86 浄化
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「私は……悲しい」
「悲しい?」
優里の言葉に、アスタロトは眉間にしわを寄せ、首を傾げた。
「私は……全て打ち明けてもらえなかったって知って、すごく悲しい。もっと……私を信用して頼って欲しかったって思ったから……。だけど、真実を言えなかったリヒト君の気持ちもわかるよ。だってこんな事……リヒト君が私に言える訳ない」
「なにそれ、どういう意味?」
アスタロトは心底わからないといった顔をした。
「リヒト君は……私の事を思ってくれたからこそ、言えなかった。私が真実を知れば、落ち込んで傷付いて、悩んでしまうかもしれないって……私を思いやってくれたんだよ」
「ユーリさん……」
リヒトは目を見開いて、悲しそうな顔をしている優里を見た。
「ユーリさん、俺は……ユーリさんが思っている様なヤツではありません。俺はきっと……怖かったんです。貴方に俺の過去を知られたら、恐れられるかもしれない。リオの父親の事を話したら、記憶を取り戻すのを反対されるかもしれないと思って、貴方にちゃんとした説明をしなかった。でも、俺はそれでも……それでもリオを助けたくて、結局は貴方を傷付けてしまった」
リヒトはそう言って目を伏せたが、優里は静かに首を振った。
「私は……傷付いてるのはリヒト君だって同じだって思うよ」
「なんだよ……それ……」
優里の言葉に、アスタロトが声を震わせた。
「何でそうなるの!? ユーリは裏切られたんだろ!? それなのに、何で裏切ったサルガタナスも傷付いてるなんて言えるんだ!!」
「アスタロト……リヒト君は裏切ってた訳じゃない。守りたかったんだよ」
「守り……たかった……?」
「私の知ってるリヒト君は、いつも飄々としてるけど、ホントは誠実で思いやりがあって優しい人だよ。人を裏切ったりなんかしない。リヒト君は、私が心を痛めない様に……築き上げた関係が壊れない様に、ただ守りたかっただけなんだよ」
優里がそう言うと、アスタロトは額に手を当ててよろよろと後ずさりした。そして、アスタロトの動揺に比例する様に、優里たちがいる夢の世界に、ヒビの様なものが入っていった。
「何で……そんな、守るとか……傷付いてるとか……。ユーリがそう思いたいだけでしょ!?」
「……そうかもしれない。……けど私は、自分で見て感じたリヒト君の事を信じたい」
そう言って自分を真っ直ぐ見つめてくる優里を、アスタロトは睨みつけた。
「信じるなんて、考える事をやめる愚かな行為だ! 都合が良くてラクな方に流されてるだけだ! ぼくよりも、ベルナエルの方が苦しんでたっていうの!? ベルナエルは……ぼくとのカンケイを守るタメに、何も言わなかったっていうの!?」
「え? ベルナエル?」
アスタロトが何を言っているのかわからず、優里は訊き返した。
「嘘だ……そんなの……嘘だ!!」
頭を抱えたアスタロトがそう叫ぶと、ひび割れた夢の世界が大きな音を立てて破壊された。と同時に、優里たちは無理矢理夢の世界から追い出された。
「きゃあ!!」
「ユーリ!?」
悲鳴と共に目覚めた優里は、鼻から出血していた。それはリヒトとリオの父親も同様だった。
シュリは優里を支え、アスタロトを睨んだ。
「何をしたアスタロト!?」
「確かめなくちゃ……ベルナエルに……。早く彼女に会わなくちゃ……」
アスタロトも鼻血を出していたが、その場にうずくまり何やらブツブツと呟いていて、シュリの声は届いていない様だった。
「アスタロト!!」
「うるさい!! ぼくに構うな!!」
シュリが声を荒げたが、アスタロトはそれよりも大きな声で言い返し、再びブツブツと呟き始めた。
シュリは埒が明かないと思い、血を流している優里に声をかけた。
「ユーリ! しっかりしろ!」
「シュリ……さん……」
「優里ちゃん! リヒトも動かないで! すぐに薬を作るから!」
ハヤセは慌ただしく薬草を準備し、薬作りに取り掛かった。
治療を終えた優里たちは、スキルが発動した直後にクロエが追い出され、アスタロトが夢に入り込んだ事をハヤセから聞いた。当のアスタロトは、その話に一切興味を持たず、ハヤセが治療をしようとしても無視していた。
ハヤセは息をついて、アスタロトの事はひとまず放っておく事にした。
「クロエは無事だったの?」
優里はクロエの事が心配になり、ハヤセに尋ねた。
「アスタロトに追い出された衝撃で血を吐いてたけど……見た感じ、たぶん大丈夫だと思う。でも相当ブチ切れてたから、次に召喚する時は、アスタロトに会わせない様にした方がいいよ」
