90 協力
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「助ける? 昨日は殺して欲しいって言っていたのに?」
優里が眉間にしわを寄せて訊き返すと、アスタロトはばつが悪そうに笑った。
「その言い方は適切じゃなかったって言ったろ? ぼくのトモダチ……ベルナエルは、悪魔に体を支配されてるんだ。悪魔に支配されている者に浄化を使えば……どうなるのか、クロエならわかるでしょ?」
(ベルナエル……? 確か、昨日リヒト君の夢の中で、アスタロトが呟いてた名前だよね……?)
優里は、昨日の事を思い出していた。
「ユーリ様、悪魔に体を支配されている者に浄化の能力を使うと、その悪魔は体から追い出されるのです。殺す事にはなりませんわ」
アスタロトに話を振られたクロエは、優里に対して補足した。
「クロエの言う通り、取り憑いた悪魔は浄化で死ぬ訳じゃないよ。悪魔にとって浄化は、取り憑いたモノとの縁を切られるコト……つまり、取り憑いた悪魔を魂から引き剥がすのが浄化だ。ただ……何にも取り憑いていない悪魔……ぼくやサルガタナスなんかに浄化を使ったら、死んじゃうかもしれないけどね」
(アスタロトは、嘘は言っていない……。浄化に対する説明にも、嘘はない。だが何か違和感を感じる。それならば、何故アスタロトは一番初めに『殺して』という言葉を使った? 本人は適切ではなかったと言っていたが、ただの言い間違いとも思えない)
シュリが考え込んでいる中、優里が質問を続けた。
「追い出した悪魔はどうするの?」
「そうだね……煉獄にでも連れていこうと思ってるよ。ぼくのトモダチを苦しめた罰さ。煉獄で、ぼくの配下として働いてもらう」
そう言ったアスタロトの声は、低く落ち着いていた。シュリは顔をあげ、質問を続けた。
「そのベルナエルとかいうお前の友は、今何処にいる?」
「ここ北の国の森の中にある、遺跡に捕らえてる。その遺跡は昔神殿だった所で、今でも聖なる力が満ちてるんだ。だから、悪魔は能力を使えない。ベルナエルを閉じ込めておくには、打ってつけの場所さ」
「それって……悪魔族の私も、そこではスキルが発動できないんじゃないの?」
優里の疑問に、クロエが優里の方を向いた。
「悪魔には無理でも、ユーリ様の魔力を操るのは精霊であるわたくしです。ですから、スキル自体は問題なく発動出来ると思いますわ」
(なるほど……魔力の操作が出来なくなるって事なのか)
「悪魔による体への支配が無くなれば、ぼくは、ぼくのトモダチのベルナエルに会えるんだ。ぼくはとにかく彼女に会いたいんだよ」
(彼女……。ベルナエルは女性なんだな)
「どうしてそんなにも彼女に会いたい?」
シュリがそう訊くと、アスタロトは強い口調で言った。
「好きな子に会いたいと思うのは、フツウのコトでしょ?」
「え!?」
思わず優里が驚きの声を上げたが、アスタロトは切なそうな表情をして、優里を見た。
「ぼくはベルナエルが好きなんだよ。愛してるんだ。だから、とにかく彼女に会いたいんだ」
「あ、愛……あ、そ、そう……」
アスタロトのカミングアウトに、優里は動揺を隠せなかった。
(す、好きな人に会いたいって! 気持ちはわかる! わかるけど……あのアスタロトが恋してるって事!? いやいや、そんな事言うのも失礼だけど! でも……)
優里はシュリの方を向いた。注意深くアスタロトを観察していたシュリは、静かに口を開いた。
「アスタロトは嘘を言っていない。ベルナエルを愛していると言った事は本当だ」
(えーーーー!! そうなのーーーー!?)
