79 リヒトの過去 その2
79
「目が覚めたか」
俺は自分が置かれている状況がわからず、辺りを見回した。
(ここは何処だ? 俺の家じゃない。ましてや病院でもない)
床に座り込んでいる俺の顔を、猫が覗き込んだ。
「おぬしは死んだんじゃ。ここはいわゆる、死後の世界というやつじゃ」
「死んだ……んですか……俺……」
「自分に、何が起こったか覚えておるか?」
猫にそう言われ、俺は体が震え出した。
「お、俺は……義父に襲われて……」
そしてハッとし、猫に詰め寄った。
「お母さんは!? 母もここにいるんですか!?」
「おぬしの母親は一命を取り留めた。だがおぬしは……頭の傷が致命傷になり死んだ」
猫にそう言われ、母は助かったのだとホッとすると同時に、すぐさま別の恐怖に襲われた。
「あの男は!? 捕まったんですか!? 母にまた危害を加えるかもしれない!」
「死んだよ」
「死ん……」
俺は、思わず辺りを警戒した。
「安心せい、ここにはおらん。やつは人を……殺意を持っておぬしを殺めた。地獄行きじゃよ」
猫の言葉を聞いて、俺は全身から力が抜けていくのを感じた。
「じゃが……おぬしもまた、やつの命を奪った」
「え?」
「おぬしがやつを突き飛ばし、やつは後頭部を強打した事により死んだ」
俺は黙って猫を見つめた。あの時俺は、殺される、怖い、死にたくない、それしか考えていなかった。それでも、俺が突き飛ばした事によって、あの男が死んでしまったのか。
「俺も、地獄に行くんですね」
俺は諦めたようにそう言った。小さい頃に父が死んでから、何かと我慢する事が多かった。義父と暮らす様になってからは、さらに自分を抑える事を覚えた。どうせ自分の意見は受け入れられない。だから、例え理不尽だと思うような事が起こっても、諦める方がラクだった。
「いいや、おぬしの場合は……日本の法律で言うと、正当防衛というやつじゃ。あの時、おぬしに殺意はなかった。じゃが……人を殺めてしまった事には変わりはない。その場合、天国にも行けないが、地獄にも堕ちない」
俺が黙って猫を見つめていると、猫は俺に向かってビシッと真っすぐ腕を伸ばした。恐らく、指を指しているつもりなのだろう。
「おぬしは煉獄行きじゃ! 煉獄の悪魔に転生し、人間に召喚され人間の為に働くのじゃ!」
「……」
俺は、猫の言っている事を理解出来なかった。
「転生?」
「そうじゃ! 人の命を奪ったやつは、いかなる理由があろうとも転生ポイントを剥奪され、種族も選べず地図も与えられない! じゃが煉獄の悪魔として人の為に働かなければならない故、悪魔のスキルは自由に使える事とする! そのスキルを駆使して、異世界の者を助ける事で、おぬしは天国へ行く事を許される様になるのじゃ!」
「あの、すいません。何を言ってるのか全然わかりません」
「なんじゃおぬしは! 若いのに今流行りの異世界転生を知らんのか!?」
「いえ、転生については知ってますけど……ポイントとか煉獄の悪魔とか、わかるように説明して下さい」
「……それもそうじゃな。では説明しよう」
そう言って猫は、最初から順を追って、転生のシステムについて説明し始めた。
人は、死んだら天国に行くか転生するか選べる。その際、前世でためたとされる転生ポイントというのを使って、この場で種族を選んだりスキルを取得したり、ステータスを上げたり出来る。
異世界に転生した後は、スキルポイントを使って新たにスキルを覚える事が出来る。スキルポイント保持者は人により異なり、転生者特典の地図に星マークで記される。その星マークの人物を、何らかの形で助ける事により、スキルを取得出来るようになる。
だが俺は前世で義父を殺してしまった為、転生ポイントを剥奪された。
俺は正当防衛で、義父に対して殺意はなかったが、天国へは行けない。
俺が行く異世界は、人間が魂と引き換えに悪魔を召喚出来る世界で、人間が召喚出来るのは、煉獄にいる悪魔だけだという。正当防衛とはいえ前世で罪を犯した俺は、煉獄の悪魔として、異世界の人間の為に働くしかない。そうして異世界の人間を助ける事で、俺が次に死んだ時、やっと天国に行くという選択ができるという事らしい。
