第172話 サウスベリーの老将
サウスベリーの侯爵邸にある侯爵の執務室を一人の老騎士が訪ねていた。
彼の名はクレメント・マナーズ。御年七十二歳にして、サウスベリー侯爵騎士団の騎士団長を務めている人物だ。
クレメントは扉をノックすると、しっかりとした口調で声を掛ける。
「閣下、クレメントが参上いたしました」
「ああ、よく来たな。入れ」
中からサウスベリー侯爵の声が聞こえてくる。
「失礼します」
クレメントが執務室の中に入ると、そこにはサウスベリー侯爵のほかにブライアンの姿もある。
「この老いぼれをお呼びとのことですが、いかがなさいましたか?」
「ああ。実はな。ダウベリーの西に開拓村を作ることにしたのだ。至急騎士団を派遣し、魔物どもを追い払ってくれ」
それを聞いてクレメントは怪訝そうに眉をひそめた。
「閣下、魔の森からは手を引いたのではなかったのですか? 現在の騎士団には大規模な遠征をするだけの蓄えはございませんぞ」
「いや、事情が変わったのだ」
「それは一体?」
「我がサウスベリー侯爵の威信にかけ、水源を確保せねばならんのだ」
「水源ですか……」
クレメントは途端に険しい表情になる。
「それはもしや、クラリントンの水不足と何か関係が?」
しかしそう聞き返された侯爵は怪訝そうな表情を浮かべた。
「ん? なんだそれは?」
侯爵はちらりとブライアンのほうを見るが、ブライアンも話を聞いていないのか困惑した様子で首を横に振る。
「クラリントンは急速な水位の低下に悩まされており、人口流出が続いていると聞いておりますが……」
「いや、そんな話は聞いたことがないな。どういうことだ?」
「さて。儂にも分かりかねます。何せつい先日、そちらからローテーションを終えて戻ってきた者がそう言っておっただけですから」
「そうか……ん? 部下ということは騎士だな?」
「そのとおりにございます」
「なぜ騎士がそんなことを?」
「当地の様子を聞いたところ、そのように申しておりました。原因を調査しようにもクラリントンで魔物の出現が増えているようでして、今度の御前会議にてご相談申し上げようと思っておりました」
「そうか。ならば今その話を聞こう」
「そうですか。それでしたら、以前スカーレットフォードに派遣したという騎士の生き残りに話を聞きたく。たしかセオドリック卿が隊長として赴いたはずですが……」
「いや、必要ない」
侯爵は不機嫌な様子で要求を拒否した。
「ですがセオドリック卿は男爵閣下の救出作戦に失敗し、救出隊もほぼ全滅したのですよね?」
「……そうだ」
侯爵は不機嫌そうに答えた。
「それはつまりスカーレットフォードが全滅し、魔の森に呑み込まれたということを意味しております。このままではせっかく解放したクラリントンまでもが魔の森に戻ってしまうかもしれません」
「……それはこちらでなんとかする。クレメント卿は心配しなくてもいい」
険しい表情で侯爵の顔を見ていたクレメントだったが、すぐに表情を緩める。
「そうですか。かしこまりました」
「そんなことよりもダウベリーだ。ダウベリーの西を開拓するのだ」
「かしこまりました」
そう言ってクレメントは恭しく一礼した。
「ところで、先ほどアーノルド卿を見かけたのですが、何かあったのですか?」
「ん? 報告を受けていないのか?」
「はい」
「バイスターの船を拿捕して戦争になりかけたそうだ」
「は?」
クレメントの表情がみるみる険しくなっていく。
「まあ、放っておけばいいだろう。バイスターなど取るに足らん」
「そうは参りません。形だけでも処分せねば領地戦を仕掛ける口実を与えてしまいますぞ」
「ふん。そんなもの、踏みつぶせばいいだろう」
「侮ってはなりません! いかにサウスベリー侯爵騎士団が強かろうとも、周辺の諸侯すべてを敵に回して勝つほどの兵力はありません!」
「なんだと!? そんなはずはない! 騎士の質も! 数も! 装備もすべて王国一! 王国の全てを敵に回したとしても勝利するのが我が最強のサウスベリー侯爵騎士団ではないか!」
するとクレメントは寂しげな表情を浮かべ、首を横に振った。
「はい。かつてはそうでした」
「何?」
「ですが、それは先代侯爵閣下の時代のこと。坊ちゃまに代替わりなさったときに、そして時の流れによって多くの将と騎士は引退し、あるいは神の御許へと召されました」
「だが!」
「今の騎士団はまともな戦争を経験しておりません。とてもかつてのように戦うことはできないでしょう」
「だが!」
「坊ちゃま、無茶はおやめなさい」
「うるさい! バイスターなぞに!」
するとクレメントは困ったような表情を浮かべた。
「それでしたら、この老いぼれは引退しましょう。儂ももういい年です。もう若い者たちに席を譲る――」
「待て! それはダメだ!」
「それでしたら、この老いぼれの諌言をお聞き届けください」
「……分かった」
侯爵は苦虫を噛み潰したような表情でそう答えた。
「それでは、本件の処分についてはお任せいただけますな?」
「ああ、任せる」
「ありがとうございます」
「だが開拓村の件、必ず成功させろよ?」
するとクレメントは少し考えたような表情を浮かべた。
「……そうですな。こういったことは未来のある若者に任せたく思います」
「何? まさか自信が無いのか?」
「いえいえ。ですが、儂も見てのとおりの老いぼれです。いつまでもこの老いぼれが仕切っていてはまずいということです。何せ、いつお迎えが来てもおかしくないのですから」
「おい! 縁起でもないことを言うな!」
「ですが、寄る年波には勝てぬものです。ですからサウスベリーのため、そして何より閣下と閣下の大事な坊ちゃまのため、優秀な後進を育てることこそが儂の最後の奉公だと考えておるのです」
そう聞かされ、侯爵は押し黙ってしまった。
「どうでしょう? ここは一つ、閣下が目を掛けておられる若手の騎士に任せてみてはいかがでしょう? この老いぼれも、できる限りのサポートは致しますぞ」
すると侯爵は困ったような表情になる。
「閣下?」
「いや、ああ。だがな。騎士団の中のことはよくわからんのだ」
するとクレメントはがっかりしたような表情で小さくため息をついた。
「閣下、よろしいですか? 何度も申し上げておりますが、騎士団は領地を守る中核。閣下自身がよく見て、信用できるものを選ばねばなりません。忠誠とはそうした関係の内に宿るものです」
「……」
「でなければ、敵に付け入る隙を与えることになりますぞ」
侯爵は気まずそうな表情で視線を逸らす。
「……分かった。だが今回はお前が推薦した者に頼みたい」
「そうですか。かしこまりました」
そう言ってクレメントはがっくりと肩を落とした。
「他にご用はございますか?」
「いや」
「かしこまりました。それでは、失礼します」
こうしてクレメントは執務室を後にすると、騎士団の宿舎へと戻った。そしてアーノルドを呼び出すと、一か月の謹慎を言い渡したのだった。
次回更新は通常どおり、2026/02/01 (日) 18:00 を予定しております。




