95 アスタロトの過去 その5
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ぼくは、この自分の中のワケのわからない感情を、煉獄の悪魔たちにぶつけた。ぼくに向かって来た悪魔たちを半殺しのメにあわせ、それを目の当たりにした他の悪魔は恐れを抱き、歯向かおうとするヤツはいなくなった。ぼくは、すぐさま煉獄の支配者になった。
人間に召喚されないと煉獄から出られない悪魔たちとは違い、力と魔力がバツグンに高かったぼくは、煉獄と地上を自由に行き来できた。
その日ぼくは、悪魔になってから初めて地上に降り立った。行き先はモチロン、ベルナエルがいる北の国の神殿だ。
悪魔になったぼくを見て、ベルナエルはどう思うだろうか?
ぼくは少し不安に思いながら、神殿の一番奥の部屋の扉を開いた。
「……その姿は……」
ベルナエルは一瞬目を見開いたが、すぐにおかしそうに笑い出した。
「ふ……! あはは! アスタロト! お前も追放されたのか! ざまあみろ!!」
「あんた……まだいたの? 早くベルナエルに会わせてくれないかなぁ?」
ぼくはツカツカとベルナエルの元に行き、体を横たえていた彼女の前にしゃがみこんだ。
「そんな姿のお前を、あいつが見たらさぞかし驚くだろうな。どんな顔をして何を思うのか、オレも興味が湧いてきた」
ニヤニヤしながらそう言ったベルナエルの、首に繋がれた鎖を掴み、ぼくは彼女を睨みつけた。
「そうだね。ぼくも気になって仕方ないよ。だから早く彼女に会わせろ」
「言っただろ? あいつはもう出てきやしねぇ」
「嘘をつくな! あんたが抑え込んでるんだろ!?」
「オレにはもうそんな力はねぇ! それに、この場所じゃ悪魔は何も出来ない! そう言ったのはお前だろアスタロト!」
押し問答だった。これじゃ埒が明かない。
(ムリヤリにでも、このベリアルとかいうヤツを何とかしないと……)
その時ぼくは、最大のしくじりをした事に気が付いた。
(そうだ、どうして……どうして天使の時に、こいつを浄化しなかったんだろう!!)
こいつの言う様に、ベルナエルが二重人格だというのなら、悪魔のベリアルの人格は浄化によって死ぬんじゃないか? ベリアルが死ねば、必然的に天使のベルナエルが表に出てくるんじゃないか? ぼくはそう考えた。
けれどももう遅い。ぼくは天界を追放され、悪魔になってしまった。浄化のスキルはもう使えない。
どこかで天使を捕まえて、脅す……? いや、無理だ。天使は、悪魔に屈するぐらいなら死を選ぶ。やはりどうにかしてベリアルを黙らせ、ベルナエルを呼び起こさないと。
何年、何百年かかろうと、ぼくは彼女に会わなくちゃならない。そして訊かなくちゃ。どうしてぼくを裏切ってたのか。彼女の答えを聞けば、ぼくのこのワケのわからない感情は解消されるハズだ。
彼女が裏切ってたと知って、ぼくは怒っているの? それとも絶望しているの? ぼくは彼女を許せないの? 自分ではわからない。他のヤツはどうなんだろう? 裏切りは悪魔のおはこだ。ぼくが裏切りを実行していけば、裏切られたヤツがどういう気持ちを抱くのか見れるかもしれない。
方法は何でもいい。とにかくぼくはベルナエルに会わないと。ベルナエル、あんたにもう一度会えるなら、ぼくは何だってする。ぼくの心は闇に染まってしまったけど、あんたを愛してるというこの気持ちだけは、何故か穢されていないんだ……。
アスタロトはそっと目を開けた。その場所は薄暗く、何もないただの空間だった。
(遺跡の部屋じゃない……。今のは、過去の夢だ。ここはまだ夢の中か……クロエめ……!)
