第144話 追放幼女、無礼な侍女候補と対面する
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あたしはソファーに腰掛け、アナベラたちの様子を確認する。
アナベラとハーマン卿、それともう一人は身じろぎもせずに礼を執り続けているが、残りの二人は少し顔を上げてあたしのほうに視線を向けている。
カレンたちの提案に乗ってちょっと意地悪してみたけど、なるほどねぇ。
アナベラが言っていた資質に欠ける二人というのは、きっとこっちを見てるあの二人のことだろう。
「楽になさい。スカーレットフォード男爵オリヴィア・エインズレイですわ」
するとすぐに五人は礼を解いた。あの二人は……ホッとしたような表情をしている。
あのさ。仮にも貴族の、それも当主の侍女になろうとしているんだよね? それなのにこんなぐらいで辛くなっちゃうのはいくらなんでもダメでしょ。
「アナベラ、この者たちですの?」
「はい。ご紹介申し上げます。この者がハーマン・ルーワースでございます」
「そう」
「サウスベリー侯爵閣下より騎士爵を拝命しておりますハーマン・ルーワースと申します。お目にかかれ、光栄に存じます」
ハーマンはそう言って再び礼を執った。
「ええ」
「続きまして、彼女たちは扉側から順にクロエ・ウィアー、ジャネット・フライ、アシュリー・スタイナー。いずれも平民でございます」
「そう」
「クロエ・ウィアーですわ。わたくし、あのウィアー商会の会頭の娘ですの」
「ジャネット・フライですわ。わたくしの父はフライ商会の副会頭をしておりますわ」
「アシュリー・スタイナーと申します。麗しきスカーレットフォード男爵閣下にお目にかかれ、大変光栄に存じます」
このクロエとジャネットって奴、ホントにダメだね。もしかしてあたしの生物学上の父親のところって人材難だったりする?
「はぁ」
あたしは小さくため息をついた。すると後ろに控えていたカレンがイヴァンジェリンに向かって話し始める。
「ねぇ、イヴ。あの平民、何商会って言っていたかしら?」
「なんだか耳馴染みのない名前でしたわぁ」
マナー違反にはマナー違反で返すと言っていたけど、そういうこと。
しかしそれが通じていないのか、クロエたちはそれに反応してしまう。
「ウィアー商会ですわ!」「フライ商会ですわ!」
アナベラとハーマンが目を見開いた。一方のカレンたちはというと、クロエたちの言葉をがまるで聞こえていないかのような態度で会話を続ける。
「ですわよね。聞いたこともない商会でしたもの」
「ええ。きっと田舎の小さな商会に違いありませんわぁ」
「なんですって!? メイドのくせに!」
「閣下、大変なご無礼を! どうかお許しください!」
「申し訳ございません!」
カレンたちの挑発にまんまと乗ってクロエは大声を上げたが、ハーマンとアナベラが即座に謝罪してきた。
「は? ちょっと! ハーマン様? だってあの無礼なメイドが」
「あらあら」
ハーマンにすら食って掛かったクロエだったが、すぐにカレンの見下したような声が聞こえてきた。続いてふっと鼻で笑ったような音が聞こえてくる。
カレンのものかイヴァンジェリンのものかは分からないが、クロエの顔がみるみる真っ赤になっていく。
ううん。これならメレディスたちまで呼ぶ必要はなかったかな?
そう思ったのだが、メレディスが割り込んできた。
「おい! お前らは何をしに来たんだ? あ゛!?」
「「「「ひっ!?」」」」「う゛……」
最後の「あ゛」と共に強烈な殺気が放たれ、女性たちは全員すくみ上がった。いや、クロエとジャネットの二人は腰が抜けてへたり込んでいる。
ハーマンはなんとか踏みとどまっているようだが、それでも顔が青ざめている。
「あ、あ、あ……」
「い、いやぁ……」
気付けばクロエとジャネットが目を見開いており、大慌てで二人とも顔を両手で覆った。顔がみるみる赤くなっていく。
え? 何が……え? ちょっと待って! この匂い! まさか!
彼女たちの足元を見るとなんと! シルバーウルフの毛皮で作ったカーペットに染みが広がっている!
あああああ! なんてことを!
……って、いけないいけない。ここで声を荒らげるのは貴族らしくないんだもんね。
はぁ。
「どうやらその者たちは体調がすぐれないようですわね。アナベラ、連れて帰って下さる?」
「え?」
アナベラは言われてようやく事態に気付いたようだ。顔を青くしながら謝ってくる。
「大変申し訳ございませんでした。御前を失礼させていただきます」
「ええ。それと、こんな粗相をする者たちを側に置くことはできませんわ」
「はい。急ぎ、ラグロンに連れ帰ります」
「ええ。その者たちを宿に連れ帰り次第、すぐにわたくしの執務室に出頭なさい。ラグロン男爵閣下への親書を預けますわ」
「かしこまりました」
アナベラはそう言って二人のところへと向かう。
「二人とも、帰りますよ」
「うっ、ううっ」
「泣いている場合ではありません。このような粗相をしたのに、無事に帰していただけるだけでもありがたいと思いなさい」
アナベラに叱られるが、二人はショックからか動かない。
「男爵閣下、私も失礼いたします」
「ええ。ハーマン卿」
ハーマンが二人に近づき、強引に脇に抱えた。
「アシュリーさんも、行きますよ」
「……はい」
そして何もしていなかったアシュリーもハーマンに促され、退室していった。
それを見送ったあたしは二つの恥ずかしい染みができたカーペットに視線を落とす。
いい年をした大人がまさかこんな……。
「いやぁ。まさかおもらしとは驚きましたねぇ」
メレディスの能天気な声にあたしは思わず噴き出してしまった。
「もう。メレディスが脅すからじゃない」
「ははは。でもこれであの連中ももう二度と来ないでしょうし」
「それはそうだけどさ」
ニカッと笑うメレディスから再び視線をカーペットに戻す。
あーあ。これ、シルバーウルフの毛皮だったんだけどなぁ。
洗濯すれば大丈夫……だよね?
「カレン、イヴァンジェリン、それを綺麗にしておいてちょうだい」
「え、ええ」
「わ、分かりましたわぁ」
さすがに他人が漏らした毛皮にはあまり触りたくなさそうだが、それでも文句を言わずに引き受けてくれた。
そもそも、これを飾って見せつけてやろうって言いだしたのは二人なんだからね。そのくらいはしてもらわないと。
「やり方が分からなかったらマリーに聞いてくださいまし」
「はい。かしこまりました」
こうしてあたしたちは応接室を出るのだった。
ま、ちょっと可哀想だったかもしれないけど、さすがにこれであいつらは帰るよね?
……はぁ。
次回更新は通常どおり、2025/08/10 (日) 18:00 を予定しております。