92 アスタロトの過去 その2
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それから、ぼくとベルナエルはよく一緒に遊ぶ様になった。
ベルナエルは基本、大人しくて引っ込み思案だったけど、きっかけを作ってあげると好奇心が顔を覗かせ、突然行動的になる事もあった。そしてハッとした様に我に返ると、すぐさまぼくに謝った。
「ご、ごめんねアスタロト……! ボク……キミのこと振り回してるよね」
「どうして謝るのベルナエル? ぼくは、そんなあんたといるのがすごく楽しいよ」
そう言って笑うと、ベルナエルもとても嬉しそうに笑った。
焦ったり喜んだり、恥ずかしそうな顔をしたかと思えば、急に目をキラキラさせて何かに夢中になったり、ぼくはくるくると変わる彼女の表情から、いつも目が離せなかった。
こんなに可愛いから、さぞかし人気者なんだろうと思っていたけど、ベルナエルはぼく以外の天使とは仲良くしようとしなかった。それどころか常に距離を置いていて、関わらない様にしていた。
何故なんだろうと思ったけど、ぼくにだけは心を許してくれているみたいで、それがとても嬉しかった。
そんなある日、地上の街では北の国の王子の生誕祭が行われていて、ぼくとベルナエルは空からその様子を見ていた。
「あれが王子様? まだ小さいね」
その生誕祭は、王子が生まれて5年目のものだった。どうやら王子は、誕生日のお祝いに犬を与えられ、従者たちが遠巻きに見守る中、一緒に遊んでいた。
でもぼくは、その様子を見て顔をしかめた。
「あのヒトたち……洗脳されてる……」
「えっ」
ぼくの横で、ベルナエルがビクリとした。
「あの王子は気付いてないみたいだけど、周りの従者たちが、犬に対して恐怖と嫌悪を抱いてる。何者かが、犬に対して恐怖を感じる様に、従者を洗脳したんだと思う」
ぼくがそう言うと、ベルナエルはごくりと喉を鳴らした。
「そ、それって……誰の仕業かな……?」
「さぁ? おおかた、王位を狙ってる誰かの仕業じゃない?」
「犯人……見つけないの……?」
「うーん、別にどーでもいいよ。ベルナエルは気になるの?」
ぼくがそう言ってベルナエルの顔を覗き込むと、彼女は声を震わせた。
「……アスタロト、ボ、ボク……」
ベルナエルが何か言おうとした時、地上で争う声が聞こえた。見ると、そこには数人の子供たちがいて、何やらモメていた。
「あっちに行けよ! 呪いがうつるだろ!」
「で、でも……皆でお昼を食べる様にって先生が……」
パンを手にした子がおずおずとそう言うと、ひとりの子が前に出て、ドンとその子を突き飛ばした。
突き飛ばされた子は転んでしまい、手に持っていたパンが地面に転がった。
「お前が近くにいると、俺たちにも災いが降りかかるんだよ!」
そう吐き捨てた子たちは、最後に地面を蹴ってその子に砂をかけた。砂まみれになった子はパンを拾ったが、パンも砂まみれでとても食べられるような状態ではなかった。
(“呪われた子”に対するイジメか……。ホント……ヒトってくだらないコトするよね……)
ぼくは半ば呆れたようにその光景を見ていたが、ぼくの隣にいたベルナエルが、急に突き飛ばされた子の所へと降り立った。
「ベルナエル!」
ぼくも慌てて追いかけた。
ぼくたちは突き飛ばされた子の前に立ったが、その子はぼくたちの事が見えていない様だった。
(この子に、信仰心はそれ程ないんだな……。そりゃそーか。むしろ、月の女神のイイツタエが、この子を苦しめてるんだもんな)
その子は砂まみれになったパンを拾うと、軽く叩いた。それでも、細かい砂は落ちなかった。
それを見たベルナエルはパンに手をかざし、浄化のスキルを発動した。すると、パンについた砂は、みるみるうちに綺麗に取れていった。
「あ、あれ? どうして……」
その子は不思議そうな顔でパンを見つめていた。
「ベルナエル……」
