第140話 追放幼女、本音を伝える
あたしが二人と一緒に歩いていると、ヘレナとテッドが声を掛けてきた。
「あっ! 姫様! お帰りなさい!」
「おかえりなさい!」
「うん、ただいま。元気にしてた?」
「「はい!」」
二人は元気よく答えてくれた。
「お勉強は終わったの?」
「はい! これからお手伝いです」
「そっか。頑張ってね」
「はい!」
二人はそう言うと元気に自宅のほうへと走って行った。
「我が主、あの子供たちは?」
「あの子たちはヘレナとテッド。うちの農奴だよ」
「農奴が勉強を?」
「うん。読み書きと計算をアンナに教えてもらってるの」
「はぁ」
メレディスは不思議そうな表情で二人を見送った。
「やっぱり、他の領地だとやってないの?」
「農奴にそういう教育をしている領地ってのは聞いたことありませんね」
やっぱりこの国はそうなんだね。ウィルもみんなも文字が読めなかったし。
そういえば、ウィルって今はどのくらい読めるようになったのかな?
そう思ってウィルのほうを見ると、バツの悪そうな表情を浮かべた。
「いやぁ、まだ厳しいっすけどね……」
「そうなんだ」
「へい。やっぱこう、ああいうのは苦手なんすよ」
「そっか。でも頑張らないと」
「へい。分かってるんすけど……」
「我が主、もしや警備隊の者たちにも?」
「うん。勉強させてるよ。報告書くらい書けるようになってほしいし」
「……なるほど。理解しました」
メレディスは神妙な面持ちでそう答えた。
そんな会話を交わしつつも農地の状況を聞くためにボブのところへと向かっていると、正面にマリーの姿を発見した。
「あ! マリー……え?」
マリーはあのアナベラという女と一緒におり、とても楽しそうに話をしていた。
……マリー。
モヤモヤとしたなんともいえない感情にあたしは思わず立ち止まった。
「あれ? 姫さん? あ、マリーの姐さんもだ。あれ? 姫さん、結局あのお客さんはなんだったんすか?」
ウィルの無邪気な言葉に、まるで胸が抉られたかのような気分になる。
「姫さん?」
「……なんだか、マリーの親しい人みたい」
「へっ? 聞いてないんすか?」
「うん。なんか……縁談が来てるって……」
「ええええっ!? マリーの姐さん、いなくなっちまうんすか!?」
その言葉がまたしてもあたしの胸を抉る。
「……それは……」
「姫さん! 本気ですかい!?」
「う……でも……マリーが幸せになるなら……」
「はあっ!? 何を言ってるんすか!」
「で、でも……あたしは貴族で……十歳になったら乳母とは離れなきゃ……」
「そんなの関係ないっすよ! 姫さんは、マリーの姐さんがどれだけ姫さんのことを想っているか!」
「で、でも……」
「なら聞いてみやしょう!」
ウィルはそう言うと、ずかずかと……じゃないね。よたよたとマリーのところへと歩いていく。
「おーい! マリーの姐さん!」
するとマリーは気付いたようで、あたしたちのほうへと小走りで近づいてくる。
う……直接聞いちゃったら……もし結婚したいって言われたら……。
「お嬢様、いかがなさいましたか?」
「あ……えっと……」
「マリーの姐さん! どうしたもこうしたもないっすよ!」
ウィルの剣幕にマリーは不思議そうな表情で問い返す。
「一体何の話ですか?」
「マリーの姐さん! いなくなったりしないっすよね!?」
「そ、それは……」
「はぁっ!? 何言ってるんすか! 姐さんがいなきゃスカーレットフォードは、それに姫さんはどうなるんすか!」
「……」
マリーは悲しげな表情で視線を逸らす。
「マリーの姐さん! 姫さんのお世話も! 難しいことだって全部姐さんが仕切ってくれてるじゃないっすか!」
「それは……もう他の人が……」
ああ! やっぱり! マリーは……!
「姐さん! 何言ってるんすか! 姐さんがいなきゃ始まらないんすよ! 姫さん! ハッキリ言ってくださいよ! 本当にいいんすか!?」
「……あたしは」
嫌だ。マリーがいなくなっちゃうなんて!
でも……マリーの幸せは……?
「姫さん? そんな! 嫌じゃないんすか!?」
……ああ! もう!
