第三話 ブチギレサポーター
星路の街には未だに怪物がはびこっている。
春風アリサ、夏川ひなた、二人の魔法少女の戦いを経ても、全滅させることはできていない。それほどまでに多かった。
となると、いま、この街を守るものがいる。
一人の、魔法少女が。
○
7月、梅雨が過ぎて太陽が灼熱に輝く季節。
真っ昼間の、最も世界が茹だる時間帯に、星路は屋上にいた。多くの学校同様に立入禁止であるが、この日は鍵がかかっていなかった。
星路の目当てはここでサボっている人物。
日陰にいくと、マットレスを敷いて仰向けに寝転がっているものがいた。
「こんにちわ。ご加減、どうですか?」
「お前が話しかけてきて最悪になったよ」
黒髪をセミロングにした女。
白い雪のような儚げな肌だった。
凛々しい顔立ちで男も女も憧れてしまいそうであるが、今の彼女の目つきはどんよりと濁っている。
三年生、犬山桜子。
この街をいま守っている魔法少女だった。
「やっぱりありますか、魔法少女の病気。体が縮んだり、大きくなったり、してるでしょ」
「そういうのはない。なんだよ、部外者だろ」
「魔法少女じゃないけど経験は俺のほうが長いですよ。なにがあったか教えて下さいな」
「…………」
桜子は面倒そうな顔をしていたが、黙って寝返りを打った。
それだけで彼女になにが起こっているのかわかった。
スカートの下から、ふさふさの犬の尻尾が出ていたのだ。
「アクセサリーって言い張ったらギリギリ通りそう」
「品行方正な生徒会長がこんなものつけていいわけないだろ」
「元でしょうが」
桜子が体を起こし、じっと星路を睨み上げた。
「で?」
「で、とは?」
「治し方、知ってるんだろ。教えろ」
――チューすれば治りますよ。俺と。
「症状が落ち着くまで代理を頼みましょう。俺の知り合いに聞いてみます」
「おい待て! 間があったぞ! 知ってるんだろ」
「さあ。まっ、休むのも悪くないでしょ。一人で怪物と戦い続けてるんだし。なんならやめるって選択肢も――」
「――ない」
桜子は立ち上がり、星路の襟首を掴んだ。
魔法少女の握力だ。ボタンがプチンと弾け飛ぶ。
「いいか、魔法少女をやめるつもりは、ない」
「……そこに義務も義理もありませんよ?」
「なくともやる。でないと、誰かが被害に合うだろう。そんなことがわかってて安眠できるほど図太くはないんだよ」
「あなたもその被害者の一人になるかもしれないのに」
「それでもだ」
彼女の決意は固い。鍛え上げた鋼のような光がその瞳にあった。
アリサもまた、レッスンに支障が出ていて、ストレスに潰れそうになっていても魔性少女をやめることはなかった。魔法少女はそういう人物を対象にしているのだろう。
見る目がある。まったく、腹立たしいほどに。
魔法少女というものを知ったときから、常に、星路の心のなかに嵐が渦巻いていた。
悲しみとか、不憫だとか、哀れみとかではない。
其は怒りである――。
ピリリ。
桜子のスマホが鳴る。通話でもメールでもない。
「――――休憩は終わりだな。いってくる」
「怪物出現アラーム? 魔法少女専用アプリ、入れてんですか」
「ああ。スパムかと思ったけど、便利だよ」
桜子はすぐにでも飛び出すだろう。
その前に星路が声をかけた。
「どこに出た。場所は」
「言うわけないだろ。避難勧告でも出せというのか?」
「そうじゃあない。手伝うってことだよ」
ふっと彼女は鼻で笑った。
「手伝う? できるわけがない。力もない、武器もない。男は、家に閉じこもってアイスでも食っておけばいいんだ」
「一人でなにもかもやろうとしちゃダメっすよ。危ないですよ」
「……ありがとう。そう言ってくれるだけで、助かるよ」
桜子は星路を突き飛ばし、呪文を唱えた。
