第四話 青木星路の戦い方
夏休みに入ったばかりの8月。
星路はクインプロが所有するテナントビルにある、格闘技のジムにやってきていた。東京なので、魔法で呼び寄せられた。
受付や、警備の人間もいなかった。
練習生も誰もいない。かといって、無人なわけでもなかった。
入口に立つと、中からサンドバッグを叩く音が聞こえてきていた。
音だけでその鋭さと重さが伝わってくる。正真正銘の格闘家がそこにいるのだろう。
といっても怯むことなく、星路はテナントに入っていった。
扉を抜け、靴を脱いで上がっていく。
一人の女性がサンドバッグに拳を叩き込んでいる姿が目に入ってきた。
「ベアじゃん」
ついつい星路は口にしてしまった。
銀髪をポニーテールにした大柄の女性である。
本名ベアトリス。フランス出身の二十二歳。女優でもあり、総合格闘技とキックボクシングのプロでもある。
身長は公称で208センチ。体重90キロ。
対して星路は175センチ、体重68キロ。
ライトヘビー級とライト級の差がそこにある。
ちょっとでも格闘技について学んでいたらどれだけ無謀なことかは一目瞭然だった。
「おはようございまーす」
声を掛けると、ベアトリスが手を止め、星路に顔を向けた。
「……おはよう。本当にきたんだ」
「ええ、よろしくお願いします。あなたには、面倒なことかもしれませんが」
「社長の指示だし、別にいいさ。君こそ正気か? 私と殴り合いだなんて」
「ええ。全然オッケーです。それに、勝ち負けでもないっすからね」
根比べ。スポーツじゃない。
KOされたところでそこで終わりじゃない。もう勘弁してくださいというところまでやるだけだった。
「延々と君が嬲られるだけになるぞ」
「いいですよ、覚悟の上です。でも、」
星路は更衣室に入る前に、ベアトリスに言った。
「あなたも、延々嬲られる可能性を考えてくださいよ?」
◯
春風アリサが魔法少女になってもその力を誇示せず、偉ぶったりすることもなく、アイドルになるという従来の目標を貫いたことで青木星路は自らの矮小さを思い知った。
それから彼は喧嘩ばかりの日々とはすっぱり縁を切り、アリサのフォローに集中した。
といっても、彼が縁を切ったからといって、それまでボコボコにしていた連中が許すはずもない。
アリサは当時のことを覚えていた。
「喧嘩、よくしてたよ。小学生のころから中学生が相手だった。心配はなかったかな。勝っちゃうから」
格闘技やスポーツはやらなかった。
やらなかったからといって、できなかったわけではなかった。
それこそ空手やボクシングを学んでいる相手とも喧嘩をしたのだ。
「なんで勝てたのか、強かったのかはわかんないよ。才能があったんじゃないのかな」
ただ、その日々もアリサが東京に出る寸前あたりになると終わっていた。
その理由は単純なものだった。
「地元の人間、全員を叩きのめしたからじゃない?」
◯
レフェリーはいない。
どこからか月見里サユが覗いているだろうが、そばにはいない。
つまり、止めるものはいない。
ウォーミングアップをして、二人がリングに入ると、ゴングもなく殴り合いは始まった。
始まってまもなく、ベアトリスには困惑が広がった。
おかしい。
おかしい。
おかしい。
何発入った。
最初にフックが入った。
側頭部を捉えた一発だった。
その一発だけで終わってもおかしくない。
そのあと何発入った。
ストレートも、フックも、アッパーも、ボディアッパーも、キックも入れた。
自分よりも20センチ低く、20キロ軽い相手に、何発も入れた。
なのになぜ倒れない。
根性? 気合?
そんなもんじゃあない。
なら男女差か?
男と女は骨格が違う。よって、そこから生まれるパワーも違う。
けれどもそれを覆すのが体重差だ。
質量というこの宇宙の物理が、性差などというものに負けるはずがない。
わかってる。わかってるとも。
この男には、何一つまともに入っていなかった。
拳も蹴りも、威力をすべて殺されている。
この男にとって、ベアトリスの打撃はじゃれ合いにしかなってない。
なんなんだこれは。
こんな、こんな、こんな……!
