9、プルームの宿
しばらく進むと、商店街のにぎやかさは消えていった。行き交う人も少なくなり、ちらほらすれ違うだけだ。街は人も多く、雑多なもので溢れかえっていたのに、今は白い壁に赤い屋根をした建物がつらなる、静かで広い道があるだけだった。
「ここは高級住宅街です。この先を行ったところに宿があります。もうすぐなので、ここから歩いてもらえますか」
「わかったわ」
メイベルは素直にうなずいた。万全とはいかないが、もう歩けるくらいにはなっている。メイベルはヘーゼルに支えてもらいながら歩かせてもらった。
宿にはすぐについた。黒地に「プルーム」と金色の筆記体で書かれた小さなプレートが白い壁に張りつけてあるだけで、ルーカスに言われなければそこが宿とはわからなかった。木製の扉をルーカスがノックすると、この住宅街に似つかわしくない、背の小さなもじゃもじゃした白髪の老人が顔を出した。
「プルームへようこそ。予約は?」
「ない。通せ」
ルーカスは乱暴に言った。
白髪の老人は、ぎょろっとした目でじろじろとルーカスを見つめると、ぽんと手を打った。
「ルーカス坊じゃねえか!」
「坊はいらない」
ルーカスはいつになくむすっとしていた。メイベルはヘーゼルと顔を見合わせた。
「やあやあ、お嬢さん方。外は寒いでしょう。お入りください。てめぇ、このルーカス。妾さんをふたりも連れ込みやがって」
白髪の老人はぐりぐりとルーカスのわき腹を小突いた。
ルーカスは無言で老人の頭をはたく。
「妾じゃない。それより早く案内しろ」
「冷たいなぁ。数年ぶりに会ったのに」
老人はうらめしくルーカスを見ると、今度はメイベルとヘーゼルに目を移し、うやうやしくお辞儀した。
「どうもどうも。わたくしめはプルームの宿に古くからつとめるスカー・ペルーと申します。ルーカスのやつを小さい頃から知っておりますので、お嬢さん方がお望みなら、いろんな話をして差し上げられますぞ」
「するなよ」
圧のこもった目をしてルーカスが言った。
「大丈夫よ。興味ないもの」
メイベルが悪気なく言うと、スカー・ペルーは一瞬、ぽかんとしてからくつくつと笑いだした。ルーカスはなんとも言いがたい顔をしていた。
「お嬢さん、お名前は?」
「メイベルです」
「良い名だね。隣の儚げなお嬢さんは?」
「ヘーゼル・ヤードです。ルーカスさまの侍女をしております」
「そうかい、そうかい。入りなさい」
スカー・ペルーは目を細めてメイベルとヘーゼルを入らせた。扉をくぐると、そこには暖かな布の敷かれた上品なしつらえの家があった。天井に下がるランプも洒落ている。いい雰囲気の宿だと感心していたら、スカー・ペルーは廊下の先に案内するのではなく、宿の従業員用の扉かと思っていた粗末な白い扉を開けた。薄く開いた扉の先には、暗い下向きの階段が見えた。
「レディー・ファーストといきたいところですが」
スカ―・ペルーはルーカスの名を呼んだ。ルーカスは黙ってメイベルたちより先に立ち、階段を降り始めた。念のためだとスカ―・ペルーは言った。
「プルームの地下場へようこそ。なあに、地下にいる連中もみんなルーカスの馴染みですから、必要以上に身構えることはありませんよ。坊が何しに来たのかは、知らないがね」
「坊って言うな」
「ルーカスよ。おまえはこのお嬢さんをどうするつもりかね」
「……答える義理はない」
「義理ねえ。まあ、いいさ。わしもあとから行くんでね」
「あんたは来なくてもいいだろう」
「じじいは心配なのさ」
ルーカスは嫌そうな顔をしてため息をついたが、それ以上何も言わなかった。
「行きましょう」
ふり返ったルーカスに話しかけられ、メイベルは内心びくっとした。
(二重人格なのかしら)
ヘーゼルはルーカスの態度にとくに驚いた様子がないのが、不安を煽る。
(スカ―・ペルーの言うとおりだわ。私をどうするつもりなのかしら)
薄暗い階段を下りながら、メイベルは帽子のつばをぐっと前にさげた。