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66 ミーシャの過去 その4

66


ほどなくして、森の中に馬鹿でかい門が現れ、馬車は開かれた門から中へと入った。

中は噴水やら彫像やらが点在していて、綺麗に手入れされた草木や花が咲き誇る温室まであって、まるで大きな公園のようだった。


(森を抜けたのか……)


オレはホッと息をついた。そして、自分が父上にしっかりとしがみついていた事に気が付いた。


「うわっ!」


オレは父上を押しのけ、真っ赤になった。


「あ、えっと……わ、悪い……」


「気にするな。大丈夫なら、それでいい。あれが私の……そして、君の屋敷だ」


父上が指さした方に目を向けると、これまた馬鹿でかい屋敷があった。


「なんだよ、あれ! ちょっとした城じゃねーか!」


驚きのあまり声を上げると、父上は優しく微笑んだ。


「王都にある城はこんなものじゃないぞ。落ち着いたら、共に陛下にご挨拶に伺おう」


「はぁ!? 陛下!? 会えるのか!?」


「私は経営学の指南役として、城で講義を行う事がある。王族の方々とは、長年懇意にさせて頂いているんだ」


(そういえば……バルダー様とも最初から知り合いっぽかったし、助言を受けてるとも言ってたもんな……)


オレは、もしかしてえらい所に来てしまったんじゃないかと、少しビビった。


「さあ着いたぞ」


馬車を降りると、重厚で大きな扉が目の前にあった。


「君が開けてみなさい」


父上にそう言われ、オレは大きな扉のノブを回した。扉の向こうには、ただの玄関とは思えない程の広い空間が広がっていて、何人もの使用人たちが待ち構えていた。


オレはあっけに取られ、その場に立ち尽くしていた。すると、ひとりの燕尾服姿の男が近付いて来た。


「おかえりなさいませ」


「アダム、私の息子のミハイルだ。レイラはどこに?」


「奥様は少し熱があって、寝室で休まれているのですが……」


アダムと呼ばれた燕尾服の男がそう言いかけた時、階段を駆け下りる音がした。


「あなた!」


目を向けると、長い栗色の髪に、深い緑色の瞳の綺麗な獣人の女性が、オレと父上の元へ走って来ていた。


「レイラ! 熱があるのに走ったりして……!」


父上はそう言って、レイラと呼んだ女性を支えた。


「だって私たちの息子と会えるっていうのに、寝ながらお迎えなんてできないわ!」


(この人が、オレの母親になる人か……)


オレの本当の母親は、オレに全く興味がなかった。だから正直、母親という存在とどう接していいかわからなかった。とりあえずオレは、自分の名前を言った。


「ミハイルです……」


オレが伏目がちにそう言うと、女性は満面の笑みを浮かべた。


「私はレイラよ。どうか、私の事は母上って呼んでくれると嬉しいわ」


「よろしく……母上……」


オレの言葉に、母上は父上の時と同じように、本当に嬉しそうに笑った。


「さあ、ここは冷えるわ。早く暖炉のある部屋で温まりましょう。ミハイル、チョコレートは好きかしら? お菓子を食べながら、貴方の話をたくさん聞かせて頂戴」


オレは父上と母上に連れられて、暖炉のある部屋へと通された。暖炉の前のソファーに座り、出された温かいチョコレートの飲み物を飲んだ。


「甘い……」


それは、母上の印象と同じだった。甘くて、なぜだかホッとする。


母上は色々な事を訊いてきた。オレの趣味、特技、好きな学科や苦手な学科。好きな色や好きな本。孤児院での生活はどうだったか、部屋は2階と1階のどちらがいいか、オレが答える度に耳をピクピクさせて、オレとのお喋りが心底楽しいという顔をしていた。


「何か好きな食べ物はある? 夕飯は貴方の好きなものを……と思って、まだ食材の買い出しをしていないの」


オレは、特別好物なんかなかった。正直美味けりゃ何でもいい。でも、期待したようなキラキラした瞳で見つめられて、何か答えないと悪い様な気がした。


「……鹿肉のシチューが好きだ」


「まあ、そうなのね! うちの周りの森にも、鹿がいるのよ。ミハイルは、狩りをした事あるのかしら? 冬があけたら、ヴィクトルと一緒に行ってみる?」


母上の言葉に、オレはビクリとした。森に……狩りをしに行く? オレの手が、震え始めた。


「レイラ、ミハイルは来たばかりで少し疲れてる。今日はこのくらいで……」


父上が思いやって、俺を休ませようとした。オレは、早いうちに話しておくべきだと思った。オレがさっき気付いたオレ自身の問題を、森で暮らすこの人達には、知る権利があると思った。


「オレは、森が怖いんだ」


父上と母上は、そう切り出したオレを静かに見つめた。


「オレは……父親に森に置き去りにされて、父親はその森で自害した。オレは熊に襲われたけど、逃げ延びる事ができて……それで何日も知らない森をさまよって、正直森に対して悪い思い出が強い。森で暮らすあなたたちには……オレはきっと相応しくない」