「トランスフォーム!」
眩しい光が放たれる。
その光が消えたあと、桜子は魔法少女になっていた。
黒いレオタードに、お尻と鼠径部が丸見えのミニスカート。手足には犬をモチーフにしたガントレットとブーツがあり、腰の後ろにふさふさの尻尾があった。
桜子は、軽く手を振った。
「さよなら」
それだけ言って、彼女は空へと駆け上がった。
○
怪物が出たのは公園だった。
巨大なミミズに似た形状で、翼が生えていて、象ですら丸かじりにできそうな口が無数についている。
そんな怪物を桜子が蹂躙する。
犬が駆け回るように空中を高速で移動して、あらゆる方向から拳と蹴りを叩きつける。
ハッキリ言ってしまえば、魔法少女にとって彼ら怪物は雑魚だ。
桜子も負けたことがなく、倒すのに五分以上の時間がかかったことはないが、今回は違う。
「し、しぶとい! なんだこいつは!」
打撃の効果が薄い。
一方的になぶっているが、図体がでかいぶんうごめくだけで周囲に被害が出る。
「さっさと死んでしまえっ!」
桜子は超高速で蹴りつけ、勢いのまま地面に落とす。
いつもこれで片付いていた。
だが、今回は違った。
地面に叩きつけた瞬間、怪物の胴体がちぎれた。
「あっ?」
威力が強すぎたのかと桜子は思ったが、そうではなかった。
怪物はちぎれたのではなく『二体に分裂』したのだ。
その怪物の断面から無数の触手が伸びてサクラコを捕まえた。
「なにっ、くそっ! 離せ、離せっ!!」
触手の力は弱い。
桜子は簡単に引きちぎることができるが、脱出はできなかった。無数に襲いかかってくるのだ。無数に。
魔法少女も最初からフルパワーというわけにはいかない。力を振るうためには始動の間が必要だった。それを完全に潰された。
たちまち桜子は全身を拘束されてしまう。
「ちょ、ちょっと! うそだろ! こんなの聞いてないぞ! やめ、やめて、たす、たすけ――ぶぶっ!」
触手はサクラコの口にも入ってきた。
口をこじ開け、喉奥に侵入しようとしてくる。
やがて桜子の目も覆う。
外の光もほとんど見えなくなっていく。
桜子は確信する。
死んだ。
殺された。
もう人生が終わってしまったと。
しかし、彼女は知らない。
彼は本気だったことを。
彼は、頭がキレてる。
「桜子――。燃やすぞ――」
(はあ?)
桜子は幻聴かと思ったが、ちがった。
ほとんど暗闇になっていた視界が、ぱっと赤く燃え上がったのだ。
わずかに漂う匂いで、ガソリンをぶちまけたのだとわかる。
怪物の触手がその炎に驚いて力を弱まらせた。
その一瞬、彼女は爆発的に飛び上がった。
「うあああああああああああああああああああああああああああああ!!」
サクラコは咆哮とともに空を駆け回る。
駆け回りながら眼下の怪物と――、火に煽られている青木星路を確認した。
「こぉの、消えろっ!!」
桜子は音速を超えた一撃で怪物を撃破。
星路の炎もかき消した。
○
星路の部屋に、二人はやってきた。
星路はベッドに横になって、桜子から魔法の治療を受けていた。
燃えていた時間は短いが、火傷は致死率が高い。念入りにしなければならない。
治療をしながら桜子が尋ねた。
「質問がある。なんで怪物の場所がわかった」
「匂いを追っただけです。俺、わかるようになってますから」
「火が弱点だって知ってたのか?」
「ええ。あいつらは火が怖い。なんでか知りませんけどね。ガキんときはスプレーとライターで頑張ってましたよ」
といっても、殺すことはできない。そこまでの火力を人間が出せるはずもなかった。
完全に治ったので起き上がろうとすると、桜子に止められた。
「寝てるんだ。怪我は治ったけど、あくまで表面的なもの。疲れてるはずだぞ」
