2、逃亡
メイベルは荷物を抱えて丘をくだった。何度も石がひっかかっては転びそうになる。最初はためらいがちに歩いていたメイベルも、今は駆け降りるようにして丘を降りていた。遠くから、闇を塗りこめたような分厚い雲がやってきている。
(よくないものが来ている……)
メイベルは肌でそれを感じとっていた。なにかはわからないが、あの雲の向こうに痛々しいくらいの気配がうごめいており、こちらにやってきているのだ。
(逃げろと言われた意味もわかる)
正体をたしかめる前に、えんえんと続く細道を急ぐほうが先だった。丘を降りれば、人がいる。ふもとには小さな町があり、市まで行けば人でごった返しているはずだ。
そのとき、メイベルの頭上をはるか高くとぶ影があらわれた。
「やあ。きみがメイベルだね」
神経質になっているメイベルは、勢いよく声のほうを振り返った。頭上を飛んでいるのは枯葉色をしたミミズクだ。
「今しゃべったの、あんた?」
メイベルは声を張りあげた。しばらく沈黙がおとずれ、ミミズクの羽の音だけが響いた。メイベルが気のせいかと思いかけたとき、ミミズクはやっとくちばしを動かした。
「つまんないね。丘で暮らした世間知らずは、これだから困るんだ。ふつうの娘なら『えっ』とか『きゃあ』とか言うんだけど」
メイベルは眉根を寄せた。
「悪かったわね」
「そういうとこだって、わかんない?」
ミミズクはずっとふざけた調子だった。余裕がないメイベルは付き合う気になれなかった。
「今、私は逃げてるの。あとにしてくれる?」
「〈嵐追い〉のことかい?」
メイベルはあわててミミズクを振り返った。
「何か知っているの!?」
「そりゃもちろん。おれはきみより、きみたちのことについて知っているかもね」
「教えて」
「いいとも。おれはメイベルに教えるために来たのさ」
ミミズクは話しはじめた。
「まず、きみを追ってきているのは、〈嵐追い〉という国の特殊部隊なんだ。あいつらは良くないよ。拷問とかするので、おれはきらい」
メイベルは真っ青になった。
「なんでそんなものが私を追ってるの」
「それはもう、そういう宿命だと言うしかないねぇ。きみのお母さんもそのまたお母さんも、〈嵐追い〉に追われてきたんだ。きみがその代になっただけだよ」
メイベルはお母さんという響きにどきりとした。メイベルに母はいない。母と父は亡くなったと聞いていた。
(お母さんが亡くなった理由って)
背筋が凍るような答えが頭をよぎる。だが、メイベルは怖くて聞けなかった。ミミズクは話を続けた。
「メイベル、きみのいるこの丘は、いつでも嵐が吹き荒れていたね」
「ええ」
「それはきみがいたからなんだよ」
「……」
本当なのだろうか。
「きみが赤ん坊の頃にここに移ってきてから、嵐が吹き荒れはじめた。もとは名もない平和な丘だったんだよ。嵐はきみを守るためにあったものだ。〈嵐追い〉が破っちゃったけど」
メイベルはあっけにとられた。
「私の血筋って何なの」
「いろいろ呼ばれてるよ。通りがいいのは〈嵐が丘の娘〉だけどね」
「聞いてるのは、どうして追われてるのかってことよ」
「まだ知らなくていいよ。今は逃げることだけ考えて」
そう言われても、納得はいかない。
「国にとって利用価値が絶大にあるということだけ言っとくね。支配下にあれば都合のいい便利な飛び道具、そうでなければ超危険分子。そんな感じ」
「待って。おばあちゃんは大丈夫なの!」
「大丈夫。おれが見つからないようにしてきたし、きみたちは、次の娘へ力が移っていくのさ。きみの代ってわけだよ、今は」
(なによ、それ……)
呪いのようだと思った。メイベルの母も、祖母アデイラもこうして逃げてきたのだ。
メイベルはなんだか無性に腹が立って、ずかずかと前に進んだ。おかげで先が崖であることに気がつかなかった。
「あっ、メイベル……」
ミミズクが言ったときにはもう遅かった。メイベルは真っ逆さまに、崖の下に広がる森へ落ちていった。
続きます