「お願いだよユーリ。ぼくを彼女に会わせてよ……」
上目使いで自分を見つめてくるアスタロトの視線を避ける様に、優里はクロエを見た。クロエは少し考えた後、優里に向かって答えを出した。
「ユーリ様、わたくしはアスタロトに協力致しますわ」
「あっ、そう!? う、うん、わかった! そうだよね! 好きな人に会いたいって思う気持ちはわかるもんね!?」
優里は動揺して早くなった鼓動を落ち着ける様に、深呼吸した。
「じゃあ、すぐに西の国に行って、リオの契約の変更をしましょう」
リヒトがそう言うと、アスタロトはじろりとリヒトを見た。
「ダメだ。ベルナエルの件が先だ」
その鋭い視線に、リヒトはごくりと喉を鳴らしたが、アスタロトはすぐに目を細めて口の端を上げた。
「ベルナエルと会えたら、リオの契約の変更を必ずする。ぼくは約束を違えたりしないよ」
「……わかりました。では、ベルナエルの元に案内して下さい」
「モチロン、皆で一緒に行こう。ハヤセ、あんたの転移魔法で連れてってよ。場所を教えるからさ」
こうして優里は、西の国に行ったメンバーと共に、ベルナエルがいるという遺跡に向かった。
ハヤセにより遺跡のすぐ近くに転移する事が出来たが、辺りはとても静かで、遺跡は森の奥深くにあるのだとわかった。
とても古く朽ちた遺跡ではあったが、折れた柱やボロボロの壁でさえも、日の光を浴びて輝き、聖なる力が満ちている様に感じた。
遺跡の中に入った優里は、輝かしい見た目とは裏腹に、重苦しい空気に顔をしかめた。
「大丈夫? ユーリ。悪魔族のあんたやサルガタナスにはちょっとキツイかもしれないケド、少しガマンしてね。あ、あと、遺跡に射し込む日の光には注意して」
「うっ!!」
アスタロトがそう声をかけた瞬間、リヒトが声をあげた。優里が目を向けると、日の光に当たったリヒトの手が、火傷の様に赤くただれていた。
「リヒト、大丈夫!?」
ハヤセが急いで怪我の状態を確認した。
「ここに射し込む光はさ、遺跡の聖なる力によって、悪魔がニガテな聖属性の光に変換されるんだよ。当たったらケガするから、気を付けて」
「……アスタロト様、そういう事は、遺跡に入る前に説明して下さい」
「経験は思考から生まれ、思考は行動から生まれるんだよ、サルガタナス」
「いや、どや顔でそんな名言言ってますけど、こういう時に使う言葉じゃないですから」
「さて・・・・ここだよ」
突っ込むリヒトをよそに、アスタロトは遺跡の一番奥にある部屋の扉を開いた。
部屋には、両手・両足を鎖に繋がれ、ぐったりと横たわっている悪魔がいた。両手の鎖は首に付いている鎖と繋がっており、両足の鎖には鉄球の様なものが付いていた。しかし、そんな錘の様な物がなくとも、ボロボロの遺跡の隙間から射し込んだ日の光がその悪魔の周りを照らしていて、簡単には動けない様に見えた。
(この人がベルナエル……!? この見た目は……まるで……)
魔力感知を取得していた優里だったが、遺跡の力によりその能力も発揮できなかった。しかしそれ以前に、目の前の人物が悪魔だとは、優里には到底思えなかった。なぜなら、瀕死の状態のその悪魔らしき人物は、金色の髪に宝石のエメラルドの様な美しい瞳、そして何よりも、大きくて美しい真っ白な羽を背中に携え、その見た目は悪魔というよりも天使そのものだった。
「ア、アスタロト……! そいつらは誰だ!?」
気配に気付いたベルナエルは顔を上げ、優里たちを見回した。
シュリやクロエも、ベルナエルのその見た目に驚いている様だった。
「まるで天使じゃありませんの。 天使が悪魔に取り憑かれるなんて事がありえますの?」
クロエは、訝し気にアスタロトを見た。
「シュリやクロエには感知出来てるだろうけど、彼女は今、紛れもない“悪魔”だ」
アスタロトの言った通り、シュリとクロエ、ハヤセにはベルナエルが“悪魔”だと感知出来た。元々の種族はどうあれ、悪魔に取り憑かれるとその種族は“悪魔”と認識されるようになる事を、この世界の住人のシュリとクロエは知っていた。
「確かに……見た目はどうあれ、彼女は悪魔ですわね。アスタロト、わたくしはユーリ様の安全を第一に考えていますの。この悪魔は瀕死の状態ですが、本当に能力は発揮できないんですのね?」
クロエの確認に、アスタロトは大きく頷いた。
「ああ、できないよ。この部屋の中で、悪魔は無能だ」
「……それを聞いて安心しましたわ。ユーリ様、早速始めましょう」
「う、うん……」
目の前に立っている優里とクロエ、アスタロトを順に見たベルナエルは、声を荒げた。
「な、何をしようとしている!? アスタロト!! 一体何をするつもりだ!?」
クロエは優里の魔力を操り、スキルを発動させた。紫色の光が優里たちに降り注ぐ中、アスタロトはベルナエルを見下ろすと、例の悪魔の微笑みを見せた。
「さようならベリアル。もう二度と、ぼくの前に現れないでね」
(ベリアル!?)