「こんな楽しくっていいの!?」
「なかなか変人っすねえ」
ベアトリスのフック。
星路の頬を撃ち抜いたが、彼はその殴られた勢いで回転して、バックブロー(裏拳)を返した。
ベアトリスは片膝をつくが、その体勢からストレートを打った。
星路はこれを両手で受け止め、引っ張りながら膝蹴りを返してくる。
「あっ、あっ」
ベアトリスが仰向けに倒れてしまう。
人生何度目かのダウン。
天上に輝くライトを眺めていると、いまにも寝入ってしまいそうなほどに快適だった。
そこに、星路の追撃の拳が叩き込まれた。
(すっごい。ああ、マジだ、マジなんだこいつ。マジでくっそ強いんだこいつ。やばいな、こいつ)
一発、二発と打たれながら、ベアトリスは感激していた。
感激しながら、反撃の行動を取る。
右足を星路の膝裏に引っ掛けて、左手で星路の踵を掴む。
その状態で自分の左足で星路の腹部を蹴る。
すると、彼はひっくり返ってしまう。
「うおっ!」
MMAの草刈りという技術だ。
ベアトリスのそれは動きが滑らかだった。わかっていても逃げることはできなかっただろう。
しかし、星路は草刈りを受けた直後、あり得ない動きをした。
人は後ろに倒れかけたとき、反射的に手をつこうとする。だが、彼は大きくバクテンした。
踵を掴んでいたベアトリスの手も振り払い、離れた位置で両足揃えて着地する。
信じられない動きだった。
そんな避け方は見たことがない。
(絶対にやってるやつだと思った。MMAやキックボクシングとはいかずとも、武術や拳法を学んでいるんだって。でも、ちがう。絶対にこいつはやってない。そんな動きじゃない。なのに――)
星路が一気に距離を詰めてきて、ベアトリスの頭に蹴りを叩き込んだ。
サッカーボールキック。
(なのに――、こんなに――)
二度目のダウン。
星路も今度は馬乗りになってきた。
しっかりしたマウントポジション。容易には抜け出せない。
拳の雨を降らせてきた。
(こんなに、容赦がない――)
ベアトリスは自分の腕で顔を覆ったが、構わず星路は殴り続ける。たまに隙間を通り抜けて、顔に入る。
「たまんないなあ。なんで君は、そんなに強いんだい」
「怖くないだけっすよ」
一方的に星路が殴り、ベアトリスは一方的に殴られながら会話をする。
「殴られても蹴られても、全然怖くなかったら、効かない」
「やっばいな。イカれてるってことじゃん」
「そうだよ。怖くないからよく見える。よく見えるなら、ちょっと体を動かして痛くない受け方もできる」
星路はクルンクルンと首を振った。
「スリッピングアウェーってこと?」
打撃の衝撃を軽減する方法は、前後に動いて距離を変えるというのが鉄板だ。超至近距離でストレートなんて打てない。
だが、フックでもこの男は威力を消していた。それがスリッピングアウェー、打たれた瞬間に顔を反らすという実在する技術だ。プロボクサーでも使いこなせるものはそういない。
「いまからプロになれるよ、君。チャンプだって夢じゃない」
「興味ないね。で、まだやる?」
「やると――ぶっ」
二メートルを超えるライトヘビー級の元プロの格闘家、であっても、女。
その女の顔を殴ってくる。何度も何度も。
なんて気持ちがいい男だろう。
ベアトリスは懐かしくなった。
プロの世界にいたころよりもっと昔。
まだ十代だったころ、ドキドキしながらMMAの門を叩いて、素人同士でスパーリングをしていた時代を思い出した。
「ふんっ――!」
ベアトリスはブリッジをしながら体を捻った。
星路の体が浮き上がって、互いが入れ替わる。
今度はベアトリスが上、星路が下になった。
マウントポジションではない。星路の両足がベアトリスの胴体を抱え込む形になっているので、ガードポジションというものになっている。
