第77話 追放幼女、交渉をする
2024/08/26 爵位と家系に関する一部表現を修正しました
「広く、ですか」
アルフレッド卿は表情を変えず、じっとあたしの目を見てきている。
「ええ、そうですわ。うちのチャップマン商会で地金の取り扱いをさせ、それを多くの皆さんに買っていただきたいと思っておりますの」
「……」
アルフレッド卿の目がスッと細くなった。ただあたしをじっと見ているだけなのに、逃げ出したくなるほどの圧を感じる。
でも!
「ですから」
あたしはそこで言葉を切り、アルフレッド卿の目をじっと見つめ返す。
あたしは負けない!
「わたくし、スカーレットフォードの区画整理が終わった後は街道の整備に着手する予定ですわ」
するとアルフレッド卿の眉がピクリと動いた。
「街道を?」
「ええ。今、スカーレットフォード街道はここで終わっているでしょう? でも、もしビッターレイからスカーレットフォード街道を通って王都と行き来できるようになれば?」
「……」
アルフレッド卿の表情がほんの少しだけ険しくなった気がする。それに伴って圧も上がり……。
ううっ……。
あたしは思わずエドワード卿のほうへと視線を逸らした。するとエドワード卿が口を開く。
「スカーレットフォードから王都へ、ですか? さすがにそれは難しいのでは……」
ふう。良かった。エドワード卿のほうはまだ話しやすいんだよね。
「あら、エドワード卿だってビッターレイからスカーレットフォードに道ができるなど、思ってもみなかったのではなくて?」
「……そうですな」
「ならば、他の町とだってできないはずがないでしょう? それに」
「それに?」
「街道ができ、魔の森が分断されれば魔物の脅威が遠ざけられますわ。それはスカーレットフォードだけでなく、王国全体にとっても良いことなのではなくて?」
あたしは微笑みを浮かべ、アルフレッド卿へと視線を戻した。しかしアルフレッド卿は表情を変えず、同じ圧を出しながらあたしの目をじっと見返してくる。
だが突如、表情が緩んだ。
「そのとおりですな。いやぁ、大人びているとは聞いていましたが、ここまでとは思いませんでした。ぜひとも、そのお話に協力させてください。我々としても、オリヴィア嬢のご実家であるサウスベリー侯爵領を通らない交易路ができることは大変ありがたいのです」
先ほどまでの圧はどこへやら、一転してアルフレッド卿は穏やかな表情を浮かべている。
「あら、よろしいんですの? わたくしの前でそのようなことを」
「ええ、問題ありません。自分を虐待し、殺すつもりで追放するような父親に与するとは思いませんからね」
「あら? どうしてそのことを?」
「ははは。オリヴィア嬢はミュリエル嬢に色々とお話になられたそうではありませんか。わざわざそのようなお話をされたということは、貴族社会にそのことを広めたかったのでしょう?」
あ……全然考えてなかった。けどあのとき初対面のミュリエルにネグレクトされたとか話したし、そりゃあ面白おかしく広がるよね。
「今、どうなっていますの?」
「知りたいですか?」
「ええ」
「王都では今、サウスベリー侯爵はまだ幼い実の娘に乱暴をした悪魔憑きであると噂されています」
「へっ?」
「しかも証拠隠滅のために魔の森に捨てたオリヴィア嬢が生きていることを最近になって知り、暗殺するために騎士団を動かしている、と」
それは……ずいぶんとぶっ飛んだ噂になったね。
「それに対してオリヴィア様は万の軍勢を用意し、逆にサウスベリーを攻め落とそうとしている、などと言われています」
「それは……ありえませんわね」
「ええ。もちろんそうでしょう。あくまで噂ですから」
人もいないのにどうやって一万人もの兵士を……あ! もしかしてスケルトンの話が誇張された?
