第136話 追放幼女、訪問を受ける
2025/07/16 ご指摘いただいた誤字を修正しました。ありがとうございました
翌朝、朝食を終えたあたしはさっそくマリーのお客さんの訪問を受けている。
「お初にお目にかかれ、光栄に存じます。アナベラ・ウェルズリー・カーターがスカーレットフォード男爵閣下にご挨拶申し上げます」
アナベラと名乗るこの少し痩せた中年女性は、平民にもかかわらずきっちりとカーテシーをしてきた。苦しい姿勢のはずなのに、身じろぎ一つしていないのはすごいと思う。これだけ見ればたしかに貴族だと思われてもおかしくはない。
「オリヴィア・エインズレイですわ。楽になさい」
するとアナベラは礼を解いた。とてもスムーズなのだが、その所作になんとなく親近感を感じるのはなぜだろう?
「アナベラ、お前は平民と聞いているのだけれど、随分と貴族の作法に詳しいんですのね」
「私、元は貴族でした。父はメルズ男爵です」
「メルズ男爵?」
あたしはちらりとローレッタのほうを見た。するとローレッタがそっと耳打ちをしてくる。
「たしか、二十年以上前に断絶したと記憶しています」
あ、なるほどね。そりゃあ、知らないわけだ。
「ではなぜ、お前は平民なんですの? 女にも爵位の継承権はあるはずでしょう?」
「それは……私には魔力がなかったのです。魔法を使えない者に領主は務まりません」
「そう。そうですわね」
バクスリー男爵もそれで悩んでたもんね。
「それで、そんなお前がわたくしの乳母に何の用ですの?」
「はい。マリーお嬢様に縁談が届いており、それを伝えにやって参りました」
「えっ!?」
マリーに……縁談!?
「スカーレットフォード男爵閣下は十歳になられたとお聞きしました」
「え、ええ。そうですわね」
「であれば、マリーお嬢様の乳母としてのお務めの期間はもう終わっていることになります」
「……」
「マリーお嬢様は大変なご苦労をなさいました。パーシヴァル家でも、前の結婚でも、さらにはエインズレイ家でのこともお聞きしています。ですから、マリーお嬢様にはそろそろ自分自身の幸せを掴んでほしいと思っておるのです」
アナベラは真剣な表情で、切々とそう訴えかけてきた。
この人は……マリーのずっと昔のことを知っているんだ。それに、本当にマリーのことを心配して……。
「どうか、マリーお嬢様にお取次ぎをお願い申し上げます」
「……分かりましたわ。カレン、マリーを呼んできて」
「かしこまりました」
そう言ってカレンはすぐに退出していった。それからすぐにマリーを連れて戻ってくる。
「失礼します。お嬢様、お呼びです……えっ!? まさか……アナベラ!?」
マリーは目をまん丸に見開いている。あんなにびっくりしているのを見るのは初めてかもしれない。
「はい。アナベラでございます。お嬢様、ご無沙汰しております」
「……どうしてここに!?」
「お嬢様に縁談をお届けに上がりました」
「えっ!? 縁談?」
「はい。こちらを」
アナベラはマリーに封筒を手渡した。
「お嬢様、十年間、よく頑張りました。もう肩の荷を降ろしていいのですよ」
アナベラはそう言って、そっとマリーのことを優しく抱きしめた。
「……アナベラ」
マリーはアナベラを抱き返し、小さく嗚咽を漏らし始めるのだった。
◆◇◆
再会を喜び合う二人を見ていて、なんだか場違いに感じたあたしはそのまま応接室を後にした。どうにもモヤモヤするこの気持ちをなんとか紛らわせようと、そのまま執務室へと向かう。
するとその道すがら、ローレッタが質問してくる。
「お嬢様、いかがなさるおつもりですか? アナベラという平民の言うことはもっともかと存じますが……」
「……うん。分かってる」
たしかにそのとおりだ。王妃陛下にもローレッタにもずっと言われてきたことだし、マリー自身もそうだと分かっている様子だ。
ただ、マリーが本当にいなくなるかもしれないと考えたとき、胸が締め付けられるような切ない気持ちになってしまう。
まるで本当の母親のようにあたしのことをずっと見てくれたマリー。
でも血がつながっているわけではなく、十歳になればいなくなってしまう乳母だ。
だから、決まっていた別れのときが来てしまった。ただそれだけなのだ。
でも……でも!
黙って歩いていると、あっという間に執務室にやってきてしまった。
「ローレッタ、それにみんなもあたしはこれから書類の確認をしないといけないから邪魔しないで」
「かしこまりました」
あたしはローレッタたちを下がらせ、一人で執務室に入った。
部屋の右側にはマリーがいつも書類とにらめっこをしていた机があり、正面にはあたしの机がある。あたしの机の上にはマリーが選んでくれたであろう書類が積まれていて、マリーの机の上にはさらに大量の書類が積まれている。
やっぱり四か月分ともなるとこんな量になるんだね。目を通すだけでも一苦労だ。
「マリー、これは頑張らないと……あ……」
そうだった。マリーは今、大切な人との再会を喜んでいるんだった。
それに……お嫁に行ってしまうかもしれない。そうしたらその人の赤ちゃんを産んで、それからきっと幸せな家庭を築いて……。
そう考えるだけで、あたしの胸の中にモヤモヤとしたよく分からない感情が沸き上がってくる。
ああ、もう! 今は仕事しないと!
あたしは自分にそう言い聞かせ、仕事に取り掛かるのだった。
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また、次回更新は明日 18:00 となります。
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