第130話 追放幼女、バクスリーと取引をする
翌日、あたしたちは雪の積もった森を抜け、領境となる南側の丘の稜線の一番高いところにやってきた。西にはあたしたちが越えてきた鞍部が見え、南側の谷底には細く黒い筋が通っており、そこに川が流れていることが分かる。
すると同行しているジェラルド卿が確認してくる。
「この稜線を領境とするということで、よろしいでしょうか」
「ええ。もちろんですわ」
「ところで……」
「なんですの?」
「男爵閣下はどちらをお通りに?」
「わたくしたちはあそこを越えて参りましたわ」
あたしは鞍部を指さす。
「なるほど。では、川はどうやって渡られたのですか?」
「もちろん、谷底まで降りて、普通に渡りましたわ」
「いえ、そうではなく……」
ん? どういうこと?
あたしがこてんと首を傾げていると、ジェラルド卿が困ったような顔で説明してくれる。
「あの川は流れが速いうえに、人の腰ほどの深さがあったはずです」
「そうだったんですの? 飛び越えたから気付きませんでしたわ」
「飛び越えたのですか?」
「ええ、そうですわ。川幅、あまり広くありませんでしょう?」
「そ、そうですな……」
ジェラルド卿は困惑している様子だけれど、どういうことなんだろう?
あたしはジェラルド卿の顔を見ながらどういうことか考えてみる。
うーん? 川を飛び越えるってそんなにすごいことなのかな?
でもなぁ。道中ではあそこよりもっと川幅の広い……あれ? そういえばシルバーウルフって川を渡れないって言っていたけど、スケルトンたちは渡ってるよね。
ということは、シルバーウルフって、川を渡ろうと思えば渡れるんじゃ?
あ! もしかして地形のおかげで来てないんじゃなくて、たまたまこっちに来てなかっただけなんじゃ……?
すると突然、ジェイクが横から口を挟んでくる。
「ジェラルド卿、もしや馬は通れないということでしょうか?」
「はい。そうですね。そもそも谷底まで降りるだけで一苦労でしょう」
「あら、そうなんですの?」
「はい。馬はあまり急な崖などは不得意ですし、川の冷たい水も嫌がります」
「……そうなんですのね」
そっか。言われてみればたしかにそうだね。馬だって冷たいのは嫌だよねぇ。
うーん、困ったなぁ。馬は騎士たち個人の持ち物で、相棒のようなものだろうし、ここで捨てていくなんて言ったらかわいそうだよねぇ。
「これは……ここで馬を捨てるしかなさそうですね」
ジェイクがそう呟くと、騎士たちに動揺が走る。
そうだよねぇ。馬って高いらしいし……。
「よろしければ、我々でお預かりしましょうか?」
「あら、よろしいんですの?」
「はい。騎士たるもの、愛馬を捨てるという決断は難しいでしょう。それにこれから道を開削なさるのですから、開削が終わってから引き取りに来ていただければ大丈夫ですよ」
「そうですわね……」
「閣下」
突然ジェイクが耳打ちをしてきた。
「何?」
「これは要するに、閣下と取引をしたいと言っているのです。もしこの話をお受けになるのであれば相当の対価を支払うことになります」
「あ、それもそうだね。いくらぐらい?」
「必要経費に誠意を乗せますので、相場などございません」
なるほど。つまりお金がある人ほどたくさん払わなきゃいけないってことだね。
うーん。うちは金鉱山があるからどんどん支払いが増えそう。
どうしようかな……あれ?
「ねえ、メレディス」
「なんですかい?」
「馬って、氷の上も歩けるよね? 雪の上を歩いてたんだし」
「問題ないと思いますよ」
「じゃあ、氷で橋を架ければ馬も通れるよね?」
「ん? ……ああ、なるほど。そういうことですか。ええ、通れるでしょう」
「うん。じゃあそうしよう」
「閣下?」
ジェイクとジェラルド卿が怪訝そうな目であたしを見てくる。
「ジェラルド卿、ご厚意には感謝しますわ。ただ、わたくしたちはこのまま馬を連れてスカーレットフォードに向かうことにしますわ」
「……はぁ、そうですか。お気が変わりましたらいつでもお申し付けください」
「ええ」
こうしてあたしたちは領境の視察を終え、バクスリーへと戻るのだった。
◆◇◆
その夜、あたしたちが男爵一家と楽しく食事をしていると、突然ドリーンさんが提案をしてきた。
「男爵閣下、もしよろしければうちのフィオナをお傍に置いていただけませんか?」
「え?」
あのわがまま娘を?
あたしはフィオナさんのほうをちらりと見る。するとフィオナさんはあたしの目をじっと見ながら小さく頷いた。
「そう、ですわね……」
どうしようかなぁ。うちは家事には困ってないし、カレンとイヴァンジェリンもいるからやることがないような気もする。
「お嬢様」
迷っていると、背後に控えているローレッタが耳打ちをしてきた。
「何?」
「受け入れるべきです。なぜ次期男爵夫人がこのような提案をしてきたかわかりますか?」
「え? うーん。お転婆なじゃじゃ馬娘をどうにか外に出したいから?」
するとローレッタは小さくため息をついた。
「違います。バクスリーは将来、お嬢様がスカーレットフォードから王都へと向かう道を作られた際の出入口です。ですからフィオナお嬢様を人質として差し出すことで結束を強固にしたいと考えているのです」
「あ、そういうこと」
別に人質なんていらないんだけどな。
「こういった場合は受け入れるのが礼儀です。もちろん、敵対したいというのでしたら話は別ですが」
「そんなわけないよ」
はぁ。面倒だねぇ。
あたしはフィオナさんに微笑みかける。
「分かりましたわ。フィオナさん、いえ、フィオナ。わたくしを支えてくださる?」
「はい! 喜んで!」
こうしてあたしはフィオナも侍女として迎え入れることになったのだった。
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