「それはさておき、オリヴィア嬢はスカーレットフォード街道をどこに繋げようとお考えですか?」
「まだ決めていませんわ」
「それでしたら、ライザーチェスター子爵領はいかがでしょう?」
ライザーチェスター子爵領というのは……たしか王国北西部にある魔の森に接している領地だ。
なぜ知っているのかというと、ライザーチェスター子爵領はまほイケに登場していたからだ。攻略対象の一人の故郷で……あれ? 名前、なんだっけ?
もう九年以上前のことだし、さすがに記憶が曖昧だ。たしか緑の髪のイケメンな風の騎士さま……だった……よね?
その彼のエピソードはまさに魔の森との戦いで、ゴブリンキングから領土を奪還する戦いだった。彼の父親が魔の森に開拓村を作ったものの、調子に乗って奥に入りすぎたせいでゴブリンキングを刺激してしまい、逆に子爵領にゴブリンの大軍勢が侵攻してくる。それをヒロインや他の攻略対象と協力して撃退するというものだ。
ただ、あたしとしてはゴブリンキングなんかと戦う気はさらさらない。はっきり言って迷惑なので、そっちで勝手にやっていて欲しい。
「……それはどうしてですの?」
「ライザーチェスター子爵は魔の森との戦いに熱心でしてね。オリヴィア様とも気が合うのではないかと思ったのですよ」
「そうなんですのね。でも、もう少し近い場所がいいですわ。たしかライザーチェスター子爵領って、かなり北のほうではなくて? あまり道を長くし過ぎても維持できませんわ」
「なるほど。それもそうですね」
アルフレッド卿はそう言って主張を引っ込めてくれた。
「ところで、オリヴィア様はもうパートナーは決まっていますか?」
「え?」
パートナー? なんの?
「ああ、これは失礼。今晩は感謝祭ですので、そういったイベントもあるのかと思っておりました」
そういったイベント? あ! もしかして舞踏会的な奴かな?
「スカーレットフォードはまだ小さな開拓村ですもの。そういったイベントはございませんわ。夜、村人たちがお酒を飲んで踊るくらいですわね」
「なるほど。そういうことでしたか。理解いたしました」
「ええ」
「ところで失礼ついでにもう一つ、よろしいですか?」
「なんですの?」
「邸内は見たところ『ゴブすけ』ばかりですが、貴族出身の使用人はそちらの乳母のみですか?」
う……ちゃんとした使用人を付けられていないので、これについてはあたしのほうが先に失礼なことをしている。
ううん、痛いところを突いてくるね。
「ええ……そうですわね」
「そうでしたか。ですがオリヴィア嬢、『ゴブすけ』も良いですが、やはり貴族たるもの、どれだけ多くのまともな使用人や騎士を抱えているかです。オリヴィア嬢のご年齢でしたら女家庭教師が必要でしょうし、いずれ目付け役も必要になるでしょう。規模が拡大すれば代官だって必要です。どうでしょう? こちらで見繕いましょうか?」
貴族として見れば、アルフレッド卿の言い分はもっともだ。そういうものだということはマリーにも教わっている。
だが、この提案を受けるということはバイスター公爵の庇護下に入ることを意味している。そうなれば今後、ずっと頭が上がらなくなってしまうことは間違いない。
そして何より問題なのは、そのバイスター公爵が善人である保証などどこにもないということだ。
せっかくスケルトンと金鉱山があるのだから、誰かに縛られるのは最後の手段として残しておきたい。
「いえ、結構ですわ。スカーレットフォードにはまだ、わたくしが贅沢をする余裕なんてありませんもの。それに、そういった者たちはじっくりと時間をかけ、わたくし自身が信用のできるお方を見つけていくつもりですわ」
「そうでしたか。それでしたら無理に、とは申し上げません」
「ええ、お気遣いいただきありがとうございます」
「いえいえ。ところで……」
それからもあたしたちは様々な交渉を続けるのだった。
次回、「第78話 追放幼女、奉納舞を踊る」の公開は通常どおり、2024/08/23 (金) 18:00 を予定しております。