第110話 不穏な客人
2025/04/19 ご指摘いただいた誤字を修正しました。ありがとうございました
2025/05/15 紛らわしい人名を変更しました
村内に入ったハーマンは馬車をゆっくりと走らせつつ、周囲の様子を観察していた。
「まさか街壁の中にこれほど広大な農地があるとは……一体どうやってこれほどの資材と労働者を集めたんでしょうねぇ」
ハーマンはぼそりとそう呟いた。一方、馬車の中ではメイド姿の女性たちがうんざりした表情で雪に覆われた畑を見ている。
「こんな田舎で暮らさないといけないの?」
「あ~あ、お父さまもどうしてこんなこと」
そう愚痴をこぼしたのはクロエとジャネットだ。
「でも、頑張ったらいい結婚相手を紹介してくださるって……」
「え? うちはお父さまがちゃんとした人を探してくれたんだよ? アシュリーと一緒にしないでよ」
「そんなこと……」
「え? 何? だって、あんたは全然だったんでしょ?」
「ちょっと、あんまり言ったらアシュリーが可哀想じゃない。アシュリーはお父さまがいないんだからさ。お兄さんだってまだまだなんだし」
「あっ! そっか! ごめんねぇ。あたしは優しくて頼りになるお父さまがいるし、お兄さまも副会頭でバリバリやってるから気付かなかったぁ。ごめんねぇ~」
クロエが厭味ったらしくそう言うと、アシュリーは悔しそうな表情で俯いた。
「クロエさん、そんな風に意地悪なことを言ってはいけませんよ」
「はーい。ごめんなさーい」
アナベラに注意されて謝ったクロエだが、反省の色はまるで見られない。
その様子にアナベラは小さくため息をついた。
「あれ? アナベラさん、どうしたんですか? そんな表情をしていると、ますます小じわが増えちゃいますよ? そういうときは、こうやってしわ取りマッサージをするといいんですよ~。やってあげましょうかぁ?」
クロエはそう言って、顔をマッサージする仕草をしてみせた。
「いいえ、結構です。それよりも、分かっているんでしょうね? 失敗は許されないんですよ?」
「はーい。わかってまーす」
クロエはまるで緊張感のない様子で答えると、窓の外に視線を向けた。馬車はいつの間にやら畑を抜け、木造の家がまばらに建っているエリアに差し掛かっていた。
「はぁ。やっぱりあんなボロ小屋なの? さすがにお嬢様の家は違うよね?」
「だといいけど、期待薄そうじゃない?」
「だよねぇ。すごかったの、街壁だけみたいだし」
「こんな農村だもんねぇ」
「お金なんかあるわけないよね」
「どうせお金、ぜ~んぶ街壁に使っちゃったんでしょ?」
「あ! わかった! それできっと騎士さまを雇えなくなってるんじゃない?」
「あり得そ~。あの門番、ヤバかったもんね」
「うん。ヤバいなんてもんじゃないよね。カッコ悪いし、礼儀知らずだし」
「そうそう。しかも仕事もまともにできない」
「あんなのが門番やってるなんて、ここの領主様ってアレだよね」
「ねぇ~。なんか九歳? 十歳? の女の子なんでしょ?」
「そりゃあ、村を治めるなんてできっこないよね~」
クロエとジャネットは悪口で盛り上がる。
「おやめなさい。なんですか! これからお仕えしなければいけないお嬢様に!」
「えー? アナベラさん、考え過ぎですよ。子供なんていくらでも言いくるめられますって」
「そのような気持ちで接すれば見抜かれます。子供は思っているよりも敏感なのですから」
「だいじょーぶですって。うちにもちょうど十歳の妹がいますけど、単純ですから」
クロエは自信満々にそう言った。
「失敗は許されないと、本当に分かっているんですか?」
「そんな風に怖い顔していたほうが子供は怖がるんですよ。子供は怖い顔をしたおばさんよりも、ニコニコしてるお姉ちゃんに懐くものですって」
そう言い切るクロエにアナベラは大きなため息をついた。
そうこうしているうちに馬車は中央広場に到着した。中央広場には大勢の人が集まっており、なにやら飾り付けをしている最中のようだ。しかも中央ではたき火がされており、ウィルたちが丸ごと一頭の豚を運んでいた。
「あれ? 何かのお祭りなのかな?」
「ホントだ。飾りショボ!」
「ね! お祭りなのに音楽がないなんてあり得なくない?」
クロエとジャネットがまたしても悪口を言うと、アナベラは少し低い声で注意する。
「これはお嬢様の生誕祭です。日付すら覚えていないのですか?」
「えっ? あー、そうでした。ごめんなさーい」
「でも、まさか領主のお嬢様の生誕祭がこんなにショボいなんて思わないじゃないですかぁ」
