85 リヒトの過去 その8
85
「先生、言われた通り、先程治療をした方の記憶を消しましたよ」
「うん、ありがとうリヒト」
俺は助手として、早瀬さんの事を“先生”と呼ぶ事にした。
先生が俺の能力を必要としたのは、自分が診た患者の記憶を消す為だった。
先生が患者を助けて集めているスキルポイントは、どうやら譲渡する事が出来るらしく、3ヶ月後……この世界で言う所の3年後に、この世界に来るかもしれない、先生の知り合いの転生者に譲渡したいそうなのだ。けれど、先生の薬師としての能力が有名になり過ぎて、様々な人に注目されるのは避けたいと、俺に記憶の消去を求めた。
俺は先生の望み通り、患者から先生の名前や顔の記憶を消した。それによって、患者は治してもらったという記憶はあるが、誰にというのが思い出せないという形になった。多大な功績と影響を与えながらも、人々は先生の事を特定できず、故に“伝説の薬師”と呼ばれた。
「僕は地図の星の色を変える為に旅をしなくちゃいけないけど、あんまり有名になって、その国から出られなくなったら困るんだ。領主とか王様とか、お金持ちは優秀な人材を囲いたがるからね」
先生が初めてこの世界に降り立ったのは、ここ、西の国だったらしい。大量の転生ポイントのおかげで、元々チート級の能力があった先生は、この世界での衣食住は全く困らなかった。その上、薬師という職業柄、先生の助けを求めている人はたくさんいて、スキルポイントをためるのにも苦労しなかった。
基本先生は、譲渡の為にポイントは使わずにいたが、たまに神様を呼び出して新しいスキルを取得していた。
『なんじゃ、まさか本当に、またおぬしに会う事になるとはのう。やはりおぬしは運が良い』
先生に呼び出された神様は、俺を見てそう言った。
地図を持っていない俺は、神様を呼び出す手段がない。本来なら、“煉獄の悪魔”が転生後に神様に会う事は確かに難しいのかもしれない。だけど俺は、先生といた事で再び神様と会う事が出来た。かといって神様に何かして貰うという訳でもないから、やはり運がいいのか悪いのかはよくわからないが。
先生は西の国ではなく、東の国にある、人が寄り付かない深い森の中に家を建て、そこを拠点として生活していた。薬は主にそこで作り、転移魔法で各地を回り、ポイントを集めていた。
「炭鉱で栄えてる西の国のこの町は、一見とても豊かに見えるけど、粉塵により苦しんでる人がいっぱいいる。初期の段階なら僕でも治せるから、しばらくはこの町で診療をするつもりだよ」
先生はそう言って、町の人達を診察する傍ら、リオのフォローをしてくれた。
リオに、父親は記憶障害を起こし、リオの事を忘れてしまった事を告げ、しばらくは父親を刺激しない為に会う事を禁じた。リオは最初納得がいかない顔をしていたが、先生が記憶の研究をしていて、必ず父親の記憶を取り戻すから、それまで待っていて欲しいと言い聞かせた。
それと同時に、先生はリオの咳や息切れといった症状を緩和させる為に、定期的に診察して薬を処方してくれた。俺はリオの診察に毎回立ち会っていたが、俺を召喚したという記憶を失ったリオにとって、俺はただの“ハヤセ先生の助手”だった。
「リヒト先生ってさぁ、目、ケガしてんの?」
「いや、これは……御守りみたいなもんだ」
あの日魔力が暴走してから、先生が俺の為に眼帯を用意してくれた。先生が用意してくれた眼帯は、どうやら魔力の暴走を防いでくれるものであり、もしもの時の為に、その眼帯を終始着けておく様に言われた。
「中二病っぽい」と言って笑いをこらえる先生の頭をどつきたかったが、我慢した。
まぁでも、「俺の右目が暴走しないうちに!」とかガチで言う場面にはオレ自身も遭遇したくないから、大人しく着けておく事にした。
「お守り……おれにもあるよ」
リオは、そう言って腰にぶら下げていた懐中時計を俺に見せた。
「これ、俺のお守りなんだ。炭鉱で拾った時は、動いてなかったんだけど……誰かに、直してもらったんだ」
「え……」
俺は、ごくりと喉を鳴らしてリオを見た。
「すごく……大事な人……だったと思うんだけど、なぜか思い出せないんだ。その人は……きっとおれを守ろうとしてくれてて、なのに俺は……うっ!」
そこで、リオが頭に手を当てて顔をしかめた。
「リオ!」
「大丈夫……。無理に思い出そうとすると、いつも頭が痛むんだ。誰かは思い出せないけど、その人が直してくれたこの時計を持ってれば、その人が俺の事ずっと守ってくれるような気がして……だから、これはおれにとって大事なお守りなんだ」
そう言って歯抜けの顔で笑ったリオを、俺は思わず抱きしめた。
「うわっ! なんだよリヒト先生! 離してよ!」
腕の中でもがくリオを、俺はしばらく黙って抱きしめていた。
(待っていてくれ、リオ。俺は……俺は、必ずお前の父親の記憶を取り戻す! それがお前の望みなら、俺は絶対に……!)
