96 一生離れない
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「アスタロト……天界から追放されたんだね……。ボクのせいだよね、ごめんね……」
ベルナエルは、アスタロトの真っ黒な羽を見て目を伏せた。
「そんなコトはどうだっていい!!」
アスタロトはベルナエルを見据え、声を震わせた。
「何で……どうしてぼくを裏切ったんだベルナエル!! どうして、ベリアルのコトを……自分の中に、悪魔の様な存在がいるコトを隠してたの!?」
アスタロトに詰め寄られ、ベルナエルはビクリとした。
「ぼくに近付いたのは、ワルイコトをしてるのが天使にバレない様に、牽制する為だったの!? 最初から……ぼくを利用するつもりだったの!? 答えてよベルナエル!!」
アスタロトの悲痛な叫びに、ベルナエルはゆっくりと顔を上げた。すると、アスタロトのすぐ後ろにいた優里と目が合い、優里は『大丈夫』とベルナエルに向かって口を動かした。
それを見たベルナエルは、一度ごくりと喉を鳴らし、そして胸の前でギュッと拳を握りしめた。
「ア……アスタロトに……嫌われたくなかったの……」
「……え?」
「ボ、ボクが悪い子だって知られたら、アスタロトが離れていくと思ったの。だから、怖くて……アスタロトとずっと一緒にいたかったから、離れて欲しくなくて言えなかった……」
ベルナエルの言葉に、アスタロトは拍子抜けした様な表情をした。
「え? なに、そんなコト……?」
「“そんなコト”じゃない! ボクにとっては大事なコトだよ!」
ベルナエルは強い口調でそう言った後、ハッとした様に顔を赤くして俯いた。そして胸の前の拳を再びギュッと握り小さく息を吸うと、静かに語り始めた。
「ボクは……周りのヒトにずっと“いい子”だって言われた。でも、本当のボクはいい子なんかじゃない。自由奔放にしたかったし、ワガママだって言いたかった。けど“ベルナエルはそんなコトしない”、“言う事をちゃんと聞くいい子”、“天使の鑑”だって言われ続けて……ずっと、本当の自分を抑えてた。そしたらいつしかボクの中に、もうひとりの“言う事を聞かない悪い子”のボクが生まれて……」
「それが、ベリアル……?」
ベルナエルはコクリと頷いた。
「ボクは、ベリアルが悪い事をしてるのを知ってた。見た目は天使だから、ベリアルはそれを利用して人間に近付いて、まるでお告げでもする様に人間に悪い事を吹き込んだ。でも、ボクにはベリアルを止められなかった……。こんなのはいけないことだ、止めなくちゃって思ってたのに……出来なかった。ボクは、自分の中の鬱憤を、全部ベリアルに吐き出させてたんだよ」
ベルナエルは意を決した様に顔を上げると、真っ直ぐアスタロトを見つめた。
「森の……木の枝に座ってるアスタロトを初めて見た時、なんて綺麗なヒトなんだろうって思った。姿を見ただけで、心が洗われる様な気持ちになったの。いつも何を見て、何を考えているのか気になって……それからずっとキミを見てた。それで仲良くなって、ボクは気付いたんだ。キミといる時だけは……ベリアルが出てこないって。だってキミは……キミだけが、本当のボクを受け入れてくれたから」
「本当の……?」
アスタロトの返しに、ベルナエルは再び俯いて声を震わせた。
「ボクを“いい子”だって言わない。本当のボクを見てくれる……。ボクの事を、“ただの女の子”って言ってくれた。ありのままのボクを、キミだけが認めてくれたから……。アスタロトとずっと一緒にいられれば、このままベリアルはボクの中からいなくなるかもしれないって思った。でも、アスタロトから離れたら、すぐにボクの心はベリアルに支配されて……。ボクは……怖くなったんだ。この北の国を掻きまわしてるのがボクだって知っても、それでもアスタロトはボクと一緒にいてくれるのかなって思ったら……。綺麗で、天真爛漫で、素直なキミに比べたら、ボクはなんて臆病でずるいやつなんだろうって、どんどん落ち込んでいった……キミを、好きになってしまったから……」
アスタロトは息をのんで、俯いているベルナエルを見つめた。
「ベルナエル……」
