8 使い魔
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「シュリさん! 私、飛んでます!」
「降りて来られるか?」
興奮する優里に、シュリが手を差し出した。
優里は、シュリの手を掴んで、そのままふわりと地面に降り立った。
「とにかく……無事でよかった」
シュリはホッとしたように、優里の頭を撫でた。
「あの……心配かけてごめんなさい……」
優里は、飛べたということに興奮していたが、シュリの顔を見て反省した。
そして、足元に倒れている蛇女を見て、青ざめた。
「ど、どうしよう! 私、また……!」
自分のスキルが勝手に発動し、また傷つけてしまったのだと思い、優里は蛇女を抱き起そうとした。
「シュリさん! お願いします! 解毒薬を下さい!」
優里は慌ててシュリにお願いしたが、シュリは口元に手を添えて、何やら考えていた。
「いや……あのスキルは発動していなかった。これは…何か別の……」
そのとき、ぱちりと蛇女が目を覚まし、優里を見た。
「ユーリ様!!」
蛇女はそう言うと、いきなり優里に抱きついた。
「へ!?」
(優里……様!?)
「あぁ……! ユーリ様! 何故わたくしはあなたに刃など向けてしまったのでしょう……。わたくしはあなたの忠実なる僕だというのに! ユーリ様、どうか愚かなるわたくしめに罰をお与え下さいまし! そりゃあもう、ユーリ様の気のすむまで、わたくしにあんな事やこんな事を……どんな辱しめでも、わたくしにとってはご褒美……いえ、愛の鞭だと思い、耐えてみせますわ!」
蛇女は、顔を赤らめ、息も荒々し気に興奮した様子で優里に迫った。
「え!? えぇ!? ちょ、ま、待って……」
優里は、訳も分からずオロオロした。
「おい、痴女。お前、この女にナニしたんだ?」
まだ倒れて動けないミハイルが、白い目で優里を見た。
「し、してない!! ナニもしてない!!」
優里は、助けてと言わんばかりにシュリを見た。
シュリは、蛇女の様子を黙って見ていたが、やがて口を開いた。
「この女の様子を見る限り、恐らく、ユーリに魅了されたのであろう」
「魅了!?」
「そうだ。相手を魅了するのは、サキュバスの基本スキルだ。心も体も蹂躙し、生気を奪う。いつもの毒スキルでも魅了は発動しているが、わたしのように浄化能力が無ければ、相手は毒の影響で死ぬから意味がない。だが、本来ならこの様に下僕となる。こういった普通の魅了スキルなら、毒がない分、安全と言えるな」
「安全!? いやいや、めっちゃイっちゃってるだろ、そいつ!!」
話を聞いていたミハイルが、すかさず突っ込んだ。
蛇女は、盛りの付いた犬のように、ハアハアと息を漏らしながら、優里にすり寄っていた。
(てゆうか、いつもの毒スキルは意味がないって……猫さん、なんて不毛なスキルを私に……)
優里はシュリの説明を聞いて、いかに厄介で意味のないスキルを身につけてしまったんだろうと、改めてうなだれた。
「命の危険を感じ、魔力が暴走して本来の姿に戻り、それと同時に通常の魅了スキルが発動したのだろう。毒で魅了する例のスキルと違って、浄化出来ないこの魅了は、死ぬまで解けない」
「ええ!? じゃあ、この人、一生このままなんですか!?」
優里は、自分を愛おしそうに見つめてくる、蛇女を見た。
(そんな……それじゃあ、この人の人生めちゃくちゃじゃない! 私のせいで……)
いくら相手は盗賊とはいえ、彼女の意思を無視して自分に蹂躙させるなど、考えてもいなかった。自分のスキルが、彼女の人生を狂わせてしまった。優里はその事実を受け止めなくてはならなかった。
「わかり……ました。それなら私……責任をとって、一生この人の面倒をみます!!」
シュリとミハイルは、目をぱちくりさせて固まった。
「お前は何を言っている。却下だ。生娘ではないこの女を連れて歩くなど論外だ。正直、今にも吐きそうなんだぞ、わたしは」
言われてみれば、シュリの顔色は悪かった。どうやら本当に、処女以外は受け付けないようだった。
「で、でも、それじゃあ……」
優里はもう一度蛇女を見た。蛇女は、何か揉めていることに気付き、優里を見つめながら言った。
「ユーリ様、わたくしがおそばにいると、お困りになるのですね……」
優里はなんて声をかけたらいいのかわからず、黙って蛇女を見つめた。
「では、使い魔として契約するのはどうでしょう?」
蛇女は、そう言って優里の手を握りしめた。
「使い魔?」
(…って、魔女がよく引き連れてるみたいな?)
「はい! 普段は別の場所にいて、ユーリ様が必要だと思ったときだけ、わたくしのことを召喚してくれればよいのです!」
「え? 使い魔って、どこか別の世界から召喚するものじゃないの? それに、そもそも私、魔力の制御ができないの。召喚とか、そんな難しそうなこと……」
優里がそう言う途中で、シュリが割って入った。
「お前が言う別の世界というのは、どこのことだ?」
「え? ええと……魔界? とか?」
優里は思わず、疑問形を疑問形で返してしまった。
(あれ? この世界って、魔族と人間が共存してるから、そもそも魔族だけの世界ってないのかな!?)