天使は基本、地上の事に干渉しない。干渉し過ぎると、ヒトは努力をしなくなるだとか、お互いに特別な感情を抱いてしまうからだとかイロイロ言われていたけど、ぼくはただ、ヒトに関わるとロクな事にならないからじゃないかと思っていた。
「ボク……間違ってるかな……」
ベルナエルがそう呟いたから、ぼくは首を振った。
「間違ってないよ」
ぼくはそう言ってベルナエルの手を握った。ベルナエルは一瞬ビクリとしたけど、すぐに優しく握り返してくれた。
月食の日に生まれた子は、月の女神の祝福を得られない――――ぼくはこのモンダイを放置していたけど、このコトでベルナエルが心を痛めるのは本意じゃない。でも、ここまで浸透してしまったイイツタエを、ぼくだけで払拭するのは難しいだろう。何かきっかけが必要だ。何年、何十年、何百年かかるかわからないけど……。
以前のぼくなら、このモンダイをそれ程気にかけなかっただろう。けれど今は、隣にベルナエルがいる。ベルナエルが悲しむのなら、ぼくは、ぼくが放置してるこのモンダイを、何とかしなくちゃと思った。
「アスタロト様!」
その時、ぼくたちの前に数人の天使が降り立った。
「ミカエルじゃないか。何か用?」
「この国の多くの者が、何者かに洗脳されています! 近くに悪魔がいるのかもしれません!」
「ああ……さっき見たよ」
「え!? 悪魔をですか!?」
「違うよ、その洗脳されたヒトたち。あの程度の洗脳……悪意がなけりゃすぐに解ける。モンダイないでしょ?」
ぼくの言葉に、ミカエルはハァと大きくため息をついた。
「ヒトの悪意は、常にこの地に渦巻いています。手遅れになる前に、悪魔を退治しなければ」
そう言ってミカエルは、ぼくの隣にいたベルナエルに目を向けた。ベルナエルはその視線に怯えたように、ぼくの後ろに隠れた。じっくりと観察するようなミカエルの眼光に、ベルナエルは少し震えながらぼくの服をギュッと握った。
「ちょっとミカエル、あんたが退治したいのは悪魔でしょ。天使に凄んでどうするの」
ぼくがじろりとミカエルを見ると、ミカエルはフンと鼻を鳴らした。
「ベルナエル、“天使の鑑”と呼ばれている貴方なのに、最近たるんでいるのではないのですか?」
「天使の鑑? 何それ?」
「アスタロト様、ご存じないのですか? 品行方正、清廉潔白、ベルナエルは“天使の鑑”だと有名です。そんな貴方が天使の使命を忘れ、最近遊び呆けているように見えます」
ミカエルはベルナエルに説教をし始めた。ぼくは震えるベルナエルを背に庇いながら、ミカエルの前に立った。
「くだらないあだ名をベルナエルに付けるな。ベルナエルにだって自我があるんだ。天使云々の前に、ベルナエルは天真爛漫なただの女の子だ」
ぼくがそう言うと、後ろにいたベルナエルが小さく息をのんだのがわかった。
ミカエルはぼくの言葉に顔をしかめ、なんとか説得しようとしていた。
「……アスタロト様、貴方はこの地で“月の女神”として崇拝されている。その民を救いたいとは思わないのですか?」
「ぼくは天使だ。地上のコトには干渉しない」
「しかし、悪魔退治は天使の使命です」
本当に真面目なヤツだ。けれどぼくは、その真面目で窮屈なミカエルといるのが息苦しかった。
「使命使命ってうるさいよ。あんたが使命を全うするのに口出しはしないから、あんたもぼくのやるコトに口出ししないでよね」
ぼくはそう言ってベルナエルの手を引き、空へと舞い上がった。
「アスタロト様!」
ミカエルがぼくを呼ぶ声を無視して、ぼくはその場から飛び去った。
「アスタロト……、い、いいの……?」
「いいの、いいの。あいつ、口を開けば悪魔退治だの使命だの、正直うんざりしてたんだ」
「で、でも……“悪魔”は……きっとこれからもヒトを惑わすかも……」
「悪魔退治はミカエルに任せておけばいいよ。それより、今日はあの丘でお昼ご飯を食べない?」
丘は花で溢れていて、ベルナエルは感嘆の声をあげた。
「わぁ……! 綺麗……!」
祭りに行った時も、ベルナエルは花の飾りに釘付けになっていた。きっと花が好きなんだろうなと思った。この丘に連れてきてあげてよかった。