だが、ここからでもパウンドはできる。
「こっからスリッピングアウェーとかできる? できないよねえ」
「する気はない」
「――――!」
星二がベアの腕を掴み、自分の体を一気に起こす。
彼はベアトリスに頭突きをぶちかました。
(~~、そうだ。喧嘩だ。MMAじゃない。喧嘩だからこんなのもあり、だ。あり、だ、けど……)
頭突きは一度では終わらなかった。
星路はベアトリスの首に手を回し、そのまま二度、三度、四度と頭突きをした。ぶちゅりと鼻血が噴き出した。
目眩がする。
くらくらする。
意識が遠のく。
(こいつ、こいつ、喧嘩の天才だ……。攻撃も防御も、申し分ない……。それこそ、いまからでも、トップに立てる……)
でも、その打撃には優越感は感じられなかった。
伝わってくるのは虚しさだ。
強すぎるから虚しいんじゃない。
この強さに、彼がほしいものがないから虚しいんだ。
(悔しい、辛い、苦しい、罪悪感……。ちがう、最も大きいのは、怒りだ。怒っているんだ……。魔法少女に任せるしかないってことに……)
応えなくちゃいけない。
格闘はコミュニケーションだ。
殺し合いじゃなくて喧嘩なんだ。
彼の拳に、返事をしなくちゃいけない。
彼は伝えているんだ。
なら、自分自身の全部を伝えるんだ。
狼は遠吠えで連携する。
鳥はダンスで求愛する。
人は言葉で会話する。
格闘家は格闘で対話する。
一方的にやられてばっかりじゃコミュニケーションじゃない。
応えないと、こたえないと、こたえないと。
ああ、でもこいつつよい。
じつりょくをだせないよ。
どうしようどうしよう。
――魔法を使え。
だめだよ。
まほうはこわしちゃう。
まほうしょうじょはこわしちゃうんだ。
へんしんなんていらない。
まほうしょうじょのいちどでもなったらおわり。
もうひとじゃない。
ひとじゃなくなってる。
なのになぐりあったりなんかした。
だからこわしたんだ。
――俺は怪獣を殺せない。
――だけど、魔法少女に勝てないなんて言った覚えはない。
やっていいの……。
ぜんりょくをだしていいの。
こわすよ。
壊しちゃうよ。
ぶっ壊しちゃうよ。
それが私の魔法だ。
「やれよ。じゃないと、魔法少女になったら負けなかった、なんて言い訳するだろ」
「言ったな! トランスフォーム!」
◯
この喧嘩を取り決めた日のこと。
月見里サユはベアトリスに言った。
「魔法少女は、強いわ。純粋に、暴力が」
「怪物に勝つためですがね。ガキンチョを打ち負かすためじゃあないんですよ」
「ええ。でも、そんな暴力を、昨日までただの人間だった子が完全にコントロールできるはずもない。そうだったわよね」
これがただの学生や、画家を目指したりボランティアに勤しんでいたりする子なら大した問題にはならなかっただろう。
それが、もし、格闘技をやっている子であったのなら、どうなる。
「あなたは、魔法少女の力で人を壊してしまった。もちろん、すぐに治療を施したけど、格闘技を続けることはできなくなった。いまでもその心には棘が残っているわ」
「……だからなんです。それと、ガキンチョと喧嘩するってのと、繋がらないですよ」
「カウンセリングと思ってちょうだい。直接話してわかったわ。彼のことが、少しね。彼だったら、あなたの心の棘を抜いてくれそうよ。きっと、感動させてくれるわ」
――ああ、全部事実だった。
青木星路。美しい名前の少年。
彼の暴力は、容赦をしない、恐怖をしない、ただ正面の相手をボコボコにする。
それこそが、ほしかった。
それこそがベアトリスの望みだった。
アリサもひなたも、いい男と巡り合ったものだった。
