10、地下の商売人
階段を下りた先にはさらに茶色い扉があり、ルーカスは扉をノックした。出迎えも返事も待たず、ルーカスは勝手に扉を開けた。メイベルが中を覗き込むと、そこには宿の上品さとはかけ離れた粗末な部屋があった。
酒場くらいの広さはあるが、ろくに絨毯も敷かれていない木張りの床で、柱にも年季を感じる。中心には大きなテーブルが置かれており、その周りにもいくつか椅子が置かれていた。そしてその椅子に座って数人が話し込んでいた。
彼らはいっせいに扉のほうを見た。ルーカスを上から下までじっくり見ると、顔をぱっと明るくした。
「だれかと思えばルーカスじゃないか! どうしたんだ」
「ちょっと、用事」
ルーカスはぶっきらぼうに答える。
「なんだ水くさいな。久しぶりだし、団らんといこうじゃないか」
「あんたたちの団らんは商売の会合だろ」
「それも悪かないだろう」
「あいにく今は時間がない」
丁寧な物腰から打って変わって、さっきからずいぶん砕けている。品が良いとはいいがたい。
「あんた、本当に商家の跡取り息子?」
思わずたずねると、ルーカスは横目でメイベルを見た。しばらくじっと見ると、目をそらして「そうだけど」とだけ言った。ルーカスは男たちに問いかけた。
「じいさんはいないのか」
「バルディンのじいさんか?」
男のうちのひとり──淡い茶色の髪をした男が答えた。アーチ状の薄い眉と、深緑色の丸い瞳が、人の良さと穏やかな印象を与えており、快活さと気安さが、その陽気な顔ににじみ出ていた。この人なら友達が100人いると言っても驚かない、とメイベルはこっそり思った。
「あの人は、ちょうど王宮に向かったよ」
「なんで王宮なんかに」
「さあ。急用だって」
ルーカスは顔をしかめ、考え込む顔になった。しばらく黙っていると、茶髪の男が後ろのメイベルたちに目をやった。
「彼女たちは?」
「バルディンのじいさんに会わせるつもりだった客だ」
「そうじゃなくて、どういうお嬢さん方だって聞いてるんだ」
「帽子をかぶってる方が、客。そばに立ってるのが侍女のヘーゼル」
「客、だけとはずいぶんな言い草だな。女の子は丁重に扱うものだぞ」
茶色の男はメイベルの方に向き直ると、うやうやしく手を差し出した。
「ギルバート・ハートだ。ギルでいいよ。主にウィンバーで商売してるしがないおっさんだ。お嬢ちゃんは?」
「メイベルと言います」
メイベルは差し出された手をとって握手した。
「良ければ今度、食事に誘いたいな」
「囚われの身なので無理よ」
メイベルが言うと、ふむ、とギルはあごに手をあてた。
「うまい返し方だね。けっこう気に入った」
ヘーゼルが庇うようにメイベルの前に出た。
「メイベルさまを座らせてくださいませんか」
「ああ、ごめん。俺も紳士の道から遠いな」
ギルが快活に笑うが、ヘーゼルは表情を動かさず答えた。
「メイベルさまは脚を怪我しておりますので」
「なんだって? こういうことはルーカス、おまえが気を回すべきだぞ」
「ナンパ男に言われたくない」
「おお、嫉妬か?」
「違う」
(ここに来てからずいぶん子どもっぽい)
メイベルは装備が解けたように打ちくだけたルーカスを見て思った。思っていたより人間らしい。メイベルは興味本位でルーカスに話しかけてみた。
「ねえ、これからどうするの。〈嵐追い〉がつけてるかもしれないんでしょう」
「バルディンがいないなら仕方ない。ウィンバーにすらいないんだ」
ルーカスはメイベルに距離をとっていたことを忘れたらしく、ごく安穏に答えた。しかし、今の一瞬で、ギルは顔をこわばらせていた。
「〈嵐追い〉だって?」
その場に緊張が走る。しん、と静まりかえった。
「〈嵐追い〉がつけてるって、なんだ。ルーカス」
「……」
ルーカスは焦った顔をするが、答えない。
「メイベルと言ったね。きみは何者なんだ?」
ギルの穏やかな明るさは、いまや剣呑な雰囲気に打ち消されていた。メイベルたちが沈黙していると、一人の男が立ち上がり、そのままメイベルに近づいた。顔を隠していた帽子を、そっと持ちあげる。息を呑む音が聞こえ、空気がはりつめた。
メイベルの白い髪があらわになり、どこまでも透き通る翡翠の瞳が周りを映し出していた。周囲がざわつく。
「白い髪に、翡翠の瞳。そんな子、見たことないね。少なくとも、俺はないかな」
そんなに珍しいのだろうか。
「見当はついてるってこと」
メイベルが警戒しながらたずねると、ギルはぎゅっと目をつぶり、こめかみを押さえた。
「まあ、〈嵐が丘の娘〉だろうなぁ……」
ギルは顔をあげると、ルーカスを見た。
「ルーカス。この子はどうした?」
「……。〈嵐追い〉に追われていたところを、介護した」
メイベルはその言い草にむかっと来て、思わず言い返してしまった。
「介護ですって? 勝手に連れて軟禁してたの間違いじゃないの」
ギルは顔をくもらせた。
「そんなとこだろうと思ったよ。ルーカス、なんでこんなことをしたんだ。そこまで性根の悪いやつじゃないって俺たちは知ってるぞ。何があった?」
「……言えない」
「言えないにしても、これは一線を超えている。女の子をひとり、さらったんだぞ。しかも嵐が丘の子ときた。追われていると知っていて、なぜ連れ回す。おまえのやっていることは、自殺行為にしか見えないぞ」
「見返りが大きいからやるんだろう。それに、同じせりふを僕や僕の兄さんに言えるか?」
冷静に返され、ギルは一瞬黙ったが、ひるまなかった。
「まず、あやまれ。メイベルに」
ルーカスは表情を動かさないまま、黙った。今度は言い返す言葉がないらしかった。
「責任をとれ。この子が〈嵐追い〉に捕まらなかったのは幸いだが、おまえもこの子を利用するようじゃ、結局は同じだからな。連れてきたからには守れよ。勝手に連れてきたんだから、これは当たり前のことだ。言うまでもないことだ」
メイベルはギルを優しい人間だと思った。同時に、このような優しい人がそばにいてどうしてルーカスがここまでひねくれているのかわからない。
「お言葉だけど、守ってもらうつもりはないわ。どうせ利用する腹づもりなんでしょうし」
メイベルが腰に手を当てて抗議すると、ギルは複雑な顔をした。
「待ってくれ、お嬢ちゃん。まず、自分の立場をわかっているのか。それにルーカスが何を企んでるのか、絞りだしてからでも遅くはないだろう」
ギルに言われては仕方ない。メイベルは素直に「わかったわ」とうなずいた。
「私も何がなんだかわからないの。話を聞いてから決める」
ギルが「よかった」とため息をついたときだった。
階段から一段ずつ降りてくる音が聞こえた。一同が警戒して扉を見る。音が、一歩、また一歩と近づいてくる。
「誰だ」
男の中のひとりが問いかけた。メイベルも息を呑んで扉を見つめる。伸びた影が入口に差し込み、現れたのは──
「よう。なんだか雰囲気が悪くっていけねぇや」
酒瓶を片手に持ったスカー・ペルーだった。一同は彼を殴り飛ばしたい衝動に駆られた。