リヒトはゆっくりと目を開け、額に手を当てた。
(今のは過去の……? なぜ俺が……)
その時パチパチと手を叩く音が聞こえ、リヒトは音のする方へ目を向けた。するとそこには、気まずそうな表情をしている優里と、口の端を上げながら拍手をしているアスタロトがいた。
「ユーリさん……なぜ、アスタロト様が……!?」
アスタロトは拍手をやめて、リヒトの顔を見た。
「面白かったよサルガタナス。あんたの目に、ぼくがどう映ってるのかがよぉくわかったよ」
「リヒト君、ごめんね、私……」
リヒトの酷い過去を勝手に視てしまい、優里はなんて言ったらいいかわからず、目を伏せた。
その時、座り込んでいたリオの父親が、立ち上がってリヒトに詰め寄った。
「おい……リオがあと5年しか生きられないって、本当なのか!?」
その言葉を聞いて、リヒトも優里も驚いた。
「お前……リオの事……思い出したのか!?」
リヒトは父親の問いには答えず、肩を掴んで父親と視線を合わせた。
「そんな事はどうでもいい! リオはあと5年しか生きられないのか!? どうなんだ!?」
父親はそれでも必死で問いただし、リヒトは肩を掴んでいた手を離した。
「俺がリオに召喚されてから、もうすぐ3年になる。リオの寿命は、正確にはあと2年半だ」
「2年……半……」
父親はその場にへたり込み、頭を抱えた。
「何で……何でリオが……」
動揺する父親に、リヒトは苛立ちを覚えた。そして父親の胸倉を掴み無理矢理立たせると、声を荒げた。
「お前がロクに働かないから、リオが炭鉱で働かざるを得なかったんだろ! それでリオの肺は粉塵に侵された! そんな……そんなリオをお前は……!」
「リ、リヒト君、ダメだよ……!」
優里がリヒトを止めようとしたが、リヒトは父親に顔を寄せて凄んだ。
「お前は父親失格だ! けど、リオは……リオにはお前が必要なんだ! お前がクズで最低のクソ野郎だとしても……リオにとっては、たったひとりの家族なんだよ!!」
リヒトはそう叫ぶと、乱暴に父親から手を離した。父親はよろけて、再びへたり込んだ。
「サルガタナス~、あんた、この男に自分の鬱憤をぶつけてない? この男は、あんたの義父じゃないよ?」
アスタロトがニヤニヤしながらそう言うと、リヒトはギュッと拳を握って顔を逸らした。その態度にフンと鼻を鳴らしたアスタロトは、今度は優里の方に顔を向けた。
「ねぇユーリ、サルガタナスは、義父を殺しちゃったコトをあんたに黙ってた。その上、この男がリオに再び暴力を振るうかもしれないのに、あんたに記憶を呼び起こさせようとした。酷いよね、あんたは何も知らずに、サルガタナスを信じてたのに。ねぇ、どう思った? 信じてたヒトに裏切られてたって知って、怒りが込み上げてきた? 酷いよね? 許しがたいよね?」
アスタロトは、楽しそうに優里の周りを歩きながら語りかけた。リヒトは気まずさのあまり、優里の顔をまともに見れないでいた。
月・水・金曜日に更新予定です。




