83 リヒトの過去 その6
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「リオ!!」
そこは、例の秘密基地だった。目の前には、顔が腫れているリオの姿があった。
「リオ、父親に殴られたのか……!?」
俺はリオの腫れている頬に触れた。
「痛っ……」
「あ、わ、悪い……」
リオが顔をしかめたので、腫れて熱を帯びた頬から、俺は慌てて手を離した。
「こんくらいどってことないよ。仕事中に、もっと酷いケガを負ったことだってあるし」
「それとこれとは違うだろ!」
俺が大きな声を出したので、リオの体がビクリとした。
(ダメだ落ち着け。怖がらせてどうする)
俺は深呼吸をして、リオに向き合った。
「リオ、よく聞くんだ。お前の父親の教育方法は間違ってる。暴力で言う事をきかすなんて、絶対にダメだ」
「リヒトだって俺の父さんの腹をつねって、言う事をきかそうとしたじゃないか」
「それは……」
俺は何も言えなくなってしまった。俺はカウンセラーじゃない。どうすればいいのか全然わからなかった。
「父さんには……おれしかいないんだ」
「え?」
リオは目を伏せたまま話し始めた。
「母さんが死んだ時……父さんはいっぱい泣いて、おれを抱きしめて言ったんだ。もう自分の家族はおれだけだって。おれだけを愛してるって。だから絶対に、何があってもそばにいて欲しいって……」
リオはそう言うと、まるで懇願するかのような瞳で俺を見た。
「父さんは、おれがいないとダメなんだ。おれがいないと、父さんはひとりになっちゃう。だからもう、おれと父さんを引き裂くような真似はしないで」
愛……? 暴力を振るい、力でねじ伏せるのが愛なものか。父親が愛しているのはリオじゃない。自分自身だ。自分の存在を肯定する為、リオを利用して依存している。
けれど俺は、それをどう伝えればいいのかわからなかった。
(俺は、どうしたらこの子を救えるんだろう)
その時、ポケットに入っている物の存在を思い出した。
「リオ、これを」
俺は、煉獄で直した懐中時計を渡した。
「え!? 直ったの!? すごい! ちゃんと動いてる!」
「正しい時間がわからなかった。今は何時だ?」
「待って! 今はね……」
リオは、小屋にある古い置時計を見ながら時間を合わせ、嬉しそうに懐中時計を腰につけた。
「見て! カッコいい?」
「ああ」
「ありがとうリヒト!」
リオの歯抜けの笑顔が眩しくて、俺は目を細めた。
この笑顔を守りたい。でも、リオを無理矢理父親から引き離す事は出来ない。
(一度父親と話してみよう……)
俺はそう思い、次の日、リオに「父親にこの前の事を謝りたい」と言って、一緒に家に行く事を許してもらった。
俺たちがドアを開けようとした時、丁度サキュバスと入れ違いになった。
「あら、悪魔だなんて珍しいわね。ここの人に用事? 今日は結構いい夢見せてあげたから、まだ朦朧としてるかもしれないわよ」
サキュバスはそう言って、ウインクをしながら出て行った。
「父親は働いてないのか?」
「最近、休みがちなんだ……。でも、おれが代わりに働いてるから……」
そのサキュバスの言った通り、父親は薄ら笑いを浮かべながら、ベッドの上でぼんやりしていた。この父親は、あろうことかリオに働かせて、自分はいい夢を見せてもらってたのか。俺は、沸き上がる怒りを必死で押さえた。
「ブラウンさん」
俺が声をかけると、父親はのらりくらりと動き出した。
「おめぇは……」
「この前はすいませんでした。今日は、改めてお話にきたんです」
俺はなるべく丁寧に対応しようとした。だが父親は俺の姿を見るなり、眉間にしわを寄せた。
「ふざけんな! 出ていけ悪魔め!」
父親は、俺を恐れている様だった。
「父さん、リヒトはこの前のこと反省してるんだ。だから……」
リオが近付くと、父親はいきなりリオの胸倉を掴み、頬を平手打ちした。
「馬鹿かてめぇは!? オレがまたやられてもいいってのか!?」
「やめろ!!」
俺は、リオを父親から引きはがした。
「くそ!! 何が目的だ!! ふたりしてオレを陥れようとしてんのか!?」