「ミカエルにベリアルの存在がバレて、ボクはどうしていいのかわからなくなった。ボクは、キミに嫌われるのが怖かった。だからその場から逃げ出して、ベリアルの陰に隠れたんだ。天界から追放された後、ベリアルの負の気配がどんどん強くなって……ボクは動けなくなった。ボクの臆病な心が、キミを傷付けたんだ……本当に、本当にごめんね……アスタロト」
アスタロトは、小さく震えながら話すベルナエルを見て、リヒトの夢の中で優里が言っていた事を思い出していた。
『リヒト君は、私が心を痛めない様に……築き上げた関係が壊れない様に、ただ守りたかっただけなんだよ』
(ただ、守りたかっただけ……ぼくとのカンケイを……)
「ボクのこと……恨んでるよね……。ボクのことをずっと信じて守ってくれてたのに、ボクはその気持ちを裏切ってたんだもの……。目覚めたら……ボクを殺してアスタロト。キミの恨みを、ボクにぶつけて」
「恨み……? 違う、ぼくは……」
アスタロトは、ベルナエルと会って確かめたかった自分の中の感情が何だったのか、ようやく気付いた。
(同じだ……ユーリと……)
「ぼくは……あんたを恨んでなんかいない。ぼくはただ……ただ、悲しかっただけなんだ……」
アスタロトの言葉に、ベルナエルは首を傾げた。
「悲しい……?」
「そうだよ、ぼくは……あんたが話してくれなかったコトが悲しかった。ぼくのコトを、もっと信じて欲しかった。だってぼくは、ぼくは……どんなあんたでも愛してるから」
「……っ!」
ベルナエルの顔が、一気に赤くなった。アスタロトも、そんなベルナエルを見て少しはにかんだ。
「愛してるベルナエル」
「アス……タロト……」
ベルナエルは涙目になったが、すぐに唇をキュッと噛んで、首を振った。
「でも、ダメだよアスタロト……。ボクは……ボクの意思じゃベリアルを止められない。ベリアルに支配されてるボクを……もうアスタロトに見られたくない」
「大丈夫、ベルナエル。ぼくわかったんだ。今、ぼくがこうしてあんたに会えたのは、ユーリがベリアルを眠らせたからなんだって」
アスタロトはそう言って、優里の方を向いた。
「え!? 私が!? わ、私は何もしてないよ!?」
動揺した優里だったが、アスタロトは気にせず話を続けた。
「ユーリ、あんたは夢魔だ。この遺跡では悪魔族は魔力の制御ができないけど、このあんたが発動した夢の中は、遺跡から隔離されてる。その証拠に、あんたは夢魔の能力で、ベルナエルのもうひとつの人格……ベリアルだけを眠らせたんだ。だから、本当のベルナエルが表に出るコトが出来た」
「え! 私、そんな事出来たの!?」
自分自身の能力に驚いている優里に、アスタロトはため息をついた。
「あんたってホント、無自覚なのに適切なスキルを発動するよね。まぁ、そのおかげでぼくはベルナエルに会うコトが出来たんだケドさ。一応礼は言っておくよ。ありがとうユーリ」
「あ、ど、どういたしまして……」
アスタロトにお礼を言われ、優里は思わずそう返した。
「そしてベルナエル、あんた言ったよね、ぼくといる時だけは、ベリアルが出てこなかったって……。だから、このままぼくがベルナエルのそばを一生離れなければ、ベリアルは一生出てこない」
「い、一生って……」
赤い顔で困惑した様子のベルナエルの手を取ると、アスタロトは悪魔とは思えない程の優しい笑みを向けた。
「約束する。ぼくは一生、あんたのそばを離れない」
「アスタロト……」
ベルナエルは息をのんで、アスタロトを見つめた。優里は、見つめ合うふたりを見て、とても温かい気持ちになった。
「ベルナエル、悪魔って約束には誠実なんだって。だから、アスタロトは絶対約束を守るよ」
優里がそう言うと、ベルナエルは涙目になりながら、アスタロトと同じ様な優しい笑みを浮かべた。
「ボクも約束する。一生、アスタロトのそばを離れないよ」
ベルナエルがそう言った瞬間、周囲が眩しく、温かい光に包まれた。
約束を交わしたふたりの悪魔は、その温かい光の中、手を取り合ったまま目を覚ましたのだった。
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