気付くのが遅かったけれど、今からでも間に合うはずだ。王族と懇意にしているような、そんな立派な家柄の人達は、オレには勿体ない。


「自害した父は、本当の父親じゃなかった。オレは素性がはっきりしない子供だ。だから、オレじゃなくて、もっとあなたたちに相応しい子と養子縁組をした方が……」


その時、母上がオレを抱きしめた。オレは動揺したが、母上の抱きしめる力が強くて、動けなかった。


「辛い思いを……ずっとひとりで抱えていたのね」


「え……?」


辛い? オレが? 訳がわからなかった。オレは自分に起こった事を、ただ淡々と話しただけだ。辛いなんて一言も言ってないし、思った事もないはずだ。


「大丈夫、全部吐き出していいのよ。私が……私たちが全部受け止めるわ。あなたの過去も、辛い気持ちも全部……」


熱があると言っていた母上の体は、確かに少し熱かった。けれど、それよりも熱い何かが、オレの頬を伝ったのを感じた。


それは涙だった。オレの瞳から、オレの意志とは無関係にどんどん溢れ出て、母上の肩を濡らした。


「え……何で……」


何で泣いてるんだ? オレは……。父さんが死んだと聞かされた時ですら、涙なんか出なかったのに。


母上に抱きしめられているオレの頭を、父上が優しく撫でた。


「ミハイル……もう、虚勢を張る必要はない。私たちは、どんな君でも家族になりたいと願っている。君の本当の気持ちを……心を、聞かせてくれないか?」


「オレ……オレは……」


ぼたぼたと流れる涙は、心の奥底にずっと抱えていた気持ちと一緒に溢れ出し、気付けばオレは、今まで誰にも言わなかった本当の気持ちを口にしていた。


「オレは……捨てられたんだ……」


そう口火を切ったオレの暗い感情が、ふつふつと沸き上がって来るのを感じた。

それはオレの心を瞬く間に支配し、もう止める事が出来なかった。オレは感情に任せたまま、大声で吐き出した。


「オレは……捨てられたんだ! 父さんに! 父さんは、オレをひとりぼっちにして、オレを置いてひとりで死んだ! オレは……オレは、父さんと一緒なら……あの時死んでも良かったのに!」


オレは、もう届かないと知りながら、行き場のない思いを天に向かって叫んだ。


「どうしてオレを殺してくれなかったんだ! 父さん!!」


認めたくなかった。ずっと。肯定するのが怖かった。自分はいらない子だと思いたくなかった。こんな気持ちになるくらいなら、いっそ殺してくれた方がよかった。


涙でぐちゃぐちゃになりながら叫ぶオレを、母上はずっと抱きしめていた。そして腕を緩めると、オレの瞳をしっかりと見つめた。


「ミハイル、私は貴方のお父様に感謝しているわ。貴方が生きていてくれて……私たちと出会わせてくれた事に感謝してる。貴方はひとりじゃない。私たちがいる。だから……家族として、ずっと貴方のそばにいさせて……」


母上は優しく微笑んで、再びオレを抱きしめた。


「貴方はもっと甘えていいのよ。私のかわいいミーシャ」


「……ミーシャ?」


嗚咽をしながらオレが問いかけると、父上がオレの頭を撫でながら答えた。


「私たちは家族だ。心を通い合わせ、愛称で呼ぶのは当然だろう?」


「貴方を一目見た時から愛してるわ、ミーシャ。だからもう、他の子と養子縁組をすればいいなんて、悲しい事を言わないで」


母上がそう言って、本当に悲しそうな顔をしたから、オレは急いで謝った。


「ごめんなさい……母上」


母上はにっこりと笑うと、オレの頬にキスをした。

オレは知らなかった。母親とは、こんなにも優しく、温かく、強いものだと。オレの中にドロドロとこびりついていた暗い感情が、このキスで一気に溶かされた様な気がした。


「君は私たちの家族だ。私たちには、君が必要なんだよ。君が受けた傷も、私たちが一緒に背負っていく。これから家族として、共に信頼を築き上げて行こう」


父上の言葉に、オレは涙を拭った。


「父上、家族なら、“君”っていうのはやめてくれる?」


父上は目を丸くして、そしてすぐにフッと目じりを下げた。


「そうだな、ミーシャ」


オレは笑った。顔は涙と鼻水でぐしゃぐしゃだし、暗い感情を大声で叫んで、冷静に考えると恥ずかしかったけど、それよりもオレは、親しみを込めた愛称で呼ばれた事が嬉しかった。

父上や母上も、オレがそう呼んだ時こんな気持ちだったのか。


この優しい人達……新しいオレの家族と、ずっと一緒にいたいと思った。

たくさん勉強して、父上の後を継ごう。新しい家族の為、自分の為に、オレは森で生きて行こう。

オレは、固くそう決心した。



月・水・金曜日に更新予定です。

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