3、ルーカス
メイベルが目を覚ましたのは、豪華なベッドの上だった。天井もかべも見たことのないきらびやかなもので、色のない小さな小屋で過ごしてきたメイベルには目がチカチカした。崖から落ちたことまでは覚えているが、見覚えのない部屋にいることにうすら寒さをおぼえる。
(どこなの、ここは……)
メイベルはふかふかのベッドから身を起こした。ずきっと足が痛み、顔をゆがめる。
(捕まったのね、結局。死ぬわけでもなく、逃げられたわけでもなく)
そのとき、肩に手をかけられ、横にさせられた。びっくりして身を引くと、簡素で地味だが質のよい服を着ている若い女がいた。それでもメイベルよりは年上だ。彼女は表情を動かさず、感情のこもらない声で言った。
「骨が折れています。若旦那がくるまで待ってください」
メイベルがあわてて布団をめくりあげると、足を包帯でぐるぐるに巻かれ、固定されていた。
「木に引っかかり、地に落ちる前に受けとめたのです」
抑揚のない声で話すこの女は、メイベルのそばについて看病していたらしい。額にあてる白い布をたらいで絞っていた。メイベルは恐怖をせいいっぱい抑えながら、女を横目で見た。
「あなたは〈嵐追い〉?」
「いいえ。どちらかというと国に喧嘩を売っている側かもしれません」
「……。あなたが私の手当をしてくれたんですか」
「はい。しかしあなたを保護するように言ったのは若旦那です」
「若旦那?」
「はい。この後来ますので」
彼女はメイベルを見た。
「わたくしは若旦那のもとで侍女のようなことをしている者です。ヘーゼルとお呼びください」
「……」
「主にあなたの怪我が治るまでお世話をさせて頂きます」
「どうして」
「はっきり申せば、若旦那はあなたを利用しようとしているのです。しかし、国の連中に捕まるよりは良い扱いですよ。もし〈嵐追い〉に捕まっていたら、骨が折れても引きずられて歩かされたり、万が一だと殺されたりしていたかもしれませんから」
「それはちょっと厚かましいんじゃないかしら」
メイベルが不機嫌に言うと、侍女は「それもそうですね」と大人しく引きさがった。〈嵐追い〉ではなくても、半分拉致されていることには変わりない。
「若旦那ってだれなの。私をどうするつもり?」
「それはおいおいお話します」
空きっぱなしになっていたドアから間髪入れず現れたのは黒髪の青年だった。出てきたタイミングから、どう考えても盗み聞きしていた。穏やかそうな顔をしていながら、透き通るような黄色い虎の目をしているところが、隙のなさを表しているようだ。青年はとくに表情を変えずに言った。
「ルーカス・エイマンといいます。あなたを連れてきたのは僕です」
メイベルは相手の名前に聞き覚えがあった。
「ご丁寧にどうも。大商家のご子息が誘拐なんて真似をするとは知りませんでした」
青年はとくに怖気づくことなく返した。
「エイマンを知っているんですね。人里離れた丘で暮らしていると聞いたので、まさか知っているとは思いませんでした」
「こちらこそ育ちの良いお方が聞き耳を立てるなんて行儀の悪い真似をするとは、思いも寄りませんでした」
「あいにく僕は養子なので、それほど育ちは良くないのですよ。あなたは骨が折れていても逃げ出しそうですしね」
嫌味を言っても、相手は飄々としていた。
メイベルはきっと相手を睨んだ。
「人を人とも思わないようですね」
「よく口が回りますね」
ルーカスはメイベルの態度に呆れたようだった。ちらりと包帯の巻かれた足を見る。
「怪我を治すまではこちらにしばらく滞在してもらいます。伝え遅れましたが、ここはエイマンの屋敷のひとつです」
「どの土地ですか」
「国の西方の地方都市です。あなたのいた丘から馬車で二日くらいです」
「ウィンバー辺りですね」
あの丘から馬車で二日といえば、西側にあるもっとも大きな都市、ウィンバーだろう。むろん、メイベルは馬車での遠出などしたことがない。来るのははじめてだったが、地理はよく祖母に叩き込まれていた。
ルーカスはまじまじとメイベルを見つめた。
「地名もわかるのですか」
「育ちが良いもので」
メイベルは機嫌が悪かった。この男と話していると、何を言ってもけんか腰になりそうだ。
そもそも、急激にいろんなことが降りかかってきたメイベルは、尋常でないほど気が立っていた。ただでさえわけのわからないことが起こって、拉致されているのだ。祖母のことも心配だ。どう転んでも機嫌は良くならないだろうことは明白だった。ルーカスもそれを察知してか、軽いため息をつくと言った。
「詳しい事情はあとでまた話します。ヘーゼル」
呼ばれた侍女はそばに置いてあったたらいと布を持ち上げると、ルーカスの後ろについた。
「また様子を見に来ます」
ヘーゼルは頭を下げ、そそくさと部屋を出る。ルーカスも部屋を出ようとしたところで、メイベルはふとミミズクのことを思い出し、呼び止めた。
「エイマン」
「ルーカスでお願いします」
メイベルはルーカスの名を呼びたくなかった。ファーストネームだと敬称をつけずにいるのも敬称をつけるのも腹が立つので、無視することにした。
「ミミズクを知りませんか?」
「ミミズク?」
ルーカスはきょとんとした顔をした。
「はい。喋るミミズクです。枯葉色の」
「なにを言っているんですか?」
ルーカスは困惑していた。
「頭を打っておかしくなりましたか」
「知らないのなら結構です。忘れてください」
メイベルはむっとして、ルーカスを睨みつけた。
ルーカスは奇妙なものを見る目でメイベルを見つめると、部屋を出ていった。