第一話 魔法少女、襲来
男の子にとって力ってのは勲章のようなものだ。
握力、腕力、走力。学力でさえも他人より突出していたら自己肯定感が青天井に高くなる。これが他の誰よりも低ければ自分が宇宙一情けないミジンコなんじゃないかと思いこんでしまう。
青木星路もそういう人間だった。
頭もさしてよくなく、足もそんなに速くなかった。
けれど、腕力は優れていた。
腕相撲でもケンカでも上級生にも勝てるし、古いゲーセンにあるパンチングマシーンではクラスで一番だった。
ところがある日、彼の自己肯定感は粉々に砕け散る。
「――――メタモルフォーゼ!」
幼なじみが魔法少女に変身したのだ。
彼女、春風アリサは空を飛び交い、巨大ミミズのような怪物を光のビームで撃退した。
このとき襲われていたのは星路である。
星路は彼女に救われてしまったのだ。
しかし、だから、惨めな思いをしたというわけではない。
彼女は人を救ったのに、誇ることもなくそそくさと姿を消した。
後日、なんで消えたんだと、星路はアリサに声をかけた。正体バレちゃってんじゃんと焦っていたが、彼女はあっさりと答えた。
「レッスンが迫ってたからだけど……」
星路はショックを受けた。
アリサは夢を持っていた。
自分のようなクソガキとちがう。
怪物を倒したことの称賛など、無益。
ひたすらに前を向いて、一歩一歩、地に足をつけて進んでいた。
おかげで、いかに自分がくだらない存在か、宇宙で一番つまらないのか、思い知ってしまったのだ。
恥ずかしい。恥ずかしくてたまらなかった。
星路はスッパリと喧嘩を止めた。アリサの活動を手伝うようになった。
怪物が襲っている人を助け、怪物の囮になって、アリサが安全に怪物を倒せるように奮闘した。しかし、ほとんど役に立つことはなかった。ただのクソガキが、超常的な力をもつ存在の争いに関われるはずもないのだ。
小学校を卒業するころ、アリサは芸能事務所のオーディションに合格し、アイドルデビューを果たした。
その一方で、魔法少女として怪物の討伐を繰り返している。
星路はそんな彼女を遠くから見ているだけだった。
○
「青木くんってアリサと幼なじみってマジ!?」
高校二年生になったばかりの春、星路はこんなことを尋ねられた。
「マジだけど、とっくに疎遠だよ。忙しいからほとんど帰ってきてないようだし。サインももらえないからな」
「え~~。あーでも、そうだよねー。ほしかったんだけどなあ、サイン」
春風アリサはクインプロという東京の芸能事務所に入っている。
二年ほど前から頭角を現し、いまではアイドルとしても女優としても売れっ子になっていた。
歌を出せば一日で何百万再生が当たり前になっていて、SNSで写真を上げたら確実にバズる。時代の寵児というやつだ。
男女別け隔てなく人気で、街に出れば曲が聞こえてきて、コンビニに入るとグラビアが目に入って、動画サイトを眺めていれば広告がすっと差し込まれてくる。
対して、星路は至って普通の高校生になっていた。
部活には入らず、とりあえず勉強をして、一日一日をこなしているだけの日々を送っていた。喧嘩もしていない。
なにか目標があれば生活にハリが出てくるのだろうが、やりたいことも成りたい職業もなかった。
そして、6月。
傘を忘れた星二は土砂降りの中を必死に走って家まで帰った。
まだ親は帰宅しておらず、家の中は真っ暗だった。
急いで風呂場にあるバスタオルで体を拭き、制服を脱いで、自分の部屋に上がっていった。
そこで扉を開けて――、
「――おかえり、星二くん」
「うぉぉおおお!?」
アイドルになったアリサと再会した。
○
一応は来客なので、星路はコーヒーを出した。
リビングに呼ぼうとしたが、ここがいいとベッドの上からテコでも動こうとしなかった。体育座りをして四角に収まってる。東京で通う学校の、ブレザーの制服を着込んでいて、ちょっと姿勢を変えれば下着が見えそうだった。星路はそんなことはしない。
「で、なんなんだ?」
「ちょっと困ってんのよ、うん」
アリサは星路から視線をそらしながら言った。
わかっていたことだが、彼女は子どものころとは大違いだ。
アリサは日本生まれの日本育ちであるが、両親はヨーロッパ出身だ。
キラキラした青い瞳にスラリとした美しい顔立ちで、流れるような金髪をきゅっとツインテールにしている。