するとアナベラはまたしても大きなため息をついた。
「アナベラさん、そんなにため息をついてどうしたんですか? 小じわが目立つ前にマッサージを――」
「しません!」
アナベラは語気を強め、ぴしゃりと言い切った。それと同時に馬車が止まり、ハーマンが四人に声を掛ける。
「中央広場に到着しました。皆さんは念のため、馬車からは出ないようにお願いします」
そしてハーマンはひらりと御者台から飛び降り、まっすぐに中央広場の端で飾り付けの指示を出していたアンナの許へと向かう。
「すみません。ちょっとよろしいでしょうか?」
「なんでしょう?」
「私はハーマン・ルーワースと申します。アナベラ・ウェルズリー・カーターさんの護衛をしているのですが、マリー・パーシヴァル様のお宅はどちらでしょう?」
「面会希望の方でしょうか? 紹介状などはお持ちですか?」
「いえ。ですが、アナベラ・ウェルズリー・カーターさんの名前をお伝えいただけばそれで通じるかと思います」
「そうですか。それではお会いになられるか確認させていただきますが、滞在先はお決まりでしょうか?」
「まだ決まっておりません。まずは領主様にご挨拶をし、宿をご紹介いただきたく思っておりますが、領主様のお屋敷はどちらでしょう?」
「領主様の屋敷はあちらの建物ですが、宿につきましては私アンナ・チャップマンがその手続きを代行させていただいております。ご案内いたしますので、少々お待ちください」
「分かりました。ところで、これは何かのお祭りでしょうか?」
「はい。領主様の生誕祭でございます。ただ、何分、内輪のお祭りですので……」
「いえ、開拓村の生誕祭を見るのは初めてですのでとても興味深いです」
「それは何よりです。では、少々お待ちください」
アンナはすぐさま飾りつけの指示を終え、チャップマン商会の建物へと向かう。そしてすぐにハーマンたちを百メートルほど離れた場所にある空き家に案内したのだった。
◆◇◆
生誕祭がただ村人たちが集まって豚の丸焼きを食べるだけだと知ったハーマンたちは早々に宿へと戻った。
クロエとジャネットはメイド三人用の部屋へと早々に引っ込んだのだが、その口からは次から次へと文句が飛び出す。
「ヤバくない? あんなのが生誕祭って」
「あり得ないよね。あのショボさ。しかもこの村、何もないし」
「服も貧乏人って感じで超ダサいし」
「こんなところで三年も? あり得ないんだけど」
「しかも寒いし!」
「カーペットもタペストリーもないし、それにマットレスが藁ってどういうこと!?」
「こんなの人の暮らす場所じゃないよ。お父さまに文句言わなきゃ」
そう言いつつも、クロエたちはいそいそとその藁のベッドにもぐりこむ。
「うえぇ。なんかチクチクする」
「しかも全然温かくないんだけど。こんなんじゃ死んじゃうよ。毛布毛布」
「あたしも」
二人は慌ててベッドから出て、荷物の中から持参した毛布を引っ張り出すのだった。
一方、ダイニングルームにはハーマンとアナベラ、そしてアシュリーの姿がある。
「予想以上に発展していましたね」
ハーマンは険しい表情でそう言うと、アシュリーもそれに同意する。
「そう思います。生誕祭に参加していた人数を考えると、街壁も畑も、とても独力で整備したとはとても思えません。ラズローとバイスターからかなりの援助を受けていたと思います」
「その可能性は高そうですね。街壁の規模を考えると、数千人の単位で労働者が派遣されていたはずです」
二人の会話をアナベラは深刻な表情で聞いている。
「アナベラさん、貴女が頼りなのですよ」
「はい。分かっています。ですが、まさか面会を拒否されてしまうとは思わず……」
アナベラはそう言って悲しげな表情を浮かべた。するとハーマンがそれを否定する。
「ああ、それは違うと思います」
「どういうことですか?」
「今は留守なのだと思います」
「留守?」
「はい。生誕祭で村人に尋ねましたが、お嬢様は留守のようです。ということはマリーお嬢様もそちらに同行していると考えることが自然でしょう」
「……領主が、誕生日に留守ですか?」
アナベラは怪訝そうな表情を浮かべる。
「何か事情があるのでしょう。バイスターか、ラズローか」
「……」
「長丁場を覚悟した方が良いでしょう」
「……はい。そうですね」
アナベラはそう言うと、なんとも複雑な表情を浮かべたのだった。
次回更新は通常どおり、2025/01/26 (日) 18:00 を予定しております。