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65 ミーシャの過去 その3

65


「この()()が上手くいくかどうか、結果を見たくなった。この本はお前に返そう」


「……」


父上はそう言って取り上げた本をオレに返すと、バルダー様に向き合った。


「バルダー様、院長が子供たちの学業について相談したいと探していました。私もその事で院長に呼ばれたのです」


「そうなのか。では共に院長の所へ行こう。ミハイル、またな」


(あの獣人の男……足音もしない)


院長室に向かうふたりの後ろ姿を見つめていると、何人かの子供たちが近寄って来た。


「ねぇ! 今のって、森の賢者でしょ?」


「森の賢者?」


「ミハイル、知らないのかよ。ヴィクトル=ヴォルコフさんは、町外れの森の中に住んでて、すごい金持ちって話だぜ」


「お金持ちってだけじゃなくて、優しくて頭が良くて、すごく紳士なの! それで、敬意を表して森の賢者って呼ばれてるのよ」


「背も高くてかっこいいよね!」


「何だよ、女子はあんなジジイがいいのか? ヴォルコフさんには、すごい美人の奥さんがいるって有名だぜ」


「憧れるだけなら勝手でしょ! あんたはそんなだからモテないのよ」


「はぁー!? おめーらみたいなブスに言われたくないね!」


「何よ!?」


「あー! 俺らこれから森に遊びに行くんだった! 行こうぜミハイル!」


目くじらを立てた女子から逃げる様に、オレは腕を引っ張られた。


「あ、いや、オレはいい」


「なんだよ、また本読むのか? アンドレイが森に秘密基地を作ってて、スゲーんだぜ!」


「今度な。今日は本を読みたい」


引っ張られた手を振りほどき、オレはその場を後にした。


「今度って……お前この前もそう言ってたじゃん!」


後ろからそう叫ぶ声が聞こえたが、オレは足早に部屋に戻った。


それにしても森の賢者か……。森の中に住んでるなんて、それで、気配を消すのが上手いのか?

まぁどっちにしろ、オレにとってはどうでもいい事だった。



それからしばらくして、アンドレイが孤児院を出て行く日が来た。オレがこっそり例の本を渡すと、アンドレイは鼻の穴を膨らました。


「お前が大学に行くような事があったら、父さんに口利きしてやるよ」


(投資じゃなくて、やっぱり賄賂(わいろ)だな……)


苦笑いをするオレに手を振って、アンドレイは新しい家族と共に孤児院を去った。


それにしても“父さん”か……。オレも、もし養子になる日が来たら、養父を“父さん”と呼ぶのだろうか。今はまだ考えたくもないその言葉を、オレはまた口にする日が来るのだろうか。


そんな事をぼんやりと考えていたオレに、新しい家族ができる日は意外にもすぐにやって来た。



その日オレは院長室に呼ばれ、部屋に入ると院長先生の他にバルダー様と父上がいた。


「ミハイル、実は、ヴォルコフさんから貴方と養子縁組がしたいと申し出があったのです」


「……は?」


オレは目を丸くした。


「少し前から、貴方の学業について相談していたのです。貴方はとても頭が良く、この孤児院では貴方の能力を伸ばすのに限界があると……。なので、バルダー様に孤児院の資金を増やせないか、多額の寄付をして下さっているヴォルコフさんに、ミハイルを特別に学校に通わせる事はできないかと、お伺いを立てていました」


「はぁ……」


この孤児院では、毎日色んな科目の先生が通いで授業をしに来ていた。孤児院に来る子供達には様々な理由があったが、ほとんどが学業に遅れをとっていて、学校に通えるほどの水準ではなかった。


オレはみんなに合わせて同じ授業を受けていたが、突っ込んだ質問をして、たびたび教師を困らせていたのも事実だった。


「ミハイル、私には子供がいない。君さえよければ、私の後継ぎとしてうちに来てはもらえないか?」


「後継ぎ?」


オレが眉間にしわを寄せると、バルダー様がオレの肩に手を置いた。


「ヴィクトルは北の国でいくつもの会社を経営している。彼の経営学はとても勉強になるし、俺も孤児院の経営についてよく助言してもらってるんだ」


「ミハイル、その……貴方を孤児院で預かるのは、お父様が見つかるまでとの約束でしたが……」


院長先生が言いづらそうにオレを見たから、オレはふうと大きく息をついた。


「オレの父親は森で自害していた。だから見つかる訳ない」


その場にいた全員が、息をのんだのがわかった。


「ミハイル……知っていたのね……。ずっと黙っていてごめんなさい……」


頭を下げた院長先生から、オレは目を逸らした。


「オレは……最初から知ってた。けど、別にそんな事どうでもよかったんだ。むしろ、オレの方こそ知ってる事を黙ってて悪かったよ」


横を向いてぼそぼそとそう言ったオレの肩に、今度は父上が手を置いた。


「ミハイル、私は先程後継ぎとしてと言ったが、君が望まないのなら別にいいんだ。君は頭が良く、才能も豊かだ。勉強するうちに、自分のやりたい事がきっと見つかるだろう。私に、その手伝いをさせて欲しい。それはきっと、将来この北の国の為になると確信している」