「そうっすかねえ。そうかも。でもあれっすね。桜子さんの病気、その影響わかりましたね。端から見てたけど、弱くなってます」
むっと桜子は唇をひん曲げた。図星だったはずだ。
「あんな怪物、普通なら一瞬で片付いている。なのに、俺がいくまで粘られてしまって、しかも負けそうになってる。このまま魔法少女続けるってのは、危ないっすねえ」
「――――スケベ」
「急になに?」
桜子は顔を赤くしている。怒っているような照れているような表情。
「調べたぞ。グループSNSで。魔法少女の病気を治す方法。まっ、まさか、あんなんだったとは……」
「…………」
「まさか、せっく」
「ちがうっ!!」
星路の反応が早かった。
「騙されてる! 騙されてるよ桜子さん! キス! チュー、接吻!」
「やっぱ知ってたんじゃないか! なんで黙ってたんだ、ええ!?」
「カマかけかよ……。いや、言えるわけないでしょ。」
自分とキスしたらその病気は治るよ。
口にした瞬間に殴られてもおかしくないド級のセクハラである。
そもそも尊厳に関わってくるので、そんなものしないほうがいいのだ。代わりもいるのだし。いや、やってくれるかは不明であるが。
「そもそも、俺が言ったところで、やりました?」
「やらない。そういうのは男女の関係がするもんだ」
「でしょ? なら――」
「でも、いまはしていいと思ってる」
桜子が星路の頭を抑える。
早い。逃がさないという意思を感じる。
「な、なぜ……」
「結局、私の体調を治さないと同じようなことが起こる。お前も、またガソリンで死にかける。命懸けって言葉は安いもんだが、お前の場合は本当だ。だったら、キスぐらい、なんてことないだろ」
「なんてこと、ある……」
「ご褒美みたいなもん――」
「そんなつもりでこんなことやってんじゃない!」
腹の底からの叫びだった。
桜子は微笑を浮かべる。
「だろうな。わかってる、わかってるよ。お前は、怒っているんだ」
「お前は、本気で魔法少女のあり方に怒ってくれてる。だから、任せられる」
桜子の唇が星路の唇と重なった。
○
よくない――。
まったくよくない――。
星路は夜中、一人自室のベッドで悶々と頭を悩ませていた。
春風アリサ。
夏川ひなた。
犬山桜子。
三人の魔法少女を助けてきたが、三人とキスをする関係になってしまうだなんて想像できなかった。
嬉しくないとは言わない。
彼女たちは信頼してくれている。
男女の付き合い以上のものだ。そんなものを得られるなんて、男冥利に尽きるといっていいだろう。
「でも三人はカスすぎるだろう」
魔法少女を助けてきたことに後悔はない。充実感さえある。
だが、恋があったからじゃないのだ。
そんな、そんなことで、戦ってきたわけじゃあない。
どうしたらいい。どうしたらいいんだろうか。
答えの出ない問題に悩み続ける星路。
そこに、声が届いた。
『だったらもう忘れたらどうだ?』
星路は、素早く枕を窓にぶん投げた。
枕はぴたりと止まり、星路のもとに戻ってくる。
いつの間にか窓が開いていて、そこから女が入ってきていた。
三十代の妙齢の女性だった。おっとりとした顔立ちである。
ゆったりとしたワンピースにカーディガンを羽織っている。病的なほどに白い肌だが不健康そうには見えない。
どこか、見覚えがあった。
「魔法少女……って、年でもないっすね。誰です」
「初対面じゃあないよ。君とは一度、会っている。わからないかな?」
星路は記憶の中を探った。
明らかに魔法少女の関係者。だとすれば学校の関係者や、ガソスタの人間なんてもんじゃあない。
となると数人しかいないのだが……、
「ひょっとして、月見里社長?」
「正解。アリサとひなた、よく守ってくれたね。ほんと、ありがたいよ。いまも新規の魔法少女を守ってくれてるようだしね」
