67 ミーシャの過去 その5
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ヴォルコフ家での新しい生活が始まり、オレは言葉使いや礼儀作法など、父上の後を継ぐ為の教養を受けた。
森が怖くて、ひとりで屋敷の敷地内から外へ出られなかったオレは、学校に通う事が出来なかった。父上はそんなオレの為に、何人もの家庭教師を雇ってくれた。
孤児院にいた頃とは比べものにならないくらい、高度な能力を必要とする授業は、オレにとってやりがいが感じられ、とても楽しかった。
本が好きなオレの為に、父上は屋敷に書庫も作ってくれた。子供向けの童話や伝記は勿論、参考書や研究書もたくさんあって、オレは屋敷で充実した日々を送っていた。
そうして屋敷での生活にも慣れてきた頃、父上が陛下にご挨拶に伺おうと言った。
正直森を通るのが怖かったけど、王都にも行ってみたかったし、陛下に直接お会いできるなんて、子供のオレには滅多にない機会だし、父上の後を継ぐ為には必要な経験だと思ったから、オレは心を決めた。
道中は、馬車の中で父上がずっとオレを抱きしめてくれていたから、恐怖はそんなに感じなかった。
森を抜け、王都への舗装された道に差し掛かった時、道の脇に馬車が停まっていて、大きな丸太が数本、オレたちの行く手を塞いでいるのが見えた。
「ミーシャ、バルダー様だ。何かあったのだろうか」
道を塞いでいる丸太の前に、バルダー様と御者らしき男が立っているのが見えた。
父上は御者に馬車を止める様に言うと、バルダー様の元へ向かった。オレも父上の後に続いた。
「ヴィクトル、王都に行くのか?」
バルダー様もオレたちに気付いて、声をかけてくれた。
「ええ。陛下に、息子と共にご挨拶に伺おうと……何かあったのですか?」
「息子……。そうか」
バルダー様はオレを見ると、優しく微笑んだ。
「久しぶりだなミハイル。孤児院でお前に会えなくなったから、少し寂しかった」
「……どうも」
何だか気恥ずかしくて、オレは軽く頭を下げた。
「ミーシャ」
そんなオレに、父上が目を向け名前を呼んだので、オレは慌てて姿勢を正し、バルダー様に向き合った。
「お久しぶりです、バルダー様。お会いできて嬉しいです」
礼儀正しく挨拶をしたオレに、バルダー様は一瞬驚いたが、すぐにまた優しく笑った。
「ヴォルコフ家の息子として、きちんとした教育を受けているのだな。陛下や兄上の前に出ても大丈夫そうだ。だが……少し待っていてくれ。実は荷馬車から丸太が落ちてしまったという知らせを受けて、今片付ける所なんだ」
「バルダー様、おひとりでですか?」
「俺ひとりで十分だ。危ないから、少し離れていてくれ」
バルダー様はそう言って、道に転がっている丸太を軽々と持ち上げた。
「すげぇ……! あんな大きな丸太を、たったひとりで……!」
オレは感動した。大体こんなのは王子がやる仕事じゃないのに、バルダー様は嫌な顔ひとつせず、汗と泥にまみれてひとりで丸太を荷馬車に積み直した。御者は感謝を表し、何度も頭を下げていた。
「バルダー様、よろしければ私の馬車で一緒に王都に戻りませんか?」
父上がそう声をかけたが、バルダー様は首を振った。
「いや……。俺はなるべく王都には立ち寄らない様にしてるんだ。ついでだからこの辺りを見回りしながら、直接城に戻る。気持ちだけ受け取っておこう」
そう言ったバルダー様の体が山吹色に輝き、真っ赤な鷹に変身した。
『会えて嬉しかったミハイル。またな』
頭の中にバルダー様の声が響き、真っ赤な鷹は大空に飛び立って行った。
「またな」と言ったバルダー様だったけど、この時から、雪崩に巻き込まれ亡くなったという話を聞くまで、オレとバルダー様は一度も会う事はなかった。
「バルダー様はとても立派なお方だ。あの方の本質を分かっている者は少ない。皆、“呪い”という概念にとらわれて、本当の姿を見ようとしないのだ」
父上は、上空を旋回する真っ赤な鷹を見つめながら嘆いた。
月食の日に生まれた子は、月の女神の祝福を得られない。そんなくだらない言い伝えの為に、蔑まれ、差別された者たちが、この北の国にはどれだけいるのだろう。
それを野放しにしてるこの国の王様……陛下ってどんなやつなんだ? 今日会ったら、文句のひとつでも言ってやろう。オレはそう思い謁見に臨んだが、何も言えなかった。
バルデマー=バーグ陛下は、あのバルダー様よりも体が大きく、威厳に満ちたその姿と重厚な声に、オレの心は一瞬で掌握された。
そして、陛下を尊敬の瞳で見つめる父上を見て、国の事をちゃんと考えてくれている立派な王様なのだろうと思った。長命な陛下が、北の国の長い歴史の中で、未だに解決できないでいる“呪い”とは、それだけ根強く、簡単にはいかない問題なんだ。
「ヴィクトルじゃないか! 今日は講義の日だったか?」
城の廊下で、バルダー様の兄君、アイリック様と出くわした。
「アイリック様、お久しぶりでございます。今日は、息子と共にご挨拶に伺いました」
「息子? いつ生まれたのだ!? 全然知らなかったぞ!」
「ミーシャは養子です。バルダー様の勧めもあり、数か月前に養子に迎え入れました」
「何!?」
アイリック様は、オレと目線を合わせるようにしゃがみ込んだ。
「あ、あの、ミハイル=ヴィクトロヴィチ=ヴォルコフです。アイリック様にお会いできて、光栄に存じます」
突然目線を合わされたオレは少しビビったが、練習通りに挨拶をする事が出来た。
「か……可愛いではないか貴様ぁ! 耳も尻尾もふさふさで愛らしい見た目に、目上の者に礼儀正しく挨拶が出来るなど、バルダーのみならず、私も気に入るに決まっているであろう! たいがいにしろ!!」
「えっ!? あ、ありがとうございます……?」
褒められてるのかキレられてるのかよくわからなかったが、オレはとりあえず礼を言った。
「貴様、養子という事は、孤児院にいたのか? という事は、バルダーが刺激を受けた獣人の子供というのは……まさか、貴様がエロ本の!?」
「エロ本?」
オレは思わず首を傾げたが、アイリック様はハッとして咳ばらいをし、立ち上がった。
「ヴィクトル、貴様の経営学はとても参考になる。だが、息子の教育も疎かにするでないぞ。特に、性教育はキチンとする様に!」
アイリック様は、コソコソと父上にそう言って立ち去ったが、獣人のオレにはしっかり聞こえていた。
「あの……父上、今のは一体どういう意味でしょう?」
「私もよくわからないが……アイリック様は、とても純粋で素直な方だ。きっと穢れのないお前を心配して下さったのだろう」
オレと父上は、共に首を傾げながら、王宮を後にした。
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