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68 ミーシャの過去 その6

68


オレがヴォルコフ家の養子になって、1年が過ぎた。

オレは、相変わらず森が怖くて学校には通えず、屋敷で家庭教師から教育を受け、空いた時間は母上と過ごしていた。


母上は体があまり丈夫ではなかったが、オレが屋敷に来てからは熱を出す事も減ってきたと、かかりつけの医師が言った。


「きっと、そばにいてくれる貴方に元気を貰ってるのよ、ミーシャ。貴方が学校に行けない事を喜んでしまうなんて、私はダメな母親ね」


そう言ってオレの頬にキスをする母上を前にして、オレは病弱な彼女の負担になってはいけないと、あまり甘えない様にしていた。というよりも、母親に甘えるという事がよくわからなかった。


「ミーシャ、私の事を気遣ってくれるのは嬉しいけど、私にも、もっと母親らしい事をさせて頂戴」


「母上は、今のままで十分優しいし、オレは満足してますよ」


オレの言葉に、母上は少し寂しそうな顔をした様な気がしたが、せっかく母上の体調が良くなってきているのに、あまり無理はさせられないと思っていた。



でもある日、母上は朝から調子が悪そうで、昼過ぎあたりからベッドから起き上がれなくなった。オレは急いでアダムに医師を呼ぶ様に言った。

かかりつけの医師はすぐにやって来て、アダムから連絡を受けた父上も、その日は仕事を早めに切り上げて屋敷に帰って来た。


診察を終えた医師が、オレと父上を母上の部屋に呼んだ。


「先生、レイラは……」


父上が心配そうに尋ねると、医師はにっこりと笑った。


「おめでたです」


「は……」


オレと父上は、医師から言われた言葉を、すぐには理解できなかった。


「奥様は病気ではありませんよ。赤ちゃんが出来たんです」


そう言われ、ベッドに座っていた母上に目を向けると、母上は青い顔をしながらも笑っていた。


「レイラ……!」


父上はすぐに母上に駆け寄り、優しく抱きしめた。


「あなた……赤ちゃんですって。信じられないわ。ミーシャがいてくれるだけで、毎日がこんなにも輝かしいのに、さらに新しい光を授かるだなんて……。嬉しい事って、続くものなのね」


母上は微笑みながら涙を浮かべていた。


母上は、ずっと子供に恵まれなかった。オレを養子として迎え入れたのにも、その背景があった。だけど、母上に赤ちゃんが宿った。母上の嬉しそうな顔を見て、オレも心から喜んだ。


「母上! おめでとうございます!」


「ありがとうミーシャ。貴方もお兄ちゃんになるのね」


「オレ、弟がいいです、母上!」


「ミーシャ、それはレイラには決められないぞ」


父上はそう言って、3人で笑った。とても幸せな瞬間だった。


オレに弟か妹ができるんだ。嬉しい。生まれたら何して遊ぼう? オレは毎日そんな事を考えて、母上のお腹から出てくるのを心待ちにしていた。



そして、オレは生まれてくる弟か妹の為に、面白い絵本はないかと書庫で探し物をしていた。すると書庫の掃除をしていた使用人の話し声が、オレの耳に入って来た。


「旦那様、赤ちゃんが生まれたら、ミハイル様の事どうするのかしら?」


(え? オレ?)


自分の名前が聞こえたから、オレは思わず耳をそばだてた。


「どうするって?」


「だって、実子よ。ミハイル様はそりゃあ良くお出来になるけれど、本当の子供じゃないじゃない? 赤ちゃんが生まれたら、旦那様も奥様も、きっとミハイル様よりもその子に後を継がせたいと思うんじゃない?」


(え……)


「今はミハイル様の事を凄く可愛がっているけど、赤ちゃんが生まれたらどうなるかわからないわよ」


「そうは言っても、ミハイル様はまだ子供だし……」


「そうね。今はまだいいかもしれないけど、将来的に()()()()()()って見限られたら、切り捨てられる可能性もあるかもって話よ」


オレの胸が、ドクドクと音を立て始めた。ごくりと生唾をのんで、喋りながら自分の方へ近付いて来る使用人から、思わず身を隠した。


赤ちゃんが生まれたら……オレは、どうなるんだ? この家には、もういられないって事か? まさか、そんな……だって、オレたちはもう家族なんだ。家族なのに、切り捨てるとかそんな……。


その時、父さんの姿がオレの脳裏を掠めた。自分の中に、再び暗いドロドロとした感情が沸き上がって来るのを感じた。


オレは、本当の子供じゃないから……また、捨てられるのか……?


ぎゅうと胸が締め付けられ、オレは息が上手く出来なくなった。森に置き去りにされた時の事を思い出し、ガクガクと体が震えた。


いやだ、いやだいやだいやだ!! もうあんな思いはしたくない!! ひとりぼっちになりたくない!!


オレは必死で心を落ち着けようとした。


役に……立つんだ……。父上や母上が認めてくれるように、オレを必要だと思ってくれるように、オレは、たくさん勉強して、たくさん努力して、ふたりの役に立つんだ!


もう二度と、捨てられない様に……!!



