表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
78/144

78 リヒトの過去 その1

78


父と母が離婚したのは、俺が7歳の時だった。


父はバイクが好きで、自宅でよく整備をしていたから、俺も興味を持って、父のバイクいじりを見学していた。母は父の趣味にある程度寛容だったが、家庭の事を相談しようとしても「お前に任せる」と言ってバイクに夢中になる父に、母の不信感は日に日に募っていき、いつの間にか、ふたりの心は修復できない程に離れてしまっていた。


父と離婚し、俺は母について行く事になった。母は俺を育てる為に昼夜を問わず働き、俺は母のいない家でひとりで過ごす事が多くなった。毎日大変そうな母を見て、俺も出来る事はやろうと何かと手伝った。


最初の頃は俺も父と会う事もあったのだが、その後、父はすぐに再婚し、段々と疎遠になり、俺も会いたいと思わなくなっていった。


父と母が離婚してから3年ほど経ったある日、母にある男を紹介された。母はそこそこ有名な外資系の会社で派遣社員として働いていて、ふたりはそこで知り合った。男は真面目で優しそうで、俺の機嫌をとろうと頑張っている様に見えた。


理人(りひと)君、もうすぐ誕生日だね。何か欲しいものはあるかい?」


「……新しいゲーム機が欲しいです」


結構高いものだったが、男は新品のゲーム機を持って、俺の誕生日に現れた。

それから、母がその男と再婚するのに、そう時間はかからなかった。


義父は前の父とは違い、母や俺の事をとても気にかけてくれた。家族の事を考えてくれている……最初は、ただそう思っていた。


だけど、再婚して半年ほど過ぎたあたりから、何かがおかしいと感じ始めた。


義父は家庭のお金の事はもちろん、俺たちの全ての行動に対して口を出してきた。それはほんの些細な日常的な事でも、義父が思う“日常的”な事から少しでも外れていると、容赦なく俺たちを責めた。


義父のそれは“気遣ってくれている”という優しいものではなく、自分の思い通りに“管理する”というものだった。


義父は、自分の言う事が普通で常識的で正しいと思っていて、俺や母は常識が無く、無能で頭が悪いとまでいう事もあった。


「お前たちには常識がない」


「お前たちは、人に迷惑をかけている」


「お前たちは自分勝手だ。もっと人の事を考えて行動しろ」


俺と母は、義父に毎日の様にそう言われた。俺たちの言動が、人……即ち、義父に迷惑をかけているというのだ。俺と母は悩みながらも、必死で義父の言う“常識的な人”になろうとしていた。


「悪いのは私で、私に常識がないからいつも怒られるの。教えてくれるあの人に感謝しないと」


母はそう言っていたが、母も俺も、何が正解なのかわからない日常の中、いつ義父に文句を言われるかと、毎日ビクビクしながら生活していた。


義父の“教育”は年々エスカレートしていき、俺が小学校を卒業する頃には、暴力も振るう様になっていた。


()()()()()から少しでもズレた行動を取ると、義父は容赦なく責め立て、何も言えない俺と母に手を上げた。


俺は自分の思ってる事、やりたい事を、何も言えなかった。ただ、義父の機嫌を損ねないように、一切口答えをせず、義父の言う事全てを肯定していた。ひたすら大人しく、義父が理想とする息子でいなければならなかった。


「おれがお前たちに常識を教えてやっている」


義父はそう言って、自分の暴力を肯定していた。


だけどある日、母が義父に髪の毛を掴まれ床を引きずり回されているのを見て、俺はさすがに止めに入った。


「何してんだお父さん!」


「口を挟むな理人! お母さんがおかしいから、こうやってわからせてやってるんだ!」


「おかしいのはお父さんだよ!」


「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」


母は髪の毛を掴まれたまま必死で謝っていた。


(どうしてお母さんが謝ってるんだ! おかしい、こんなの絶対におかしい!)