アスタロトの言葉を聞いたリヒトが、光に包まれているベルナエルを見た。
(ベリアルって、有名な悪魔じゃないか! こいつはベルナエルとか言う悪魔じゃないのか!?)
リヒトがおかしいと疑問を抱いた次の瞬間、クロエは隣にいたアスタロトの腕を掴んだ。
「クロエ!? 何だ!? 離せ!!」
突然腕を掴まれ、アスタロトは魔法を放って離れようとしたが、スキルが発動しなかった。
(しまった! この部屋では、悪魔のぼくは魔力の操作が出来ない!)
「くそっ! はな……せ……!」
アスタロトは必死で抵抗しようとしたが、降り注ぐ優里の光により、抗えない睡魔に襲われた。
「残念でしたわねアスタロト……。これは、浄化のスキルではありませんのよ」
クロエはそう言うと、シュリに向かって叫んだ。
「シュリ!! ユーリ様を支えて下さいまし!! 一緒に夢の中へ!!」
クロエの叫びに、シュリは優里の元へ駆け寄った。そして眠る優里を支えながら、シュリ自身も光の作用により眠りに落ちていった。
「ん……」
気が付くと、優里は一面に広がる花畑にいた。
「あ、あれ!? 私、遺跡の中にいたはずじゃ……」
「ユーリ、落ち着け、大丈夫だ」
聞き知った優しい声が聞こえ優里が振り向くと、そこにはシュリの姿があった。
「シュリさん! ここは一体……」
「ユーリ様、申し訳ありません」
優里の言葉を遮り、クロエが姿を現した。
「クロエ!」
「ユーリ様、わたくしはアスタロトの事がどうしても信用出来ませんでした。なので、あいつの過去を視て、ベルナエルを浄化すべきかどうか確認したかったのです。事前にユーリ様に許可を頂かなかった事をお許しください」
クロエは深々と頭を下げた。シュリは優里の方を向き、視線を合わせた。
「ユーリ、クロエを責めるな。わたしも、何か違和感の様なものを感じていた。アスタロトは本当の事を言っていたが、言っていない事もあったはずだ。わたしは嘘が見抜けるが、言っていない事に関しては嘘かどうかも確認できない。それにアスタロトは先程、ベルナエルの事をベリアルと呼んだ。奴は何かを隠している」
「それは……もちろんクロエを責めたりしないけど、どうしてシュリさんまで? それに、こんなに近くにクロエがいるのに、体調は大丈夫なんですか?」
「恐らく夢の中では、わたしの特異体質も影響しないのであろう。そしてわたしを呼んだのはクロエだ」
シュリがクロエを見ると、クロエはシュリの瞳を真っ直ぐ見つめて答えた。
「夢を見せ終われば、わたくしは魔力を断ち切られ消えてしまいますわ。眠るユーリ様をすぐに守れる方が必要だと判断しましたの。目覚めたアスタロトが何をするかわかりませんから。この夢の中でも、シュリなら何が起こっても絶対にユーリ様を守ってくれると確信していますの。シュリは、頼りになる男ですわ」
シュリは少し驚いた顔をして、フッと息をついた。
「……お前に、そんな風に思われているとは知らなかった。お前の顔を見る度に、吐き気を催し嫌悪していた事を謝ろう」
「ユーリ様、この男やっぱり殺していいですか?」
「クロエ! シュリさんてこういう人だから! 悪気はないの!」
殺気だったクロエを、優里が慌てて宥めた。
「……とにかく、わたくしは浄化ではなく、過去を見せるスキルを発動し、直前でベルナエルからアスタロトに移行しました。シュリはユーリ様が見せる夢を視るのは初めてですわよね? この偉大なるユーリ様のスキルを目の当たりにし、ユーリ様に尊敬と畏怖の念を抱けばよろしいですわ!」
そう言ったクロエの前に、ベルナエルが姿を現した。
「こ……ここは何だ!? クソ! オレをどうするつもりだ!?」
「ベルナエル……とか言いましたわね。ここは夢の中ですわ。貴方の事を、今はどうこうするつもりはありません。そこで、大人しくアスタロトの過去を視ていてくださいまし」
「過去……だって……!?」
ベルナエルの視線の先には、白い髪に銀色の瞳の美しい青年がいた。それは、背中の羽がまだ白い、天使だった頃のアスタロトの姿だった。
月・水・金曜日に更新予定です。