「ち、違うよ父さん、おれは……」
「母親が死んでから、誰がてめぇの面倒を見てきたと思ってんだ!? 恩を仇で返す様な真似しやがって! オレを馬鹿にしてんのか!?」
「馬鹿になんてしてないよ! 怒らないで、父さん……」
リオはすがる様な目で父親を見たが、父親はリオを傷付ける言葉を大声で叫んだ。
「悪魔を手に入れて実の父親を脅すなんて、てめぇはクズだ!! てめぇみたいな奴は、オレの息子じゃねぇ!!」
「と、父さん……」
涙目になったリオを見て、俺は怒りを抑えきれなくなった。
「お前の息子じゃない……? ああ、そうかもな」
禍々しいオーラに包まれた俺の顔を、リオが見上げた。
「リヒト! 何をしようとしてるの!?」
「リオみたいないい子が、お前の様なクズの息子なわけがない」
そう言った俺の右目から、どす黒い靄が発生し、瞬く間にリオの父親をのみ込んだ。
「な、なんだこれは!?」
「父さん!!」
黒い靄に包まれた父親の元へ行こうとするリオを、俺は片手で押さえた。
「行くなリオ!」
「離してよ! 父さん、父さん!!」
リオは押さえていたオレの手に噛みつき、するりと抜け出ると、父親の元へ駆け寄った。黒い靄は既に消えていて、呆然とした父親が、駆け寄って来たリオを見て言った。
「誰だ……おめぇは……」
「父さん、大丈夫!?」
リオが父親に触れようとしたが、父親はその手を払いのけた。
「触るんじゃねぇ! こ汚いガキが!」
「と……父さん、どうしたの?」
「くそっ! 頭が痛ぇ……。オレは一体……」
「父さ……」
「リオ、来るんだ」
俺は、リオを家の外へ連れ出した。
「リヒト! 父さんに何したの!?」
「……記憶を消した」
「……え?」
俺は、涙目になっているリオの肩を掴み、言い聞かせるように目を合わせた。
「父親から、お前が息子だという記憶を消した。お前は自由だ」
「なに……言って……」
リオは一瞬言葉を失ったが、すぐに俺に食ってかかった。
「なんで!? なんでそんな事したの!?」
「リオ、お前の為だ。あんな奴、お前の父親なんかじゃない」
初めからこうすればよかったと俺は思った。そうすれば、リオが無駄に殴られる事もなかった。荒療治かもしれないが、これがリオの為だと。
「おれの為!? おれはこんなこと望んでない! 父さんは……父さんは、たったひとりのおれの家族だったのに!! おれのこと愛してるって言ってくれたのに!」
「リオ、それは……」
「どうしておれから父さんを取り上げたの!? どうして!?」
泣きながら俺に食い下がるリオを見て、俺は息をのんだ。
俺は、父親だけがリオに依存してると思ってたが、違う。リオが……リオも父親に依存していたんだ。
例え暴力を振るわれても、それは自分の事を思ってくれているから。自分は愛されている、必要とされていると……。父親の自己愛が歪んだ形でリオに与えられ、それによってリオは自分の存在意義を見出していた。
リオが欲しかったのは自由じゃない。どんな形だろうと、自分の事を愛しると感じさせてくれる、“家族”の存在。リオを支えていた光を、俺が闇で覆ってしまった。
「酷いよリヒト……こんな……こんなことになるなら……お前なんか召喚しなければよかった!!」
リオの悲痛な叫びに、俺の右目の奥が痛んだ。
「ぐっ……うぅ……」
俺は右目を押さえ、その場にうずくまった。
「リ、リヒト? どうし……」
リオは、俺の様子がおかしい事に気付き、顔を覗き込んだ。
「だ……ダメだリオ! 見るな!!」
押さえた指の隙間から、リオが俺を心配そうに見つめる瞳が見えた。次の瞬間、右目から再び黒い靄が溢れ出し、リオを襲った。
「うわぁ!!」
「リオ!!」
俺は必死で自分の右目から溢れる靄を止めようとしたが、それは俺の意志とは裏腹にリオを包み込み、やがて消えた。
「リオ!! 大丈夫か!? リオ!!」
声をかける俺をぼんやりと見つめ、リオが言った。
「誰……?」
「え?」
「お兄さん、誰? おれ、何で家の外に……? 頭痛い……」
「リ……オ……」
黒い靄に包まれたリオは、俺の事をすっかり忘れていた。
月・水・金曜日に更新予定です。