月見里サユ。アリサが所属する芸能事務所の社長だ。
元々は女優であり、古い時代の映画によく出演していた。海外でも人気を博していたほどで、いまでもファンがいる。
それにしても、公式資料ではこんなに若々しくない。背中が曲がって、シワだらけのおばあちゃんだ。アリサを見送るときもその姿だった。
「魔法で、老人に見せてんの?」
「そうさ。魔法少女だって公表しても、年相応じゃないと余計なやっかみを受けるからね。それでも十二分に若いんだけど」
「それで、なにしに?」
「ちょっと、おもしろい話をしようかな、と。場所を変えよう」
月見里がそういうと、世界が変わった。
星路の部屋がテクスチャを入れ替えたように、チェーン店の個室になったのだ。
目の前にはテーブルがあり、コーヒーとドーナツが用意されていた。
魔法少女――、それもアリサたちとは比較にならないレベルだった。
月見里はコーヒーを一口すすり、星路に質問をする。
「君、いつまで続けるんだい?」
「いつまで、とは?」
「魔法少女の援護だよ。今回の、犬山桜子を助けたのは見事だったが、あれも彼女が油断しなければ問題にはならなかった。ストレートに言わせてもらうけど、大して役に立っていないよ?」
「本当にストレートっすね、腹が立つ」
星路はコーヒーに砂糖とシロップをたっぷり注いでから一息で飲み干した。
「ストレートに返してやりますよ。いつまででもやります」
「それじゃあ困るんだよねえ」
月見里は虚空から煙管を取り出した。
禁煙マークが部屋についているが、気にせずに煙を吸った。
「別に、君がハーレムを作ろうとしてるとは思ってない。そんな心で火だるまになるんなら感心しちゃうよ」
「じゃあ、なんです?」
「君に死なれるのは困る」
星路は、なんとも言えなかった。
「君は頑張りすぎた。魔法少女たちから信頼を積み重ねてるのに、ある日、ふっと死んでしまわれたら、あの子達のメンタルが心配だ」
「…………まあ、信頼は、されてると思いますけど。言うほどですか?」
「言うほどだよ。アリサにいたっては自殺するかもしれない」
「そんな、そんなに?」
こくこくと頷いた。
「君はもう、怪物に挑もうとしないでほしい。彼女たちが悲しむのは本意じゃなかろう?」
「……そうですね。それは、確かに、望んでいないです」
でも――と、星路は付け加える。
「アリサたちを笑顔にさせたいなんて殊勝な精神であんなことしてるわけでもないんです」
「というと、私の要求は?」
「ノーって言っておきます」
月見里はコーヒーを飲み干し、カップをテーブルに置いた。
そのカップに、煙管の灰を落とした。迷惑な客だ。
「記憶消去ってのも考えたんだけど」
「アリサとひなたと、桜子さんの記憶も消しますか?」
「そうなのよね。三人が納得しないのよね。それに、病気の治療も関わってくる。その手段は取れないわ」
かといって、ここで引き下がるつもりもない。
月見里は一つ、提案をしてきた。
「勝負しましょう、勝負」
「さすがに魔法少女とするのは嫌ですが」
「根比べよ。一人、私の弟子と勝負して、音を上げたほうが負けってね」
「根比べってことは、徒競走だとかそういうわけじゃあないんですね?」
月見里は頷いた。
さて、当たり前だが無謀である。
魔法少女は人外の化け物だ。その力を私利私欲に行使すれば、たちまち世界は混乱に落ちてしまう。怪物という存在があるからこそ許されているのだ。
それと勝負をする。
無謀で、無茶で、無理。やるまえから決している。
だからこそ、価値がある。
「いいですよ、やりましょう」
「勝負方法は聞かないのか?」
「なんでもいいですよ。なんでも。マラソンでもしますか?」
「殴り合いをやってもらう」
星路は笑った。
「俺の一番得意なもんですよ」