73 キス
73
その日の夜中、優里は目を覚ました。そばにはシュリがいて、優里が眠っている間にミーシャの件がどうなったのかを、丁寧に伝えた。
「ベッドの下にブローチが……。そうだったんですね」
優里はそう言って、涙ぐんだ瞳を擦った。
シュリはそんな優里を見つめると、少し遠慮がちに優里に問いかけた。
「過去の夢では……死者に会えるのか?」
「え?」
シュリは真剣な瞳をしていて、優里は少し戸惑った。
「えと……そうですね、今までの夢では、そうでした。それはたぶん、今まで過去の夢を見せた人たちが、大切な人の死に関わっていたからだと思うんですけど……」
「大切な人の……死……」
シュリは俯いて、優里の言葉を復唱した。
「シュリ……さん?」
優里は心配そうにシュリの顔を覗き込んだ。シュリはハッとして顔を上げると、優里の頭を優しく撫でた。
「生気は欲しくないか? お前は起きたばかりだが、もう夜中だ」
「あ、言われてみれば……少し飢餓感があります。シュリさんも眠らないといけないですよね?」
「眠る……か……。わたしは、お前のおかげで眠る事が出来る。何も考えずに……」
「え……?」
シリアスな表情を見せたシュリに、優里は何かいつもとは違うものを感じたが、それを問いかける前にシュリが服を少し緩め首元をさらけ出し、優しく優里を抱きしめた。シュリに抱きしめられ、優里の体から条件反射の様に、紫の靄が発生した。
(シュリさん……どうしたんだろう……。何か、いつもと違う……)
優里の疑問は甘い香りにかき消されていき、すぐに脳が溶けるような感覚に襲われた。
「んん……」
シュリの首筋に唇を押し付け、生気を得た優里は、緩やかな睡魔に襲われ、再び眠りについた。
(何も……考えずに……眠っていいのか? わたしは……)
シュリは優里の毒が体に回って行くのを感じながら、抗えない睡魔に身をゆだねた。
「さすがに……眠り過ぎた……」
次の日の昼前、優里はぼーっとする頭を揺らしながら廊下を歩いていた。
(シュリさんはすでにいなかったし……お昼でも食べに行ったのかな……)
「ユーリ」
そんな優里を、ミーシャが呼び止めた。
「あっ、ミーシャ君!」
「ちょっといいか?」
ミーシャは中庭の方を指差し、優里を誘った。
「昨日はホントにありがとな。お前のおかげで……母上は記憶を取り戻した」
「うん……」
優里は隣を歩くミーシャの顔色を窺った。レイラの記憶が戻った事はよかったが、ミーシャが悲しい過去を持っていた事を知り、複雑な気持ちでいた。
「なんて顔してんだよお前。オレなら大丈夫だ。キーラも……見たいって言ってたオーロラの中で、幸せそうに笑ってた……。オレはそれだけで、すごく救われた気分なんだ」
ミーシャは立ち止まると、優里に向き合った。
「お前……あの時、父さんの声も聞こえてたんだろ?」
“あの時”というのは、光の中からミーシャの父親が現れた時の事だろうと優里は思った。
「うん、あ……」
あの時、と優里が口にしようとしたが、ミーシャがそれを遮った。
「いいんだ。父さんの言いたかった事はわかってる。オレの思ってる通りじゃないかもしれないけど、オレは……あの時の父さんの涙は、オレが母上に許すと言われて流した涙と一緒だったと思ってる。母上からの愛情を感じ、オレ自身も母上を愛してると感じて流した涙と一緒だったと……。オレは、父さんの事を恨んじゃいない。父さんにも……それがちゃんと伝わったと思うんだ」
(ミーシャ君……あの時、ミーシャ君のお父さんは、ミーシャ君にたくさん謝ってた。でも最後に、『愛してる』って言ったんだよ)
優里は、ミーシャの父親がミーシャに対して、親としての愛情を持っていた事を感じ取っていた。そしてそれを敢えて伝えなくとも、ミーシャはわかっていた。
「父さんに……最後に伝える事が出来て良かった……」
そこまで言って、ミーシャは気を取り直す様に声を明るくした。
「そうだ、ユーリ。これやるよ」
そう言ってミーシャは、優里に何か手渡した。
「えっ、これ……」
それはキーラの形見の、エレミア石のブローチだった。
「だ、ダメだよ! こんな大事なもの貰えないよ!!」
「お前に持ってて欲しいんだ」
突き返そうとした優里の手を優しく掴み、ミーシャは笑顔を向けた。
「オレの……オレたち家族の、感謝の気持ちだ。父上や母上にも了承を得てるから、安心しろ」
「でも……」
優里が遠慮がちにミーシャを見上げると、ミーシャはポケットから何かを取り出した。
「それにオレには、これがあるからな!」
ミーシャの手の中で、木の実で出来たブローチが日の光を浴びて光った。それは、優里にはエレミア石よりも輝いて見えた。
「だから、そのブローチはお前が持っててくれ。お前が……望む未来を掴めるように祈ってる」
「ミーシャ君……」
優里はブローチを握りしめ、微笑んだ。
「うん、ありがとう……」
ミーシャは、優里がブローチを自分の胸に付けるのを見届けると、今度は木の実のブローチを優里に渡した。
「前みたく、オレにも付けてくれよ」
「うん」
優里は顔を上げ、ミーシャの胸に木の実のブローチを付けた。
「ユーリ……キスしていいか?」
「え!?」
優里は思わずミーシャの顔を見上げた。至近距離で見るミーシャの瞳はとても綺麗で、思わず頬を赤らめた。
そんな優里につられたようにミーシャも顔を赤くして、目を泳がせた。
「あ、いや、前も言ったけど……おでこへのキスなんて挨拶みたいなモンだから……」
「あ、えっと、そっか、うん、そっか」
(異世界って、私にとっては外国みたいな感じだもんね。外国では確かに挨拶でほっぺにキスしたりするし……)
優里が考え込んでいると、ミーシャが目を伏せ、沈んだ様な声を出した。
「オレなりに、感謝の気持ちを伝えたかっただけなんだ。ごめん、困らせたな」
いつもとは違う表情をしたミーシャに、優里の胸が痛んだ。
「ううん、大丈夫。わかった、いいよ」
優里がそう言うと、ミーシャはホッとしたように笑った。
(郷に入っては郷に従えって言うもんね……。ミーシャ君の気持ちも無下に出来ないし……)
ミーシャの顔が近付いて影を落としたので、優里は思わず目を瞑った。すると、温かく柔らかい何かが、一瞬優里の唇に触れ、すぐに離れた。
(え?)
