表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
91/144

91 アスタロトの過去 その1

91


ぼくは天界が好きだった。綺麗な花畑に澄んだ空気。地上では常日頃からくだらない争い事が起こっていたけど、天界は平和そのもの。好きな時に好きな所へ行って、昼寝したり歌を歌ったり、ぼくは気ままに過ごしていた。


そんなぼくも、たまに地上に遊びに行く事があった。たまたま降り立ったその地では、何やら月に向かって祈ってるヤツらがいて、ぼくは興味を抱いてそっと近付いた。


すると、ボクを見つけたひとりの男が感嘆の声を上げた。


「め……女神様!! 月の女神様!!」


(女神様?)


普通のヒトにぼくは見えない。確かにぼくは()()にいるのだけど、天使のぼくを()()出来ないのだ。けれどたまに、ぼくの事を見えるヤツらがいる。神に祈る事を生業にしてる様なヤツらだ。信仰心が厚すぎるヒトは、ぼくがここにいると認識できるらしい。


「なんて美しい……!」


「女神様、どうかこの国をお導き下さい……!」


(女神って……ぼく、男だし)


天使は基本、地上には干渉しない。けれど、熱心に神に祈るヤツらを無下にもしない。ぼくはため息をついて、それらしい事を言った。


『罪は絶えずお前たちのそばにある。だが心を騒がせるな。あらゆる苦労の内に幸せを見出す事にこそ意味がある。わたしは常にお前たちを見守っている』


つまりは、ぼくは何にもしないから、自分たちで考え、自分たちで行動しろよという事なのだが、そこにいたヤツらは涙を流し、崇高なものを見る様な瞳をぼくに向けた。


「ああ……女神様……ありがとうございます……ありがとうございます……」


どう解釈したのかは知らないが、ぼくはやたら感謝され、その後その地の城に、ぼくによく似た銅像が建った。


ぼくはその地……北の国で、月の女神として崇拝された。ぼくを称える祭りが催され、祭壇には綺麗な花や美味しい食べ物がまつられ、人々は歌や踊りでぼくに感謝の意を表した。


北の国は活気に満ちていて、繁栄している平和な国だった。けれどある時、つまはじきにされている人々がいる事に気が付いた。どうやら、ぼくを崇拝するあまり、月が隠れる月食の日に生まれたヤツは、ぼくの加護を得られない……むしろ呪われた子だと言って差別されているらしかった。


まったく……ヒトは本当にくだらない。一体誰がそんな事を言い出したんだ。


「アスタロト様、きっと悪魔の仕業です。悪魔がヒトをそそのかしているんです。見つけ出して退治しましょう! それが、私たち天使の使命です!」


正義感の強いミカエルという天使が、ぼくに言った。


「別にどうでもいいよ。めんどくさいし、ほっとく」


普通の天使は、ミカエルの様に、ヒトを惑わす悪魔を許さなかった。地上のヒトには干渉しないが、悪さをしようとしている悪魔を退治するのが、言わば天使の役割……使命だった。そうして、ヒトが過ちを犯さぬ様に()()()()いるのだ。だけど、ヒトの方から悪魔に歩み寄り、契約を結んだヤツらは絶対に助けたりしなかった。例え途中で過ちに気付き手を伸ばしても、そのヒトが地獄に堕ちる様を、黙って見届ける残酷さも持ち合わせていた。


ぼくはそんな天使たちも、自分勝手な地上のヒトたちもあまり好きではなかった。天使の中で、ぼくは異端者だった。


そんなワケで、ぼくはいつもひとりだった。別に寂しくもなかったし、何にも気を使わなくていいからラクだった。


そしてぼくはいつものように、ひとりで地上の森をブラついていた。誰も近付かない様な深い森の中に、お気に入りの大きな木があって、その枝に腰を掛けて、空や森を見渡すのが好きだった。

だけどその日、ぼくが枝に座ろうと翼を広げ飛び上がると、先客がいた。


枝に腰掛けていた女の子は、金色のクリクリとした短い髪に、美しく大きな白い翼を背に持つ、よくヒトが描く絵画に出てきそうな、見るからに天使だった。


ぼくは、その美しい羽を目にし息をのんだ。視線に気付いたその天使と目が合い、ボクは動けなくなった。綺麗な、宝石のエメラルドの様な瞳……。ぼくの胸がドキンと高鳴った。


その天使は黙ってぼくを見つめ、そしてハッとした様に謝った。


「あっ、あの! ごごごごめんなさい! キ、キミがいつもここから見ていた景色が見てみたくて……!」


すごくかわいい声だった。ぼくはドキドキする胸を押さえ、ごくりと喉を鳴らした。


(いつも、見ていた? この天使は、ぼくがいつもここに座っているのを、どこからか見ていたのか?)