背丈も大きく伸びて、バレー選手並の180センチと長身になっていた。
余分な贅肉は殆どなく、ダンスもやっているのでアスリートのように筋肉質な体型をしている。華やかな存在だった。
日本中の人気者。
それほどまでに綺麗であり、その綺麗さを維持するために努力をしていたのだ。
ただ、星路はどこかしら違和感があった。
ベッドの上で体育座りをしているアリサの、なにかがちがう。
テレビや雑誌、動画サイトではメイクやなにやとしているから違っていて当たり前ではあるが、そんな表面的なものじゃなく、根本的ななにかがおかしい。そう星二は感じていた。
「……あのさあ、おばさんには話せないことなのか?」
「お母さんには話したよ。事務所の社長にも話した。それで、その、結論が、セージくんに協力してもらうってことになって……」
せいじ、ではなく、セージと呼ぶ。懐かしいものだった。
「なんで? アイドルの手伝いなんてできないぞ?」
「そっちじゃない。魔法少女のほうなの」
「ますます俺になんとかできると思わないが……」
空をピュンピュン飛んで巨大ミミズを打ち倒していくアリサの姿が脳裏に蘇る。
まだ小学生だったころの記憶だが鮮明だった。
星路ができることなんて声かけに、囮になるくらいのこと。拳が自慢だったが、殴ったところで無意味だというくらいわかっていた。
「うーん、魔法少女っていっても、戦いとかじゃなくて……。その、ケアのようなもんなんだけど……」
「ケア?」
「そう。魔法少女って、いつまでも魔法を使えるわけじゃなくて、回復というか、補給をする必要があって…………」
ますます星二にはわからなかった。
補給だというのなら飯でも食わせたらいいのだろうか。それならどっかのレストランやシェフに頼めば事足りるはずだ。クインプロにはそれだけの財力がある。
「それは、その、信頼できると言うか、打ち明けてもいいかなって人を相手にすべきだってことで……。それで、こんなのセージくんしかいないじゃんってなって、ね?」
「ね? って言われても。だから、なんなんだよ」
アリサは恥ずかしそうに顔を赤くして、星二から視線をそらしたまま、小さな声で言った。
「……、を……で」
「聞こえないよ。なんだって」
「だから、……う、を……」
「なんだって?」
星路が近寄ると、アリサは観念したかのように大声で叫んだ。
「私にチューしろっつってんの!!」
「――――」
星路は開いた口が塞がらなかった。
アリサは体育座りをやめて、ベッドから降りて、立ち上がった。
そこで違和感の正体に気づいた。
アリサが、痩せていた。いや、縮んでいた。
制服はダボダボ、スカートはいまにもずり落ちそう。手足も細くなっていて、ツンっと浮き上がっていたおっぱいも平たくなっていた。
身長もである。彼女は公称180センチなのに、いまでは150センチほどしかなかった。
「これが魔法少女の魔力欠乏症よ! どうよ! やばやばでしょ!」
「や、やばい……。え、手術したわけじゃないよな……」
「ちがう! するとしても気づかない程度でしょ! こんなの誰でも気づいちゃう! 中学生並になっちゃってんだもん!」
アリサはいじらしく見上げてくる。星路はなんだかぞくぞくするものがあった。よしよしと頭を撫でたくなるがドセクハラなので我慢する。
「その、異常がお前に起こってるのは理解したよ。したけど、なんでき、き、キスすることになってんだよ」
「照れるもんでもないでしょ。ちっちゃいころはチュッチュチュッチュしてたのに」
「してねーよ! 捏造すんな!」
「まあまあ、睡眠中とかチャンスはいくらでもあったわけだから」
怖いことを言うなと星路は眉をしかめた。
「質問に答えろよ。なんでキスが必要になる」
「魔法少女の力の源は愛だもの。愛といえばキスでしょ」
「親子愛! 家族愛! ファンの愛!」
「恋愛の愛だっての! いいからチューさせてよ! それとも私がこのままでもいいっていうの!?」
卑怯である。星路にはそんなこと言えない。
彼女がアイドルになるために努力して、魔法少女の活動も続けていたのもその後ろで見続けていた。親よりもレッスンコーチよりも彼女の苦労を知っているのだ。
星路は渋々ながらも要求を受け入れるしかなかった。
「でも、協力って言っても……。お前はいいのかよ。曲がりなりにもアイドルだぞ」
