにアンリエッタは「助かります」と言う。見下ろす少女の瞳がちょっと揺れて、そこにわずかに光が差したようにアンリエッタは感じる。

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