故に、この根比べに負けるわけにはいかなかった。
この少年を死なせるわけにはいかないのだ。
◯
星路は、後悔していない。
まったくもって、自分の判断、決意に一筋のひび割れも持っていない。
されど、そうであっても、魔法少女ベアトリスの発する圧力には全身から冷や汗が噴き出した。
レオタードにひらひらのミニスカートは変わらないが、その背中に白い翼が生えていた。
両手、両足にはなにもない。
アリサのような杖はない。
ヒナタやサクラコのようにガントレットやブーツを装着しているわけでもない。
ベアトリスは翼が生えているだけ。
ただそれだけ故に、太陽が召喚されたかのごとく灼熱がそこにあった。
「吐き気を催しそうになる。そんくらいに気がでかい。いや、気なんてわかんないけどさ」
にひっとベアトリスが笑った。
無邪気さのある笑みだ。
「先に言っておくよ。私はビームを撃ったり、剣を出したりしない。殴る蹴るしかできやしない。それで怪物を屠ってきた」
「つまり、さっきまでと何も変わらんってことでしょ」
「スリッピングアウェーだとか、そういう小細工は意味ないよ」
彼女が拳を握る。そんな動作だけで、ぐにゃりと大気が歪んだ。
星路は背筋を震わせ、言った。
「きなよ」
「まいった。かっこいい」
翼が光を放ち、ベアトリスが踏み込んできた。
異次元的な速度だった。
星路の肉体は逃げたいと叫んでいて、星路の意思はいくぞと叫んだ。
拳が向かってくる。そこに、星路は踏み込み、拳を叩き込んだ。
「――――」
ベアトリスの拳は掠めもしなかった。
逆に星路のカウンターパンチは命中した。
その結果、彼の拳は折れた。
笑ってしまうほどに、生物格差がでかすぎる。
だから、星路は笑ってやった。
「ぎゃはははははは!!」
「楽しいな、星路。最高だ」
「最高っすよ!」
再びベアトリスが拳を振りかぶる。
これも同じ。
すんでのところでかわして、折れてない拳でカウンターを叩き込む。
もちろんまた折れた。
ギャグ漫画でもこんなに笑わない。
ベアトリスも笑って言った。
「まだやるのかい?」
「おっと、ギブアップ?」
ベアトリスは笑って、ハイキック。
受けたら死ぬ。多分。
星路は地面に飛び込みながら体をねじり、ベアトリスの側頭部に踵を打った。
今度は踵が壊れた。
それでも立った。
ポールに転がっていって、そこに背中を付けて、ずるずると体を起こしていった。
ベアトリスは、こない。
「ギブアップかな?」
「まさか」
ベアトリスは拳を固めて突っ込んだ。
◯
月見里サユは信じられないものを見た。
彼女は遠見の魔法で試合を見学していた。
ついに片足だけになった星路。もう逃げることもましてやカウンターも打てない。それでも彼はギブアップしない。
ベアトリスは拳を固めて突っ込んだ。
星路は逃げられない。逃げられないから顔で受けることになった。
顔で受けて、引き寄せた。
スリッピングアウェーの応用であろうが、触れた瞬間に骨が砕けていた。
それでもベアトリスの腕を引き寄せ――、倒れながら残った足で彼女の腹を蹴り上げた。
ベアトリスは魔法によって力が増しているだけで、重くなったわけじゃあない。
投げることはできる。
踏ん張ることもできないカウンターの投げであれば。
できる。
できた。
ベアトリスは場外に投げ飛ばされた。
そこで、終わった。
◯
ベアトリスはリングの外にまで転げ落ちたが、魔法少女なのだ。ダメージなどなく、ひょっこりと起き上がった。
彼女の隣には月見里サユが現れていた。彼女は無言でリングの上を指差した。
ベアトリスがふわりと浮かび上がってリングに戻る。
そこに星路は倒れていた。
頭から床に突っ伏している。
動かない。