「どうせドラマでキスシーンとかやるんだから早いうちにやっとくべきだよ」
「……俺はドラマとかでねーんだよ」
「さあ、わかんないよ? じゃ、して」
アリサは目を閉じ、くいっと顔を持ち上げた。
その瞬間、星路はカチカチに固まった。
なんということでしょう。
春風アリサ――おそらく中学生の姿――が可愛すぎる。
小学生のころ、ともに怪物を追って冒険バトルをしていたころは意識することはなかったがもう高校生になってしまっていた。
一端にクラスメイトたちとの話題で彼女やセックスの話題も出てくる。合コンに誘われることもあった。恋愛が生活の中に入ってくる。
そんな年頃の男にこんな可愛く美しい輝く華のような女の子が唇を捧げようとする。
(いや、ダメだろ。魔法少女だからってアイドルだし、そもそも付き合ってすらないんだ)
したくないかといえば大嘘。
したい。キスしたい。青木星路も男子高校生。性欲という暴力を懐に抱えている。
だが、それを表に出さない理性、というよりも見栄を持ち合わせている。
特に春風アリサの前では、その理性は鋼鉄よりも強固――頑固になる。
よって、星路はぐっとアリサの肩を押し返した。
「ダメだ。やっぱり他の方法を――」
「――どうせそうすると思ったよ」
アリサは早かった。
星路の手を払い除け、逆に彼の顔を両手で捕まえ、飛び上がった。
「むうう!?」
アリサが星路の唇を奪った。
ロマンティックとは程遠い。美少女であるがやってることは狩猟だ。
落ちないようにアリサは両足で星路の体にしがみつき、まさにむさぼり食うようなキスをした。
長い、長い長い一瞬のあと、変化が起こる。
「むぅぅっ!? きた、きたきたきた!」
星路も感じた。
アリサの生ぬるい唇が、熱くなっていった。
その手も、体も、人体のタンパク質が変質してしまいかねない高温になっていく。まるで、空に君臨する太陽のようだった。
「ぶはっ!」
アリサが星路から離れる。
その肉体はみるみるうちに成長していき、ほんの数分もしないうちにアイドル・女優・歌手の春風アリサとなっていった。
「完全復活! どうだい、セージくん。君のチューで、愛で、春風アリサは元気いっぱいだよ」
「俺はびっくりだよ。なんちゅーことすんだ」
星路は唇を押さえた。感触が残ってしまっていて、頬が赤くなってしまっている。
「そんなイタズラされたみたいな反応しないでよ、嬉しくないの?」
「そういう問題じゃあないだろ……」
「気にしなくていいよ。というか喜びなさいよ。私とチューして、そんなに
嫌だった?」
卑怯な言い方だった。星路は彼女から目を逸らして、ボソボソというしかなかった。
「――じゃぁないよ」
「え!? なんだって!?」
「嫌じゃあないよ!! お前みたいな美人とキスして、嫌なわけがあるか! 嬉しかったよ、バカ!」
「にっへへへへ」
子どもの頃に戻ったような笑い方だった。
久々に見るアリサの笑顔である。ドラマや写真では見ることのない、子どもの、ガキの笑い方だった。
彼女は星路の目の前で呪文を唱えた。
「メタモルフォーゼ!」
瞬間、彼女の衣服が変わった。
もとはブレザーの制服といった格好だった。
それが光がパッと放たれたと思ったら、白のレオタードに変身した。
肘まで届く手袋、踵に羽がついたブーツを履いていて、腰にはひらひらのミニスカートがあったが、あまりに短すぎて、お尻も股下も丸見えの、無意味なひらひらだった。
「……ガキのころはなんとも思わなかったけど相当変態だと思うよ。その衣装考えたやつ」
「大昔から続いてるらしいからすごいよ。じゃっ、今日のところは帰るね」
そういってアリサは部屋の窓を開けた。
そこから飛んでいくのだ。
子どものころも、そうやって遊びにきていたのだ。
狂おしいほどの懐古が胸の奥から溢れてきたが、星路は言った。
「もう二度とくるんじゃないぞ」
春風アリサはアイドルだ。
華やかに歌い踊り、時には演技もする。
ただの高校生となったなんにもない男のもとにくるべきじゃあない。
なのに彼女はにへっと笑って、星路に言った。
「くるよ、もーっとくる。何度でも」
「くるなって」
「くるよ。今度は後輩ちゃんもね。バイバイ」
アリサは手を振って飛び出していった。
その姿は灰色の空に溶けてあっという間に見えなくなる。
星路は窓を閉め、ベッドに倒れ込んだ。
「なにが起こってるのか事前に連絡しろ、アホ」