私はハイファンタジーが嫌いな訳じゃない。
読んで戴いて同意見な方が居るといいのですが。
こんにちわです❗
このなろうで小説書かせて戴いて、めちゃ顰蹙買うだろうなー、と思う事を書いてみたいと思います。
私、お気に入り様がハイファンタジー書いてる方が少ないせいもあって、ハイファンタジー読む事って滅多に無いのですが、最近読む機会があって読ませて戴いたのですが、あまりの文章の退屈さに苦痛を感じながら1話だけ読ませて戴きました。
内容は多分面白いのだろうと思うのですが、とにかく文章がめちゃくちゃ退屈なんです。
何故か❔
文章に全く個性が無いんです。
これ書くなら別にあなたで無くてよいのでは❔
と思うほどに。
活字中毒の娘によく聞かされていたんですよね。
「最近のハイファンの小説は読めないよ
どの作品も噛み尽くしたガムみたいなんだもん」
私も読ませて戴いて、その言葉の意味をやっと理解しました。
勿論、総てのハイファンの作者様が噛み尽くしたガムだとは思いませんが、ちょっと読んでみようと読んでみた作品がモロそうだったので、少なからずそうゆう傾向は確かに在るのだなと思いました。
小説って感性の発露だと思うのです。
三島由紀夫には三島由紀夫の文章があるから面白い、川端康成には川端康成の文章があるから面白いと思うのです。
だから名作と呼ばれるのだと思うのです。
だからこそ尊いのだと思うのです。
凄く下手くそな文章でもそこに個性があるから、読んでいてワクワクしたり書き手の想いみたいなものが伝わる気がします。
そう思うのは私だけかもしれませんが。
なろうは素人小説の集まりだから自由に書いて良いのだと思います。
でも私は文章読んだだけで、この人が書いたんだなって思える作品が大好きです。
どんなに読みやすくても無味無臭の噛み尽くしたガムのような文章はあまりにも退屈で、どんなに面白いアイディアが書かれていたとしても読んでいて苦痛を感じてしまいます。
この現象、没個性の日本の教育の賜物なのでしょうかね。
だからお前は何が言いたいんだ❔❗
と言われると、何も言えません。
噛み尽くしたガムが個性だと言われたらそれはそうなんですよね。
私が単純に今の風潮に着いて行けないだけなのかもしれませんし、読まれない最底辺作家のひがみだろうと言われればそうなのかもしれません。
でも淋しいなと思うのです。
個性があるからこそ人間、そんな考え方は今の日本ではナンセンスなのかもしれませんね。
読んで戴き有り難うございます。m(_ _)m
私はヴィジュアル系が大好きなのですが、ずーっと追い掛けていて気付いた事があります。
それはこの作品と通じるものがあるのですが、昔のヴィジュアル系は音を聴いただけで、あ、このバンドあのバンドが好きなんだろうなって解ったのですが、最近のバンドはさっぱり解らないんですよ。
それは単純に私が時代に置いて行かれた老人になっただけなのかもしれませんが、それと同時に音に広がりが無くなったなあ、と思うんですよね。
創造的で無いといいますか。
音が実にこじんまりしているんですよ。
それも歳のせいと言われたら、そうなのかもしれないんですけどね。笑