「悪魔を召喚した人間を助ける為に、悪魔のスキルは自由に使えるが、地上では魔力が半減する。そして一番重要な事じゃが……罪人のおぬしが異世界で誰かを殺めてしまった場合、おぬしは即地獄へ堕ちる事になる」
「それは……最初から詰んでませんか? 召喚されるという事は、魂を奪う……つまり殺す事と同じでは?」
「召喚者の魂はカウントされん。じゃが、召喚者に誰かを殺せと命令されて殺してしまった場合、おぬしは地獄行きじゃ。なんとか召喚者を説得して、殺さない方向に持ってゆくしかないな」
「……大変そうですね」
「罪人が天国に行くのは楽ではないという事じゃ! 因みに、何人助ければ天国へ行けるのかという問題でもない。要は質じゃな。召喚者の満足度に比例する」
「満足度……何かふわっとしてますね」
「この辺りはまだまだ改善中じゃ。何しろ、転生支援プログラムの中でも、この“煉獄の悪魔”は新しい制度じゃからな。昔は人を殺めれば、いかなる理由があろうとも即地獄行きじゃった。おぬしは運がいい」
猫はそう言うと改めて俺に向き合った。
「説明は以上じゃ! 何か質問はあるか? なければ異世界へ送るぞ」
「あの、俺はどんな悪魔になるんですか? 悪魔にも色々いますよね? ルシファーとかベリアルとか」
俺は、有名な悪魔の名前を挙げた。
「知らん。悪魔は悪魔じゃろ」
猫は適当な事を言い、持っていた紙にサラサラとペンを走らせた。するとそこから虹色の光が溢れ、俺はみるみるうちにその光に包まれた。
「地図を持たぬおぬしでも、運が良ければまたわしと出会う事もあるじゃろ」
「え? どういう事ですか?」
猫の最後の言葉の意味がわからず訊き返したが、答えを聞く前にその姿は光の壁に遮られ、すぐに見えなくなった。
俺を包んでいた光の壁が消え、気が付くと俺は灼熱の大地にいた。
(妙に暑い……。ここが煉獄か?)
辺りはゴツゴツとした岩山に囲まれていて、溶岩の様などろりとした赤い液体が、周囲を流れていた。
「やあ、あんたが新しい転生者だね。煉獄へようこそ」
その声にオレが振り向くと、そこには、白い髪に銀色の瞳の、とても綺麗な顔立ちをした男が黒い翼を広げて笑っていた。
「転生者、あんたにはサルガタナスとして、これから俺の下でじゃんじゃん働いてもらうから、そのつもりでね」
(サルガタナス? ……そんな名前のゲームキャラがいた様な……悪魔だったのか)
俺は、前世で遊んでいたゲームの事を思い出していた。
「貴方が俺の上司ですか?」
「上司……ね。転生者は言う事が面白いね。ぼくはアスタロト。あんたが言う所の……まぁ上司ってヤツだね」
「アスタロト……あぁ、堕天使の」
俺がゲームで知っていた知識を呟くと、その悪魔は急に禍々しいオーラを全開にした。俺の懐に潜り込んだかと思ったら、突然胸に激痛が走り、俺は血を吐いてその場に膝をついた。
「へぇ……ぼくが堕天使って、あんたの世界では有名だったの? 転生者の予備知識ってヤツ? もしかして、ぼくがどうして天界を追放されたかも知ってたりするのかなぁ……?」
俺はその悪魔のオーラに包まれ、息が上手く出来なくなった。
(なん……だ? 攻撃……されたのか?)
これが悪魔か。心を塗りつぶされるような重苦しい感覚に襲われ、俺は口元から流れる血を拭い、やっとの事で言葉を発した。
「いえ……そこまでは知りません」
「そうだよねぇ。もしそれ以上悪魔のコト知ったかぶりしてたら、ムカついて殺しちゃってたかもしれないよ。あんたの義父がやったみたいにね」
俺は思わず息をのんだ。何故この悪魔が、俺の過去を知っているのかわからなかったが、妖艶に笑うその悪魔から目を逸らせなかった。
「煉獄や召喚について……ぼくがイチから丁寧に教えてあげるよ。この堕天使アスタロトの元で働けるなんて、あんたは本当に運がいい」
(運が……いいのか?)
猫や悪魔が言う様に、はたして本当に運がいいのかどうかなんて、俺にはわからなかった。
月・水・金曜日に更新予定です。