慌てて飛び去ろうとしたその天使を、ぼくは思わず引き留めた。


「待ってよ! じゃあ一緒に……見たらいいじゃないか」


「い……いいの……?」


ぼくは彼女の隣に座り、名前を言った。


「ぼくはアスタロト。あんたは?」


「ボ……ボクはベルナエル……」


“ボク”と言っていたが、ベルナエルは女の子だった。


「……」


「……」


まずい。会話が終わってしまった。ぼくから誘っておいて、この沈黙はまずい。


ぼくは必死で会話の引き出しをまさぐった。だけど、普段ひとりでいるぼくに、これといったオモシロイ話はなかった。


ぼくが平常心を装いながら会話の糸口を探していると、ベルナエルの方が先に口火を切った。


「い、いつも……ここから何を見てるの……?」


「え? 別に……空とか……森とか……」


「ふうん……」


「……」


また会話が終わってしまった。せっかく彼女の方から話を振ってくれたのに、何をやってるんだぼくは。


その時、パンという音が鳴り、空に小さい煙が立ち上っていた。


「な、何?」


彼女はビクリとして、音が鳴った空を見た。


「ああ、お祭りの開催を知らせる花火だよ。今日から月の女神……ぼくをを称えるお祭りが始まるんだ」


「アスタロト、月の女神だったの? ご、ごめんボク……アスタロトは、てっきり男の子だと思ってた……」


「え? あ、ああ、ぼくは男だよ。ヒトが、勝手にぼくを女だとカンチガイしたんだ」


「そうなの? ボクもよく……男に間違われるよ」


「え!? 声も顔もこんなにカワイイのに!?」


「えっ……」


ぼくの台詞に、ベルナエルの頬が赤く染まった。


「あっ! いや、その! 違う! ……って違わないけどっ!」


ぼくは自分の言った事に動揺し、顔が熱くなるのを感じた。


「あの、えーっと……よかったら……一緒にお祭りを見に行ってみない?」


気まずい空気を何とかする為、ぼくは話を逸らした。


「う……うん」


ベルナエルが小さく頷いたから、ぼくは手を差し出した。


「じゃ、じゃあ行こう……。案内するよ」


ベルナエルは、白くて小さな手をボクの手に乗せた。ぼくはその手を握って、ふわりと空に飛び立った。




お祭りが開催されている街の手前に降り立ち、ぼくはベルナエルに確認した。


「この街はさ、信仰心の厚いヒトが多いから、ぼくらは認識されやすいんだ。お祭りを楽しむタメには、周りに天使だってバレない様にしなくちゃならない。“種族隠蔽”のスキルは使える?」


「う、うん。使えるよ」


そう言ってベルナエルは種族隠蔽のスキルを発動した。ぼくも同じ様にスキルを発動し、ぼくらはお祭り会場へ歩き出した。


「わぁ……!」


会場は綺麗な花で飾られ、美味しそうな食べ物や土産物が売っている出店が立ち並んでいた。


「すごいね、アスタロト!」


ベルナエルは綺麗な瞳をより一層輝かせて、ぼくの手を引っ張った。ぼくが案内すると言ったのに、ベルナエルの好奇心はぼくのそれを上回った。


一通り会場を見て回った時、ベルナエルのお腹がぐうと鳴った。ベルナエルは赤くなって、お腹を押さえてぼくを見た。

ぼくは聞こえなかったフリをして、少し大きな声を出した。


「あー! なんかぼくお腹が空いたなー! ベルナエル、ちょっと待ってて!」


ぼくはそう言って、出店でりんごのパイを買ってベルナエルに渡した。


「はい! 一緒に食べよう」


「えっ……アスタロト、地上のお金持ってるの……?」


「あー、うん。ほら、焼き立てのうちに食べよう!」


「あ、う、うん、ありがとう……」


お金は、祭壇から拝借したものだった。


(“月の女神”である“ぼく”に捧げられたお金だ)


ぼくは自分をそう正当化した。


「あ、でも……りんごだね、これ……」


天界では、りんごを食べる事は禁忌とされていた。


「ここは地上だよベルナエル。天界の掟は関係ないさ。りんごは北の国の名産品なんだ。北の国に来たら、絶対に食べないと」


ぼくはそう言って、りんごのパイを頬張った。


「うん! 美味しー!」


ぼくの顔を見て、ためらっていたベルナエルもパイをかじった。


「美味しい……!」


「でしょ? ……デモ、これで共犯だね、ベルナエル」


「えっ!?」


したり顔をしたぼくを見て焦ったベルナエルは、大口を開けてパイを一気に食べた。


「証拠隠滅……!」


もぐもぐと口を動かしながらそう言ったベルナエルが可愛くて、ぼくは愛おしさが込み上げた。


初めて知るこの気持ちは何だろう?


ぼくとベルナエルが口にした禁断の果実は、甘くて少し酸っぱくて、ぼくがこの時ベルナエルに抱いた気持ちによく似ていた。



月・水・金曜日に更新予定です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