詳しい話を何も知らないまま転生してしまった優里は、今更ながら、この世界の仕組みがよくわからなかった。
「お前が言ってんのって、人間がやる召喚の事じゃねーの?」
ミハイルはそう言うと、話を続けた。
「魔力のない人間が、魂と引き換えに悪魔を召喚するって本で読んだぜ。俺ら魔族は元々魔力があるから、色んな魔物と契約できるけど、人間が契約できるのは、煉獄にいる悪魔だけって話だ」
(そうなんだ……。だから、世界は関係ないってことなのか……。てゆうか煉獄って、地獄みたいな所だよね? そうゆう世界はあるんだ……)
納得した様子の優里を見て、今度はシュリが話を続けた。
「未熟な魔女が、使い魔の力を借りるのはよくある事だ。召喚の道筋を作っておけば、術者の魔力を使い魔が察知、制御し、行き来することが可能になる」
その言葉を聞いて、ミハイルが懸念した。
「でもよ、それって危険じゃねーか? 使い魔の方が、力があるってことだろ?」
「確かに、制御される可能性がある限り、通常は難しい契約になる。よって、使い魔側の弱みを握ったり、何か制約を設けるなどして、絶対的な主従関係を作るのだが……」
シュリはチラリと蛇女を見た。蛇女は、シュリに向かって断言した。
「わたくしがユーリ様を裏切るなど、絶対にありえませんわ!!」
「…だ、そうだ。どうするユーリ? お前が決めろ」
優里は、選択枠はそれしかないと思った。使い魔として一生そばにおき、何があっても面倒を見る。優里は固く決意し、蛇女に向き合った。
「わかった。使い魔として、これから私のことを助けて欲しい。いいかな?」
「わたくしのことは、どうぞクロエとお呼びくださいまし! きっと、ユーリ様のお役に立ってみせますわ!」
クロエと名乗った蛇女は、心底嬉しそうに優里に抱きついた。
「では早速、契約に移ろう。召喚の道を作るのに、扉が必要だ。クロエ、ユーリの体のどこかにキスをして、印を付けろ」
「印?」
優里は首を傾げた。
「それが魔力の扉となり、召喚の為の道ができる。クロエ、お前はキスした所からユーリの魔力を感じ取り、制御して契約を行え」
「心得ておりますわ。さ、ユーリ様、わたくしはユーリ様のものだという印を付けますわ。ここに……」
クロエは鼻息を荒くしながらそう言って、優里の唇に人差し指を当てた。
「え!? いやいや、ま、待って!」
優里は後ずさりして、クロエから逃れようとした。
見かねたシュリが、優里とクロエの間に、魔法障壁をつくった。
「……クロエ、主を困らせるな」
防御壁にぶつかったクロエは、渋々優里から離れた。
「……わかりましたわ。では、手の甲にしますわ」
クロエは、差し出された優里の手の甲にキスをし、契約の詠唱を始めた。
(手にキスされるとか……初めての経験だよ! 女の人相手だからまだいいけど、これ、相手が男の人だったら、すごい時間かかったかも……)
クロエがキスした辺りが紫色に光り、何かマークが現れ、タトゥーのように優里の手の甲に刻まれた。その後、似たようなマークがクロエの左手の甲にも刻まれ、契約は成立した。
「これで、ユーリ様がわたくしを必要だと思ってくださるだけで、その魔力を感知して、飛んでくることができますわ。わたくしの拠点は、とりあえずエルザの街に致しましたわ」
「拠点?」
優里が首を傾げると、再びシュリが説明した。
「わたしたちが召喚する使い魔は、予め決めた“拠点”から呼び出すという形になる。エルザの街はここからだと少し遠いな」
「エルザの街には、わたくしの別荘があるんですの。今後、拠点を移す事も可能ですわ」
「なるほど……じゃあクロエが帰る時は、どこにいてもエルザの街に帰るって事になるのかな?」
「はい! いつでもわたくしを呼んでくださいまし、ユーリ様!」
「うん、わかった。よろしくね、クロエ」
優里に名前を呼ばれ、クロエは体をくねらせて喜んでいたが、ふとあることを思い出し、優里に向かい合った。
「……あの、ユーリ様、少し使ってしまったのですが、これをお返しいたします」
そう言って、クロエは胸元から革でできた袋を取り出し、優里に渡した。
「オレの金!」
袋を見て叫んだミハイルに、クロエは向き直って丁寧に謝った。
「同じ主をお慕いする下僕とは知らず、攻撃を仕掛けた事を謝罪します」
「オイ、誰が下僕だ、誰が」
「わたくしがいない間、ユーリ様のことは頼みましたよ? 下僕その1」
「その1はオメーだ! 変態女!」
毛を逆立てるミハイルを無視し、クロエは具合の悪そうなシュリをチラリと見てから、優里の手を握りしめた。
「ユーリ様、ではそろそろお暇いたします。ユーリ様がお呼びになるまでは、放置すらご褒美だと思って、寂しくても耐えて見せますわ!」
苦笑いをする優里の手を、名残惜しそうにさすりながら、クロエは紫色の光とともに消えた。
「ふぅ……なんか急に色々なことが起こって、疲れたなぁ……」
優里がそう言うと、シュリは口元を押さえながら後ろを向いた。
「わたしも、もう限界だ。……うっぷ……」
どうやら、吐きそうなのをずっと我慢していたらしかった。
しかしシュリの向いた先には、動けないままのミハイルがいた。
「おい、待て待て待て! やめろ! オレは動けないんだぞ!」
「シュ、シュリさん! せめてあっちの茂みに・・・・!」
「やめ・・・・うわあぁぁぁぁぁぁ!!」
「おろろろろろろろろろろろ」
ミハイルの悲鳴とシュリの嗚咽が響き渡る中、使い魔という新たな仲間ができた優里は、クロエを呼び出すときは、シュリとの距離に気を付けようと、改めて思ったのだった。
月・水・金曜日に更新予定です。