その日から、オレは一層努力をするようになった。勉強も運動も頑張った。森に入る事も克服しようとしたが、それだけはどうしても出来なかった。


(こんなんじゃ駄目だ。もっと、もっと頑張らないと……)


オレの焦燥感と比例するかのように、母上のお腹は日に日に大きくなり、少し肌寒い秋の日の朝、ついに弟が生まれた。


母上の腕の中で眠る弟を見て、オレは、今までの努力なんて全て無駄だったんじゃないかと気付かされた。


小さくて温かくて、純真無垢な存在……。


敵う訳がない。とても太刀打ちなど出来ない。勝負にもならない。


眠る弟を見つめ、幸せそうに笑う父上と母上が、とても遠い存在に思えた。

オレはこの輪の中に入ってもいいのだろうか? 本当の子供じゃない、部外者のオレが……。



弟はキリルと名付けられ、オレたちはキーラと愛称で呼んだ。


髪の色も瞳の色も母上にソックリで、体はあまり丈夫じゃなかった。しょっちゅう熱を出してオレたちを心配させたが、天真爛漫で愛らしい笑顔を振りまく弟は人気者で、誰からも愛されていた。

オレも、正直弟が可愛くて仕方がなかった。弟もオレに懐いていて、周囲から仲が良い兄弟だと言われた。


弟はオレの影響か本が好きで、よくオレに読んでくれとせがんだ。


「にいさま! ごほんよんで!」


「今日はもう遅いからダメだ」


「やだ! よんで!」


「ほら貴方たち、早く寝ないと暴食の吸血鬼が血を吸いに来るわよ」


母上にそう言われたキーラは、オレの服の裾をギュッと握った。


「キーラ、一緒にベッドに入ろう。本を読んでやるから……母上には内緒だぞ」


オレがコソコソとキーラにそう言うと、キーラはいつも嬉しそうに笑った。


オレが弟と仲良くしていると母上が喜ぶから、オレは率先して弟の面倒を見た。


「貴方は本当にいいお兄ちゃんね」


母上はそう言ってオレを褒めてくれた。


()()()()()()()として、オレは必要とされている。大丈夫だ。オレは、ここに居ていいんだ。


母上に褒められるたび、オレはホッとしていた。



そんなある日、オレは弟に森に行きたいと駄々をこねられた。


庭は森と繋がっていたが、深く入らなければそんな危険じゃない事は知っていた。けれどオレは、そもそも森に入れない。オレは、小さい弟に何とか言い聞かせようとした。


「キーラ、森には危険がいっぱいなんだ。もう少し大きくなってから、父上と一緒に行こう」


「いやだ! いまいきたい! にいさまがいればだいじょうぶ!」


「オレは……森に入れないんだよ」


「どうして?」


純真な瞳で見つめてくる弟に、オレは嘘がつけなかった。


「オレは……森が怖いんだ。だから、今度父上にお願いしような?」


「にいさま、森がこわいの?」


「ああ、怖い。だから……」


「じゃあ、ぼくがまもってあげる!」


弟はそう言って、森の中へと駆け出して行った。


「にいさま! はやくはやく!」


森の中でそう叫ぶ弟は、どんどん小さくなっていった。


「バカ! キーラ! 戻れ!!」


オレは大声で叫んだが、弟は止まろうとしなかった。


(どうする!? アダムを呼んで来る!? ダメだ、目を離したら見失う!)


オレは焦った。弟が迷子になったらオレの責任だ。


「くそっ……!」


気付いたらオレは、森に向かって駆け出していた。弟の足は速かったが、それでもオレはすぐに追いついた。


「キーラ!!」


オレが弟を捕まえて抱きしめると、弟は楽しそうに笑った。


「にいさま! 足はやーい!」


その時、すぐ近くの茂みから何かガサガサと音がした。


「キーラ、静かに! 何かいる!」


オレは弟を背中に隠し、音がした茂みに警戒を強めた。弟はオレの背中にしがみついて、恐る恐る茂みを見つめていた。

次の瞬間、茂みからピョンと白い物体が飛び出してきた。


「うさぎだ……」


オレはホッと胸を撫でおろした。


(猪や鹿じゃなくてよかった……。丸腰じゃ弟を守れなかった)


ふうと息をついたオレの顔を、弟が覗き込んだ。


「にいさま、もう森がこわくないの?」


「え?」


弟にそう訊かれ、オレは改めて周囲を見渡した。


(森だ……。オレ、今、森の中にいる)


「ぼくがまもるって言ったのに、にいさまがまもってくれたね!」


そう言って笑った弟を見て、オレは自分の心が落ち着いている事に気付いた。


(キーラを守らなきゃって、それだけを考えてたから、怖いとか感じるヒマがなかった……)


「ぼくも、にいさまといっしょだから、森がこわくないよ!」


弟はオレの手をしっかり握って、オレにキラキラした瞳を向けた。


(オレと一緒だから、怖くない? オレは、弟に頼りにされてるのか)


オレは何故か笑いが込み上げてきた。

こんな小さい弟に頼りにされて、森が怖いなんて言ってられない。


大声で笑うオレを、弟はキョトンとした顔で見つめた。


「にいさま?」


ひとしきり笑い、オレは背筋を伸ばした。


「……ああ、大丈夫。お前の事は、オレが絶対守ってやるからな」


オレはそう言って、弟と手をつないだまま屋敷の方へ歩き出した。

森に対してあったオレの恐怖心は、もうなくなっていた。



月・水・金曜日に更新予定です。

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