82 リヒトの過去 その5
82
「ただいまー! あー、腹減った!」
夕方、リオは秘密基地に戻って来た。一日中炭鉱の中にいたのだろう。体中泥で汚れていた。
「リオ、メシの前にシャワーを浴びろ」
「メシが先だよ! もうお腹ペコペコなんだ」
「ダメだ。手洗いとうがいも忘れるな」
俺がそう言うと、リオはなぜか少し嬉しそうにした。
「リヒト、なんか母さんみたいだ」
「お前の母さんは……どんな人だったんだ?」
俺が尋ねると、リオは笑顔で語りだした。
「すっげー優しかった! 料理も上手で、おれの好きなものをいーっぱい作ってくれた! あの頃はお弁当を持って、母さんと父さんとおれでよく出掛けてて、父さんは、オレが疲れたって言ったら必ず肩車してくれたんだ!」
「……そうなのか?」
「うん! 父さんも母さんもいつも笑ってて……でも、母さんが死んでから……父さん、笑わなくなっちゃったんだ……」
リオは、そこまで言うとハッとした様に顔を上げた。
「じゃ、おれシャワー浴びてくる!」
慌てた様子で話を切り上げ、リオはシャワーを浴びに行った。俺はバレない様に、そっとその様子を窺った。
リオの体は不自然なあざだらけで、仕事で出来た傷だとは思えなかった。
俺は、父親の事をどう切り出すか考えていた。
昨日父親の事を訊いた時、リオはあの怯えた目をした。リオは父親を怖がっている。あのあざだらけの体を見る限り、恐らく暴力を受けているに違いない。仕事が終わってから、家ではなくこの秘密基地に来る事が、すぐに父親のいる家には帰りたくないという事を物語っていた。
でも先程のリオの態度を見る限り、母親が生きていた頃は幸せだった様に思えた。父親が変わったのは、母親が死んでから……?
シャワーを終え、俺が作ったメシを頬張るリオに、俺は慎重に切り出した。
「リオ、俺を召喚したという事を、お前の父親も知らないのか?」
リオは一瞬食事をする手を止めたが、すぐにパンをちぎり口に含みながら答えた。
「知らないよ」
「お前の父親はどんな人なんだ? 主の事は把握しておきたい。召喚した事を言えないのなら、“友達”でも“仕事仲間”としてでも、適当な理由をつけて紹介してくれ」
俺がそう言うと、リオは呆れたような声を出した。
「こんな年の離れた悪魔の友達がいるなんて、よけい怪しまれるよ! あと、魔族は炭鉱なんかで働かない。炭鉱は、魔力が無い人間が働く場所だ」
どうやら、遠回しに父親の事を訊くのは失敗したようだ。父親から暴力を受けているのか? と直接訊いても、恐らく本当の事は言わないだろう。むしろ、父親の事を庇い立てするかもしれない。俺の母がそうだった様に。
「それよりもさ、今日仕事でおもしろいもの見つけたんだ! 見てよこれ!」
そう言って、リオは鞄から鍵のかかった宝石箱の様な物や、何に使うかわからない、何かの部品の様な物を取り出した。
「これでさぁ、何か作れないかなぁ? 何か、おもしろいもの!」
(この部屋にあるガラクタは、リオが炭鉱で拾って来た物なのか……)
俺は宝石箱を見て、スキルで鍵を解除した。
「開いたぞ」
「え!? ホント!? すごい!」
宝石箱の中には、針が止まった懐中時計が入っていた。
「カッコイイ! これ、動かないかなぁ?」
「……箱の中に入っていたからか、状態がいい。少しいじれば動くかもしれないな」
「ホント!?」
懐中時計をいじる俺の手元を、目を輝かせ楽しそうに見るリオに、俺は父親の事をそれ以上訊けなくなってしまった。もしかして、これがリオの望みだったのだろうか? ほんのひと時の、楽しい時間の共有。俺も、義父が出張でいない時は、ホッとしていたのを覚えている。
だけど、このままでいい訳ない。
その日、俺は家に帰るというリオをこっそり尾行した。
リオの家は、どうやら今日俺が行った町にあるようで、帰る途中リオは市場で酒を買い、路地に入った。そして娼館が立ち並ぶ建物の一角にあるドアを開けた。
「父さん、ただいま」
俺は、家の中を覗き見るというスキルを持っていた。そのスキルを発動し、リオの父親を確認した。
「遅かったじゃねぇか。酒は買って来たのか?」
「うん……。でも、いつものお酒がなくて……」