「やめてよ、お父さん!!」


俺は、必死で義父の腕を掴んだ。次の瞬間、俺は義父に顔を殴られ、床にひれ伏した。


ボタボタと床に血が滴り、俺は目の前に出来る血だまりを冷静に見ていた。


(すごい……血がこんなに……)


唇がパックリと切れていて、どうやらそこから血が流れている様だった。


「り……理人! 理人!」


義父も俺の血の量に驚いたのか、母を掴んでいた手を緩めていて、抜け出た母が俺の名を呼びながら駆け寄った。


俺はタオルで唇を押さえ、母は俺を救急病院に連れて行った。

幸い歯は折れていなかったが、唇は何針か縫った。


「唇は、切れると意外と血が出るんだよ。どうしたの? 誰かに殴られたの?」


医者の質問に、隣で母がビクリとした。俺は、言うなら今しかないと思った。


「お父さんに……殴られました」


俺がそう言うと、母が医者に慌てて弁解をした。


「あの、私が悪いんです! 私がもっとしっかりしてれば、主人もこの子に手を出すなんて事はしませんでした! だから……」


医者は近くにいた看護師と目配せをして、母に向き合った。


「お母さん、お子さんが父親に殴られて、病院に来る様な酷い怪我を負ったんですよ。どんな理由があるにしろ、私には通報する義務があるんです。児童相談所に連絡させてもらいます」


それから、児童相談所の職員が義父と母と話をして、俺もいくつか質問をされた。


俺は、俺と母が義父に日常的に暴力を受けていると職員に訴えた。義父は職員に、「手が当たっただけだ」だの、「教育に熱くなってしまった」だのと言い訳の様な事を言っていたが、俺と母は保護される事になった。


母もカウンセリングを受けて、義父の“教育”という名の洗脳から、徐々に解放されていった。

裁判が行われ、母と義父は正式に離婚し、母とふたりで安心して暮らせる様になるまで、2年程かかった。


それからは、平穏な日々を過ごしていた。

最初の頃は、もしかしたら義父が俺たちを逆恨みして家に来るんじゃないかとビクビクしていたが、新しい家の住所も義父に知られる事はなく、俺の義父への恐怖は次第に和らいでいった。


俺は高校を卒業してから、すぐに整備工場に就職した。家計を助ける為というのもあったが、前の父の影響で俺もバイクが好きだったから、そういったものに関わった仕事がしたかった。

離婚の原因の要因になったバイクに関わる仕事を、母はあまり快く思ってなかった様に見えたが、あからさまに否定する事はせず、静かに見守ってくれていた。俺が働くようになって、暮らしも大分ラクになった。


就職して1年程経ち、仕事にも慣れ毎日充実していた。あの日までは。


その日、家に帰ると、部屋は薄暗く静かで、俺は妙な違和感を感じた。いつもなら仕事から帰って来た母が夕飯の支度をしているはずなのに、かろうじて夕日が射し込んでいるキッチンからは、何か嫌な臭いが漂ってきていた。


「お母さん?」


キッチンを覗くと、そこには、血だらけでうつ伏せに倒れている母がいた。

俺は、目の前の光景をすぐに理解できず、その場から動けなくなった。


(え……? なんで……?)


立ち尽くしていた俺は、突然頭を何かで殴られた。


「ぐっ!!」


俺は訳がわからずその場から逃げ出そうとしたが、足に力が入らずキッチンの流し台にしがみついた。そんな俺の背中を容赦なく激痛が走り、頭を殴られ、背中を刺されていると認識して、俺は必死で抵抗した。


床には血が付いたレンチが転がっていて、俺はこれで殴られたのだと思った。

襲い掛かって来た人物と揉み合いになりながらも、俺はその姿を確認した。


それは、血だらけのサバイバルナイフを振りかざす義父だった。義父は、怒りに燃えた目を俺に向け、叫びながら襲い掛かって来た。


「お前の!! お前らのせいで!! おれのキャリアを返せ!!」


(こ、殺される……!)


血を流して倒れている母も、義父に襲われたに違いない。

意識が朦朧とする中、俺は床に転がっていたレンチを掴み、それで義父を殴りつけた。レンチは義父の顔面に当たり、怯んだ義父を、最後の力を振り絞って押しのけた。バランスを崩した義父は、床に大量に飛び散っていた俺の血で足を滑らせ、ダイニングテーブルに後頭部を強打し、そのまま動かなくなった。


(で……んわ……警察に……救急車……)


俺は襲ってくる吐き気と耳鳴りの中、何とかポケットから携帯を取り出し、電話をかけた。何をしゃべったのか、そもそもちゃんと伝える事が出来たのか、正直覚えていない。


義父は俺たちと離れてから、ずっと独りよがりな恨みを募らせていたのだろう。そしてその恨みを晴らすべく、遂に強行に及んだ。


俺が次に目覚めた時、そこは家でも病院のベッドでもなかった。見た事もない様な不思議な空間で、二足歩行の服を着た猫が、俺を見下ろしていた。



月・水・金曜日に更新予定です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