ぼくがそんなコトを考えながらベルナエルを見つめていると、ベルナエルは器用に花で冠を作って、それをぼくの頭の上にのせた。
「アスタロト……さっきはありがとう。ボク……ただの女の子って言われて……すごく嬉しかったよ」
そう言ってはにかみながら笑うベルナエルは、本当にすごく可愛かった。
ベルナエルがいればいい。他には何もいらない。そう思うほど、ぼくはベルナエルに心を奪われていた。
そうしてぼくがベルナエルにかまけている間に、北の国の治安はどんどん乱れていった。と同時に、何故かベルナエルも年々元気がなくなっていき、あの、花で溢れていた丘が戦争で焼け野原になった時は、酷い落ち込みようだった。
どうにかしてベルナエルを元気づけたい。でもぼくは、正直どうしたらいいのかわからなかった。ぼくは恥を忍んで、ミカエルに助言を求めた。
「あのさぁミカエル。これは……ぼくのトモダチの悩みなんだけど……」
「アスタロト様の友達……? ベルナエルの事ですか?」
「あ、いや、えーっと、ベルナエルとは違うトモダチだよ! ぼくじゃなくて、そのぼくのトモダチがさぁ、落ち込んでるヒトを慰めたいって悩んでて……どうしたらいいと思う?」
「……」
ミカエルが少し訝し気な目をぼくに向けたから、思わず目を泳がせてしまった。
「花でも……送ったらいいのでは?」
「花?」
「ヒトが、感謝を表したい時や気持ちを伝えたい時などに、花を送っているのを目にした事があります。とりわけ女性には効果があるようですよ」
「そうなの? あ、や、なな悩んでるヒトが女性かどうかはわからないケド、トモダチに提案してみるよ! ありがとうミカエル!」
(そうだ、ベルナエルは花が好きだった)
ぼくは足早にその場を離れ、まだ戦場になっていない地で花を摘んで花束を作った。
その花束を手に、ぼくはベルナエルがいつもいる森の大きな木まで行った。ぼくとベルナエルが初めて会ったあの場所が、今ではベルナエルの特等席となっていた。
木の枝に座る人影が見え、ぼくは声をかけた。
「ベルナエル!」
ベルナエルは、ハッとした様にぼくへと振り返った。一瞬、ぼくは負の気配を感じ、ベルナエルのあのエメラルドみたいな綺麗な瞳が、暗い影を落としている様に見えた。
けれどぼくが瞬きをして次にベルナエルを見た時は、いつもの綺麗な瞳だった。
(気のせいか……)
「ア、アスタロト! ど、どうしたの?」
ベルナエルは少し焦った様にぼくに向き合った。
「あ、うん、えっと……これ……」
ぼくが花束を差し出すと、ベルナエルは目を見開いた。
「これ……ボクに?」
「う、うん。ほら……最近ベルナエル元気がないから……。花、好きでしょ?」
ぼくは何だか照れくさくて、鼻の頭を指でかきながら目を逸らした。
「……」
ベルナエルの反応がなく、ぼくは不安になってチラリと彼女に目を向けた。すると彼女は、花束に顔を埋め、泣いていた。
「え!? え!? なんで!? ご、ごめんねベルナエル! もしかしてこの花、キライだった!?」
慌てふためいたぼくに、ベルナエルはフルフルと首を振った。
「ううん……好きだよ……。好きだよ……アスタロト……」
最後に名前を呼ばれ、まるで自分のコトが好きだと言われたような気分になり、ぼくは顔が熱くなった。
「ベ、ベルナエルには……いつでも笑顔でいて欲しいんだ……。戦争ばかりで嫌になるかもしれないケド……」
ベルナエルが、地上での争いに心を痛めているコトは知っていた。大好きな花畑が戦火に巻き込まれて、さぞかし傷付いたに違いない。
「ごめんね……アスタロト……」
「どうしてベルナエルが謝るの。ヒトが愚かなのは、ベルナエルのせいじゃない」
ぼくの言葉に、ベルナエルは肩を震わせた。ぼくはずっと、ベルナエルのコトを信じていた。
けれど彼女は、もしかしたらぼくと出会った時からずっと、ぼくのコトをあざ笑っていたのかもしれない。
恋に溺れた哀れなぼくは、彼女に騙されて裏切られているのかもしれないというコトに、まだ気付かずにいた。
月・水・金曜日に更新予定です。