「あなたの勝ちよ、ベアトリス。誰がどう見てもね」
月見里サユが言った。
彼女の言葉は真実である。
「立っているのはあなた。潰れているのは、青木星路。格闘家なら彼が圧勝だったけど、魔法少女っていう全力を出したなら、あなたが勝ち。当たり前の話。意外でもなんでもなかったわ」
「……そうです。でも、この殴り合いはKOの勝負ではない」
ベアトリスはその場に膝をついて、星路の体を抱き上げた。
彼は、無惨なものだった。
両手の拳が砕け、片方の足の踵は砕けており、もう片方は爪先が潰れていた。
顔は、見るに耐えないものである。
下から半分がグシャグシャになってしまっていた。頬骨と顎が砕け、ほぼすべての歯が折れている。
これでベアトリスを投げた。
拳が触れた瞬間には意識が飛んでいたはずだ。
トラックに跳ねられたほうがまだ軽度な衝撃だっただろう。
その状態で投げた。
「は~~~~あっ」
ベアトリスは星路の顔に手を当てた。
その手から柔らかな光が放たれていく。
「筋肉もぶちぶち千切れて骨がぐしゃぐしゃ。頚椎の捻挫、脳震盪。しばらく寝たきりだ、こんなの。食事だってできなくなる」
彼女が喋っている間、光を照らされている星路の顔がみるみるうちに治っていく。時間が巻き戻っているかのようだ。
ほんの一分とかからず完治する。
とんとんと肩を叩くと、星路が目を覚ました。
彼はぼおっとしていたが、状況を思い出したか、ぼそりと言った。
「まだやりますかい?」
ベアトリスは笑った。
「やらない。私はもう、やらない。お前がかっこよすぎるからな。これ以上、壊すことはできなくなった」
「じゃ、俺の勝ちってことっすね」
憎たらしい、クソガキの笑みだった。
「君、これから先、怪物にも魔法少女にも喧嘩を売るでしょ」
「俺から売ったことはないですね」
「喧嘩を買うでしょ」
星路は肯定した。
「なめられるのは嫌いだ。怪物も、俺のことを石ころと同じものにしか見ちゃいない。ムカつく」
「後輩たちのためにもやめてほしいけど、やめないよね」
「おう!」
威勢の良い返事である。
ベアトリスは、呆れるわけでなく、羨むような笑みを浮かべた。
◯
星路の帰りは、まさか飛行機なんかではない。月見里サユが魔法で送り届けてくれることになっていた。
シャワーを浴びてスッキリして、彼女に手を握られると、次の瞬間には彼の部屋になっていた。
「便利すぎませんかね、あなたの魔法」
「年季が違うもの。さて、これで約束通り、あなたを止めることはしないわ。魔法少女との交流、あなたの好きなようにしなさい。ハーレム作っても止めません」
「だからしませんって」
「そう。まあいいわ。でも、一つだけ忠告しておくことがあります。あなた、自分の命を大切になさい」
百万回はアリサやひなた、桜子から言われた言葉であった。
「別に死にたがりというわけじゃないんですけど」
「ええ、わかってます。でも、その怒りは、きっと彼女を呼び寄せてしまう」
彼女? 星路が首を傾げた。
「誰のことです?」
「いずれわかる。私が言いたいのは、最後の最後、踏みとどまりなさいということ。きっと、彼女はあなたの前に現れる。そのとき、あなたはある提案を受ける。とてつもなく魅力的で、あなたにとってデメリットのないものを」
「はあ」
「絶対にあなたはその提案を受けるでしょう。止めても聞かない。だから、言っておくの。最後の最後、踏みとどまれと。お願いね」
そこまで言ってから、月見里は帰っていった。
音もなく、ふっと消えてしまった。
意味深なことだけ伝えられて、どうすればいいのか。
でも、今日のところは疲れたのでさっさと眠ることにした。
月見里サユの言っていた『彼女』と出会うのは、このすぐあとのことだった。