優里が目を開けると、したり顔をしたミーシャがいた。
「お前、男の前で目を瞑るなんて、無防備過ぎんだろ」
「え!? 今、え!?」
何が起こったか瞬時に理解できず、優里は自分の唇に指で触れた。
(今、唇にキスされた!?)
「お、おでこって言ったくせに!!」
優里は涙目になって非難した。
「おでこへのキスは挨拶って話はしたけど、おでこにするとは言ってないだろ」
「だって話の流れで普通はそう思うでしょ!?」
「そっちが勝手に勘違いしたんだろ? それに、こんな小鳥がつっつくようなキス、キスのうちに入んねぇだろ。それとも……もっとちゃんとしたキスして欲しいのか?」
ミーシャはそう言って、優里の顎をくいっと持ち上げた。誘うような視線に優里は真っ赤になって何も言えなくなってしまった。
ミーシャは、優里の顎に添えた手でそのまま頬を包み込み、少し顔を赤らめて笑った。
「お前が好きだ、ユーリ」
「……っ!」
ミーシャの告白に優里が息をのんだ瞬間、何かの気配を感じ取ったミーシャが、突然弾かれる様にバク転をして優里から離れた。それと同時に、優里の目の前を光の矢の様なものが通り過ぎ、森の木に当たって消えた。ミーシャは光の矢が飛んで来た方向に顔を向け、声を荒げた。
「何すんだシュリ! あぶねーだろ!!」
優里がミーシャの視線の先を見ると、シュリが右手を突き出し静かにミーシャを睨みつけていた。
「それはこちらの台詞だ。お前こそ何をしている、ミーシャ。今、ユーリに何をした」
そう言いながら、シュリは容赦なくミーシャに向けて光の矢を放った。ミーシャはそれを軽々と避けながら、優里の後ろに隠れた。シュリは優里に当たるのを避ける為、攻撃を中断した。
「お前がぼやぼやしてるから、オレが先に頂いただけの話だろ! これでオレは、正真正銘、ユーリの初めての男になったぜ」
(私のファーストキス……! シュリさんに見られてた……!?)
その時、優里の後ろに隠れるミーシャを、ルーファスが羽交い絞めにし、ミーシャは動けなくなった。
「げっ! ルーファス! テメェまで何すんだ……!」
「ミーシャ君……ボクがこんなにも吸血衝動を抑えてるというのに、キミはいとも簡単にユーリにキスするなんて……ボクは……ボクは、一体どちらにヤキモチを焼けばいいんだ!!」
「知らねーよ!! てか離せっ!!」
「シュリ、このままボクたちを貫いてくれ。大丈夫、ボクは死なない」
「いや、オレは普通に死ぬから!! マジでやめろ!!」
「ルーファス、お前もそのまま死んでいい。ユーリは危ないから離れていろ」
光の矢を充填したシュリを見て、優里は我に返った。
「シュ、シュリさん! 落ち着いて下さい!!」
優里がシュリを宥めようと一歩前に出た時、どこからか白い玉の様なものが転がるように飛んできて、ルーファスとミーシャに激突し、ふたりは吹っ飛ばされた。
「うわーーーー!!」
「ピピィ!」
「クルル!」
クルルは、皆が遊んでいると勘違いしたのか、いつものようにルーファスに攻撃を仕掛けた。
「クルル! これは遊んでる訳じゃないんだよ!」
「ピピィ! ピピィ!」
「よし! 今のうちに……」
「何処へ行く」
はしゃぐクルルの相手をするルーファスの拘束から抜け出したミーシャだったが、間髪を入れずシュリが攻撃を仕掛けた。
(ああ……私にも、フリーダさんみたいな能力があれば、この場を収束できたかもしれない……)
ため息をつく優里を尻目に、3人プラス1羽の攻防は、夕方近くまで続いたのだった。
月・水・金曜日に更新予定です。




