第145話 追放幼女、取引を持ち掛ける
あたしが執務室に戻ると、すぐにアナベラが訪ねてきた。だがなぜかハーマンとアシュリーまで一緒にいる。
「……わたくしはアナベラだけを呼んだはずですわ」
するとハーマンが口を開く。
「男爵閣下、無礼は承知しております。ですが、男爵閣下はチャンスを与えるとおっしゃったのですよね?」
「ええ。ですから先ほど、与えましたわ」
「ですがこのアシュリーは何も粗相をしておりません。どうか! どうか寛大なお心でもう一度だけ、チャンスをお与えください」
あたしはちらりとアシュリーのほうを見る。アシュリーはじっとカーテシーをしたまま、微動だにしていない。
やはりこの人だけはまともなようだ。
うーん。どうしようかな。ちょっと意地悪をしてみればさっきみたいにボロを出すかな?
あたしは特に返事をせず、筆を走らせる。
ハーマンもこの意味を理解しているのか、あたしが手紙を書き終えるのをじっと待っている。
それから数分かけて、短い手紙を書き終えた。
あとはこれを封筒に入れて、封蝋してっと。
うん。完成。
「アナベラ、これをラグロン男爵閣下に渡してくださる?」
「はい。かしこまりました」
「それと、あの無礼者たちが汚したカーペットの弁償を請求しますわ」
「かしこまりました。申し伝えます」
「ちなみにあのカーペット、シルバーウルフの毛皮を繋ぎ合わせたものですわ」
「え?」
アナベラとハーマンは目を見開いた。
「しかも新品でしたの。フォレストディアくらいならば目をつむって差し上げても良かったのですけれど、シルバーウルフはさすがに無理ですわ」
「……かしこまりました。しかと、ラグロン男爵閣下にお伝えいたします」
マリーがあたしから封筒を受け取り、アナベラに手渡した。
アシュリーのほうをちらりと見てみる。アシュリーはまだカーテシーを続けていた。
ふうん。そっか。じゃあ、一応話くらいは聞いてあげよう。
「アナベラ、ハーマン卿、下がりなさい。ロイド、出口まで送って差し上げて」
「はっ」
「失礼いたします」
「ご案内いたします」
二人は心なしか晴れやかな表情で退出していった。
「レスリーも下がりなさい。しばらく、誰もこの部屋に近づけないように」
「かしこまりました」
こうしてあたしはマリーとメレディス以外を下がらせた。
「アシュリー、チャンスを与えましょう」
「ありがとうございます」
「お前、わたくしの侍女になりたいそうですわね」
「いえ、カレン様とイヴァンジェリン様がいらっしゃる以上、平民の私に侍女が務まるとは思っていません」
「あら? それならばどうして?」
「洗濯女中でも皿洗いでも、雑役女中でも構いません! なんでもしますので働かせてください!」
「……そういった役割の者は必要ありませんわ」
「私にはもう帰る場所がないのです! どうか! どうか!」
……身元はしっかりしてるって言ってなかったっけ?
「お前、両親は?」
「すでに他界しています」
「今までどうしていたんですの?」
「兄が一人いました」
「いた? ということは……」
「はい。兄はタークレイ商会で働いていました。ですが去年、いきなり行方不明になってしまいました。ですからこの話がなくなれば私はもう、娼館に行くしかありません」
アシュリーは涙を浮かべながら、切々と訴えてくる。
……ああ、そういうこと。タークレイ商会のやりそうなことではあるね。
はぁ。まったくもう。
かといって、スパイをそのまま受け入れるわけにもいかないし……。
「はぁ。仕方ないね」
「え? 男爵閣下、それじゃあ!」
あたしが声のトーンを変えると、アシュリーは希望に満ちた表情であたしの顔を見てくる。
「それでさ。もしあたしに仕えたとして、誰に報告するわけ?」
「え?」
アシュリーは突然真顔になった。
「ラグロン男爵? それともブライアン・ラス? あたしの生物学上の父親ってことは多分ないよね」
「え? そ、その……」
あたしはアシュリーの目をじっと見る。だがメレディスと違って迫力が足りないのか、アシュリーは困惑するばかりだ。
「まあ、誰だっていいんだけどね」
「え? それはどういう……」
「どうせ最後は生物学上の父親なわけでしょ?」
アシュリーはポカンとした表情を浮かべている。
「で、お前は天涯孤独になった。だから生きていくにはお金が必要なんでしょ?」
「は、はい」
「ならさ。二重スパイにならない?」
「へっ? に、にじゅう……?」
「二重スパイ。つまり、あたしの側であたしの情報を探っているふりをしながら、あっちの情報をこっちに流してって言っているの」
「そ、それは……」
アシュリーの目が泳いでいる。
「大体さ。最初からそういう作戦だったんでしょ?」
「さ、作戦? それは一体……」
「あの無礼者たちを見せた後、教育を受けたお前一人がまともな対応をする。そうすればそのギャップからお前の存在はよりまともに見える。そうすればお前はここに潜りこめる」
「そ、そんなことは……」
「それに、あたしたちのことを甘く見てたんでしょ?」
「い、いえ……」
「そう? でも、連帯責任でまとめてバッサリ行かれてもおかしくないよね? 想像してみてよ。あたしの生物学上の父親に同じことをしたらどうなる?」
「あ……」
アシュリーの顔がさあっと青ざめていく。
「うん。でさ。どうする? 二重スパイ、する? それとも……」
あたしはそこで言葉を切ると、意味深な笑みを浮かべる。
「なります! なりますからどうか!」
アシュリーは慌てた様子であたしの提案を了承する。
「うん。分かった。でも、ちゃんと神様に誓ってもらうよ。あたしを唯一の主として、忠誠を捧げ、どんなことがあっても決してあたしを裏切らないってね」
アシュリーはその意味が理解できていないか、困ったような表情であたしを見つめている。
「もちろん、断ってもいいよ。その場合は……」
「っ! 誓います!」
アシュリーは慌てた様子でそう言った。
まあ、断られたらこのまま追い出すだけなんだけどね。
って、こんな脅すような真似をしてたら悪役令嬢になっちゃうかな?
でもこうでもしないと生物学上の父親はまだまだ色々と悪だくみをしてきそうだし、仕方ないよね。
あたしは気持ちを切り替えるとアシュリーの前に手を突き出し、誓約の魔法陣を展開した。
「ならば、お前自身の意志で神に誓いなさい。あたしに絶対の忠誠を捧げ、命令に従い、決して裏切らないと。一度宣誓をすれば、それを違えることは叶いません」
アシュリーは怯えたような表情で逡巡するが、すぐに決意したのか真剣な表情となった。
「はい。私、アシュリー・スタイナーはオリヴィア・エインズレイ閣下に絶対の忠誠を誓います。どのような命令にも従い、決して裏切りません」
魔法陣はアシュリーの中に吸い込まれていった。
「はい。それじゃあアシュリー、明日からよろしくね」
「ありがとうございます! 精一杯お仕えします!」
「うん。じゃ、とりあえず、今日は今泊っているところに戻って。それと、ここでのことはすべて、今誓約したことを含めて他言無用だよ。何か聞かれたら、アナベラの顔を立てたと伝えて」
「はい! かしこまりました!」
「じゃあ、また明日」
「はい! 失礼します!」
アシュリーはそう言うと、嬉しそうに執務室から退出していくのだった。
次回更新は通常どおり、2025/08/17 (日) 18:00 を予定しております。