「嫌だよ! 嫌に決まってるでしょ! でも!」
「えっ!?」
マリーが驚いた様子であたしのほうを見てきた。
「えっ!?」
その反応が意外で、あたしも思わずマリーの顔を見る。
「えっと……マリー? なんで驚いているの?」
「それは……てっきりお嬢様は覚悟を決められたのかと……」
「えっ!? どういうこと?」
「政務はジェイク卿たちに任せることになさったのですよね? 授業も身の回りのお世話もローレッタ様とカレン嬢たちがおりますし、そうなったら私の居場所は……」
「嫌! あたしはマリーと一緒にいたい!」
「で、ですが……乳母がそのような……」
「でも……」
あたしたちはそのまま口ごもってしまう。すると黙って聞いていたメレディスが割り込んできた。
「我が主、質問しても?」
「え? うん」
「我が主はマリー嬢を手放したくない。そうですね?」
「う、うん。でも、マリーが結婚したいっていうなら……」
「そうではなく、どうなさりたいかをお答えください」
「……そりゃあ、手放したくないよ」
「分かりました。で、マリー嬢、貴女はどうしたい?」
「それは……」
マリーが口ごもると、メレディスは大きなため息をついた。
「あのなぁ。ここは魔の森の中だ。貴族が決めたジョーシキなんてゴミがなんの役にも立たねぇことぐらい分かってんだろ? だからあんたは乳母の分際で代官の真似事までしてたんだろうが!」
「う……それは……」
「メレディス!」
「我が主、これは必要なことです。黙っててください」
「……」
謁見の間で向けられたよりも鋭い眼光に思わずたじろいでしまう。
「で、だ。あんたはどうしたいんだよ? こんだけ言ってくれてる我が主を置いて、下らねぇジョーシキなんぞのために他人の犬になり下がるつもりか?」
「わ、私はそんな……」
「なら本心を言えよ。どうしたいんだ?」
「わ、私だってお嬢様の側で……」
「だ、そうですよ。我が主」
「……いいの? マリー、結婚、できないかもしれないんだよ?」
するとマリーはくしゃりと表情を崩した。
「お嬢様、私は結婚をしたいとは思っておりません。一度で十分ですから」
そう答えたマリーの表情は晴れやかで、そこに未練があるようには見えない。
「……そっか。そうなんだ」
「はい」
「じゃあさ、マリー」
「はい」
「あのね。マリーには政務官になってほしいの。あたし、これからたくさん勉強しないといけないし。だから……」
「お嬢様……」
「お願い。一緒にいて?」
「……はい。もちろんです」
「マリー!」
あたしはマリーに抱きついた。マリーは優しく抱擁してくれる。
それから少しして、あたしたちはどちらからともなく離れた。するとマリーの向こうからアナベラが話しかけてくる。
「お嬢様」
「アナベラ……」
その声にマリーは振り返る。
「男爵閣下がこうまで仰ってくださっているのです。ここに残り、閣下をお支えしなさい。私も鼻が高いです」
「ええ。ありがとう。それと、ごめんなさい」
「良いのです。その件はどうにかしますので」
アナベラはそう言ってマリーに微笑んだ。
「アナベラ……ありがとう」
そうお礼を言ったマリーの表情はどことなく暗い。
「……ねぇ、マリー」
「はい」
「この人って、どういう人なの?」
するとマリーはしまった、とでも言わんばかりの表情となった。
「きちんとご紹介できておらず申し訳ございません。アナベラは私の乳母なのです」
「えっ!? マリーの乳母!?」
「はい。家族と死別したときに励ましてくれたのも、お嬢様にお仕えするようにとサウスベリーに送り出してくれたのも、乳母としての心得を教えてくれたのも、すべてアナベラなのです」
「そっか……」
そうなんだ。アナベラはあたしにとってのマリーなんだ。
そう考えると、またしてもあたしは気持ちを抑えられなくなった。
「マリー、ありがとう」
あたしは再びマリーに抱きつく。
「あらあら。まったく、お嬢様ったら……」
マリーは少し呆れたような、それでいて穏やかな声でそう言うとあたしをそっと抱きしめてくれたのだった。
次回更新は通常どおり、2025/07/13 (日) 18:00 を予定しております。