「あぁ? ないわけねぇだろ? オレが行く時はいつもあるぞ」
「でも、今日はなかったんだ。それで……」
父親は、リオのわき腹をつねった。
「いっ……」
リオの顔が痛みで歪んだが、父親は手を緩める所か、さらに強くつねった。
「おめぇはホントに使えねぇな! “でも”、“だって”っていう言葉は使うなっていつも言ってんだろ?」
「ご、ごめんなさい……」
「どうして違う酒を買って来た? おめぇの悪い頭で考えた理由を言ってみろ」
俺の頭の中に、前世の記憶がフラッシュバックした。
(同じだ、この男は……俺や母を追い詰めていた、あの義父と同じ人種だ)
前世で、俺はそんな義父に恐怖を抱き、動けなかった。
だけど悪魔となった今、禍々しいオーラが全身を包み、俺の恐怖を、トラウマを、闇が覆った。
「なんだてめぇは!?」
気が付くと俺は、リオをつねる男の前に立っていた。
「リオから手を離せ、ゲス野郎」
「リ……ヒト……」
リオも、突然俺が現れた事に驚いている様だった。
「勝手に人んちに上がり込みやがって! 出ていけ!」
俺は、そう怒鳴った男のわき腹を掴んだ。
「いっ……痛でででででぇ……!! 何しやがる!? 離せ!!」
「一人前に痛がるな、クズが」
「ぎゃあぁぁぁ!! 痛てぇ!! やめっ、やめろぉ!!」
苦痛に歪む男の顔を見ても、俺の心は何の感情もなく、ただ冷たく鼓動しているのがわかった。
俺は、冷静に男を痛めつけながらも、自分の中にこんな残忍な部分がある事に驚いていた。これは悪魔の本質なのか、はたまた元々俺の中にあった性質なのか……。
その時、リオが俺の腕を掴んだ。
「やめて、リヒト!! やめてよ!! 父さんは悪くない!! おれが悪いんだ!!」
リオは、俺の母と同じセリフを吐いた。
「リオ、目を覚ませ! お前は何も悪くない! 悪いのはこの男だ! お前の父親の方だ!」
俺がそう叫ぶと、リオは涙目になり、必死で俺と父親を引き離そうとした。
「やめて! おれの父さんに酷い事しないで! 煉獄に帰ってよ!」
次の瞬間、俺の体は黒い靄に包まれ、俺は煉獄に戻された。
(召喚が解かれたのか!)
「くそっ!」
俺は、近くにあった岩山に拳を打ち付けた。
これで、リオに再び召喚されない限り、俺は地上に戻れない。
「あれ~? サルガタナス、戻って来てたの?」
楽しそうな声と共に、アスタロト様が俺の顔を覗き込んだ。
「ふふっ、ヒドイカオしてるね? あんたの主は、一筋縄ではいかなかった?」
その言葉を聞いて、俺はある事に気付いた。
「……アスタロト様、リオが虐待を受けていた事を知っていたんでしょう? そして、わざと俺に行かせる様に仕向けたんですね?」
「ええー!? あの子、虐待されてたの? ゼーンゼン知らなかったよ~! じゃあさ、サルガタナスってばもしかして、昔の傷を思い出しちゃったりしちゃったのかな?」
口の端を上げながら大袈裟にとぼけるアスタロト様を、俺は唇を噛んで睨みつけた。
「悪魔め……!」
そう呟いた俺の腹を、アスタロト様が蹴り上げた。俺は物凄い勢いで吹っ飛んで、岩壁に叩きつけられた。
「ゲホッ!! ゲホッ……!!」
俺は大量の血を吐いて、その場に膝をついた。
「口の聞き方に気を付けなよサルガタナス。与えられた仕事がうまくいかないからって、ぼくのせいにするの?」
アスタロト様は少し低い声でそう言うと、すぐに妖艶な笑みを浮かべ、跪いている俺を見下ろした。
「あの子、またあんたを召喚してくれるといいね? もしかしたら、あんたの暴挙を恐れて、召喚しないまま死んじゃうかもねぇ……」
そう言って、アスタロト様はクスクスと笑いながらその場を去った。俺は、地面についた手をギュッと握りしめる事しか出来なかった。その時、俺のポケットから何かが落ちた。
「これは……」
それは、リオが拾って来た宝石箱に入っていた懐中時計だった。
(直そうと思って、ポケットに入れておいたんだ)
懐中時計を見た時の、リオの嬉しそうな顔が頭をよぎった。
再びリオが俺を召喚してくれるかどうかはわからない。それでも俺は、もう一度リオに会って、何とかしたいと切に思った。
そして俺が煉獄に戻されてから3日後、俺は再び地上に降り立つ事が出来た。
月・水・金曜日に更新予定です。