ハヤセは優里にそう言って、チラリとアスタロトに目を向けた。
「北の国の一件を千里眼で視ていた時、アスタロトは人間と契約した悪魔の間に割り込み、その悪魔を殺してなり代わったと言っていた。今回クロエも、殺しはしなかったけど、同じ様に強い力で追い出してなり代わったんだと思う。過去の夢自体はちゃんと視れたの?」
「あ、えっと……」
「父親ではなく、俺の過去の夢が発動しました。恐らく、クロエさんを追い出した理由はそれです。アスタロト様は、ユーリさんとクロエさんの魔力を断ち切った後、ユーリさんの魔力をコントロール……制御して、俺の過去の夢を発動させたんだと思います」
「アスタロトに、そんな事ができるなんて……」
優里はアスタロトに目を向けたが、アスタロトは相変わらずブツブツと何かつぶやいていて、優里たちの話は耳に入っていない様だった。
「ユーリさん、アスタロト様は召喚に関してはエキスパートです。俺も油断していました。でも俺は……貴方を傷付けてしまってこんな事を言う資格はないけれど、貴方に過去を知って貰えてよかったと思っています。俺を信じたいと言ってくれた優しい貴方に、誤魔化したり嘘をついたりしたくない」
「リヒト君……」
「あー、ゴホン」
ハヤセは、いい雰囲気を作っている優里とリヒトの間にさり気なく入り、咳払いをした。
「じゃあ、リオの父親も君の過去を一緒に視たんだね? 僕たちの故郷の事、知られちゃったのかな?」
ハヤセの言葉に、優里とリヒトはハッとした。
(そうだ……前世の近代的な建物や乗り物は、この世界にはない物だ。ブラウンさんは変に思ったかもしれない)
そう思い優里は父親の方に目を向けたが、父親はそんな事を気にも止めていない様な、覇気のない目で俯いていた。
「おい……」
見かねたリヒトが話しかけると、父親は涙声で呟いた。
「リオが死んだら……オレはまたひとりになる……。何で……何でオレばっかりこんな目に遭うんだ……」
リヒトは眉間にしわを寄せ、父親に何か言おうとしたが、それよりも早く優里が声をかけた。
「ブラウンさん、あなたは……リオ君の死期が近いのを知って、悲しくないんですか?」
「……オレ……オレは……」
父親は、何かを思い出す様に頭を抱えた。
「妻を亡くした時……悲しくて悲しくて……すごく悲しくて、もう二度とこんな思いはしたくないって……! だからリオだけは、ずっとオレのそばに置いておきたかったんだ! あいつだって、オレがいなくちゃ何にも出来ないガキだ! あいつの為にオレは色々考えて……!!」
「あなたが考えてるのは、自分の事だけです」
優里は強い口調でキッパリと父親に言った。
「あなたが孤独を感じるのは、自分の事しか考えてないからです。あなたは自分の存在をリオ君に誇示する事で、孤独じゃないと思い込んでた。でも、孤独は力や束縛で満たされるものじゃない。少なくとも奥様が生きていた時は、思いやる心を持っていたはずです。でなければ、奥様の口から『幸せだった』なんて言葉は出てきません」
優里は、呆然としている父親としっかりと目を合わせた。
「思い出して下さい、ブラウンさん。あなたは本当は、優しい心を持っているはずなんです。リオ君に肩車をしてあげてた頃みたいに、思いやる気持ちがあったはずなんです!」
優里はリヒトの夢の中で、リオが笑顔で語っていた事が印象に残っていた。
「肩……車……」
父親の中に、懐かしく温かい記憶が蘇った。そして、最愛の妻が死ぬ間際に残した言葉を思い出した。
『私は幸せだった、ありがとう』
「妻は……幸せだったって……」
「ブラウンさん、人を思いやる気持ちは、誰かを幸せにできます。そしてそれは連鎖するんです。幸せそうな家族の笑顔を見て、あなたも幸せを感じていた」
父親に語りかける優里の体から、淡く優しい光が溢れ、それは父親を優しく包んだ。
その光景を見たシュリは、驚いて息をのんだ。
今までブツブツと独り言を呟いていたアスタロトも、その光に気付き目を見開いた。
(この光は、まさか……!?)
「あなたがリオ君に優しく笑いかけてあげれば、リオ君も笑顔になります。それだけで孤独は満たされる事を、あなたは知っているはずです」
光に包まれた父親は、一筋の涙を零した。
「ああ……知ってる……」
父親は、心が洗われる様な穏やかで優しい気持ちになっていくのを感じた。
(浄化……!?)
シュリとアスタロトが驚く中、優里は自分が浄化のスキルを発動していた事に、まだ気付かずにいた。
月・水・金曜日に更新予定です。