アスタロトは自分の身に何が起こったかを察し、拳を握りしめた。すると周囲が少し明るくなり、目の前には、優里とシュリ、クロエが警戒しながら自分を見ている事に気が付いた。
「アスタロト、やはりお前は、ユーリにベルナエルを殺させようとしていたな」
シュリはそう言って、アスタロトを見据えた。
「わたしに嘘がバレない様に、お前は絶妙な話し方をした。“体を支配されている”という言い方をして、わたしたちに悪魔に乗っ取られていると解釈させた。実際は二重人格のベルナエルが、もうひとつの人格に支配されているという事だったのだな。悪魔の浄化の件も、ベルナエルを浄化する事は、殺す事じゃないと思わせる為に、クロエに話を振って説明させた。お前が話せば、それが嘘だとわたしに感づかれるかもしれなかったからだ。追い出された悪魔をどうするのかという質問をユーリがした時、わたしは一瞬お前から目を離してしまった。お前はそれを見逃さず、自分が煉獄へ連れて行くと嘘をついた。お前から目を離したわたしの落ち度だが、本当に狡猾な男だ」
シュリの言葉に、クロエが眉間にしわを寄せた。
「本当に……悪魔というのはずる賢い種族ですわね……」
アスタロトは観念した様にひとつ息を吐くと、曇った銀色の瞳を優里たちに向けた。
「相手はただの人格だ。ベルナエルじゃない」
「違うぞアスタロト。ベリアルとベルナエルは同一人物だ。浄化すれば、恐らくベルナエルも死ぬ」
「死なない!! ベルナエルは天使だ!!」
シュリの言葉に、アスタロトは声を荒げ睨みつけた。
「ク……ククク……あはは!」
その時、アスタロトの後ろから、ベルナエルの笑い声がした。アスタロトが振り向くと、そこには笑いをこらえきれないといった表情をしたベルナエルが、アスタロトを見ていた。
「オレを殺せなくて残念だなぁ、アスタロト」
「ベルナエル……!」
アスタロトはぎりっと唇を噛んで、ベルナエルを睨みつけた。
「そこの金髪の男が言う様に、オレはベルナエルのもうひとつの人格で、オレとベルナエルは同一人物だ。追放され悪魔になったオレたちに浄化を使えば、普通に死ぬだろうな」
「死ぬのはあんただけだベリアル! ベルナエルは天使のままのハズだ! その白い羽がその証拠だ!」
「この羽は……ベルナエルの最後の足掻きってヤツじゃないのか? なんにせよ、お前はオレを殺せないし、ベルナエルにも会えない。この先、一生な!!」
ベルナエルはそう言って高らかに笑った。そんなベルナエルに掴みかかろうとしたアスタロトを、クロエが羽交い絞めにした。
「離せクロエ!!」
「ユーリ様の夢の中で暴れる事は、わたくしが許しません!!」
その様子をクスクスと笑いながら見ているベルナエルから、微かに声がしたのを、優里は聞き逃さなかった。
『ごめんね……アスタロト……』
小さく、消え入りそうな声だった。優里はハッとして、ベルナエルに目を向けた。
(聞こえる。これは……ベルナエルの……)
優里は、アスタロトの過去の夢で視た、可愛らしいベルナエルの事を思い出していた。
(ベルナエルの……本当の心の声……!?)
アスタロトと一緒にいる時のベルナエルは、本当に楽しそうに見えた。優里には、アスタロトを見つめるベルナエルの瞳が、その柔らかくて幸せそうな表情が、ベルナエルの本当の心そのものの様に思えた。
「ベルナエルは……裏切ってない」
優里はそう呟いて、ベルナエルに近付いていった。
「ユーリ」
シュリが止めようとしたが、優里はシュリの顔を見ると、小さく笑った。
「大丈夫です、シュリさん。私は……私には、ベルナエルの気持ちがわかるんです」
そう言って、優里はベルナエルと向き合った。
「な……何だよ?」
ベルナエルは、真っ直ぐに自分を見つめてくる優里に、少したじろいだ。
「私にはわかる。ベルナエルがどうして本当の事をアスタロトに言えなかったのか。私も……私も、同じ様な気持ちを抱いた事があるから……。でも、これは私が言う事じゃない」
優里はベルナエルの両肩を掴み、しっかりと目を合わせた。
「ベルナエル、これは、あなたが自分でアスタロトに言わないと」
「な……んだ? 何を言って……?」
ベルナエルには、優里が何を言っているのかわからなかった。だが、優里の紫色の瞳を見つめていたら、何故かクラクラと目が回って来て、激しい睡魔に襲われた。
「な……何なんだ……お前……は……」
ベルナエルは猛烈な睡魔に抗えず、その場に崩れ落ちた。
「ベルナエル!!」
アスタロトは、自分を拘束していたクロエを無理矢理引き剥がすと、倒れたベルナエルの元へ駆け寄り、抱き起こした。
「何をしたんだユーリ!?」
優里自身も、突然倒れたベルナエルに驚いていた。
「わ、私は何も……ただ、ベルナエルの声が聞こえて……」
「声!?」
その時、アスタロトの腕の中で、ベルナエルが目を開けた。
「……アス……タロト……」
「ベルナエル!?」
ベルナエルは体を起こすと、アスタロトに向き合った。
「アスタロト……ずっと……ずっと黙ってて……言えなくてごめんね……」
そう言ったベルナエルのエメラルドの様な瞳には、優しい光が宿っていた。
「ベルナエル……あんたなの?」
アスタロトは、確認する様にベルナエルの瞳を見つめた。
「やっと……やっと……」
そう呟きながら唇を震わせたアスタロトは、気まずそうに目を伏せたベルナエルをそっと抱きしめた。
ベルナエルは戸惑ったが、与えられた温かい温もりに応える様に、アスタロトの腰に腕を回した。
「やっと会えた……」
お互いに震える手で抱きしめ合うふたりを、優里たちは黙って見つめていた。
月・水・金曜日に更新予定です。