買いかぶり過ぎだとオレは思ったが、何故か言葉が出なかった。オレは下を向いて、掠れた声を絞り出した。


「少し……考えさせてくれ」


「ああ、勿論。君の人生を左右する事だ。納得がいくまで考えてくれていい」


父上は優しい声色でそう言うと、オレの頭をポンと撫でた。

大きくて温かい手。オレは、失った大切な何かを思い出しかけていた。



それから、父上はちょくちょく孤児院に顔を出した。父上の話は、確かに面白くてためになった。“教師を困らせるような質問”をしても、父上は顔色ひとつ変えずに答えてくれた。それどころか、逆にオレが考え込む様な難題を出してきて、次に会うまでの宿題だと言った。


優しくて、賢くて、紳士な森の賢者。


『ミハイル、知らないのかよ。ヴィクトル=ヴォルコフさんは、町外れの森の中に住んでて、すごい金持ちって話だぜ』


オレは、いつだかの会話を思い出していた。


(もし、オレがヴォルコフさんの養子になったら、オレも森に入る事になるのか)


オレは、自分の鼓動が速くなるのを感じた。


「くそっ……!」


ドキドキと鳴る胸を押さえ、オレは唇を噛み締めた。


オレは森が好きだ。小さい頃から父さんに付いて狩りをしていたし、森で生きる術も知ってる。

オレはいつでも、生きる為に森に入ってたんだ。死ぬ為に森に入った父さんとは違う! オレは、オレはいつだって……!


オレは決心をし、院長先生に養子縁組を受け入れると伝えた。


そうだ、オレは、生きる為に森に入るんだ。父さんとは違う。違うんだ。


連絡を受けた父上は、すぐにオレを迎えに来た。急だったからお別れ会の様なものはできなかったけど、孤児院の子供たちは別れを惜しんでくれた。


ヴォルコフ家に向かう馬車の中で、オレは父上に尋ねた。


「そういえば……オレはあんたの奥さんと一度も会ってないけど、大丈夫なのか?」


「妻には、前々から君の話はしてある。今日という日を、妻も心待ちにしていたから大丈夫だ」


「……ふぅん。会って、こんな子イヤよって言われても知らねーからな。あんたが責任持てよ」


オレがそう言って馬車の外に目をやると、父上が小さく笑った。


「ミハイル、私たちはもう家族だ。よければ“あんた”と言うのはやめてくれるかい?」


「……じゃあ、なんて呼べば……」


オレは、自分の唇が震えている事に気付いた。呼べるのだろうか、オレに、また……。


「父上、と。そう呼んでくれると嬉しい」


オレは内心ホッとした。“父さん”と、口にしなくて済む。


「ち……父上」


オレがそう言うと、父上は本当に嬉しそうに笑った。



馬車は、しばらくして森の中に入った。季節は冬だったから、森の木々は雪で覆われていた。ヴォルコフ家に続くこの森道はきちんと管理されていて、雪道とはいえ馬車は何ら支障なく進んだ。

オレは、緊張しているのを悟られない様に必死だった。

オレは今、生きる為に森に入った。大丈夫だ、何も考えるな、何も……!


馬車はひたすら森の中を走っていた。オレは相当顔色が悪かったのだろう、父上が気付いて馬車を止めた。


「ミハイル、馬車に酔ったのか? 少し表の空気を吸おう」


「いっ、嫌だ!! 森には出たくないっ……!!」


オレは思わずそう叫んで、馬車の隅で小さく丸まった。父上は、そんなオレの気持ちを察したのか、御者にすぐに馬車を出すよう命じ、丸まったオレの傍らに来ると、優しく抱きしめた。


「大丈夫だ、ミハイル。私がずっとそばにいる」


父上は、安心させるようにオレの頭を撫でた。オレは父上にしがみつき、広い胸に顔を埋めた。


オレは、恐れていたんだ、あの日から……。父さんの命を奪い、オレがひとりぼっちになった“森”が、ただ怖くて仕方がなかった。

生きる為だと自分に言い聞かせ、虚勢を張って、言葉や思い込みで克服しようとしていた。


小さく震えるオレの頭を、父上は屋敷に着くまでずっと撫で続けてくれた。


月・水・金曜日に更新予定です。

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