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64 ミーシャの過去 その2

64


夜が明け、オレは匂いを頼りに森を歩き回った。だが、知らない森の中は知らない匂いばかりで、父の匂いを探し出す事は出来なかった。


そして夜が来て、朝が来ればまた一日中探し回り……というのを、何日か繰り返していた。

腹が減れば木の実を口にしていたが、正直全然足りなかった。


オレは父に教わった様に罠を作り、小さな野ウサギを捕らえる事に成功した。だけどどうしてもとどめを刺す事が出来ず、オレは最終的にウサギを逃がした。


生きる為に森に入り、命を奪う。オレには、まだその覚悟が足りなかった。


父とはぐれてから、何度朝と夜を繰り返しただろうか。オレは遂に動けなくなった。だが、偶然森を訪れていた狩人が、木の根元に倒れていたオレを発見した。


オレはだいぶ衰弱していた為、病院で手当てを受けた。少し回復した所へ、その町の自警団がふたり、話を訊きに来た。

オレは、父と森に入りはぐれた事を伝え、父の特徴を教えて、探して欲しいと訴えた。ふたりの自警団は顔を見合わせ、少し待っていてくれと言って部屋を出て行った。廊下でコソコソと話す声は、扉で遮断されていても、獣人のオレにはよく聞こえた。


「森で見つかった遺体は……もしかして、あの子の父親なんじゃないか? 特徴がそっくりだぞ」


「恐らくそうだろうが……どうする? 真実を言うのか?」


「言える訳がないだろう、あんな小さい子に……父親が、森で首を吊っていたなんて……」


(え……?)


オレは、我が耳を疑った。


森で、父さんが首を吊っていた? ……遺体って言ってた? 父さんは……死んだの?


暫くして、自警団ではない別の職員が部屋に入って来た。その人は、父親が見つかるまで、施設でオレを預かるという話をした。

オレはわかりましたと言って、孤児院に身を寄せる事になった。……父親が見つかるまで。


見つかる訳がない。父さんは死んだ。()()()父親は、母と共に消えた。


父さんは、どうしてオレを森に置き去りにした? どうして自分だけ、死を選んだ? オレをひとりにして、どうして?


『ミハイル、おれたちは生きる為に動物を狩る。生きる為に森に入るんだ。森に敬意を表する事を忘れてはいけないよ』


父さんは噓つきだ。生きる為じゃなく、死ぬ為に森に入った。


本当の子供じゃないオレの事を、疎ましく、煩わしく思い、世話をするのも嫌になって心中しようとしたのかもしれない。だけど父さんは、オレを殺す覚悟がなかった。だからオレの事を捨てた。オレの生死を森に委ねた。


父さんは意気地なしだ。オレにとどめを刺す事もしないで、ひとりで逝ってしまった。


不思議と涙は出なかった。どこか現実ではない様な感覚に陥り、ただ、心が無になっていくのを感じた。



知らない町の孤児院は、意外と居心地が良かった。院長先生は優しくて美人だし、オレの様に親に捨てられた子供たちがたくさんいて、オレは一気に兄弟が増えたみたいで、楽しかった。皆と遊んでると、嫌な事を忘れられた。


孤児院に預けられて2年ほど経ち、オレはこの生活にも慣れ、父の事を思い出す事もなくなっていた。

国が援助をしていた町の孤児院には、この国の王子だとかいう奴がたまに見回りに来た。赤い髪に山吹色の瞳のオーガの王子は、なぜか職員から距離をとられていた。


「なぁ、あの王子って、嫌われてんのか?」


田舎町で育ったオレは、自分の国とは言え、今まで王子の顔を見た事がなかったし、どんな奴かもわからなかった。昔から孤児院にいるアンドレイという年長者にそう尋ねると、アンドレイはわざと王子に聞こえる様に、大きな声で言った。


「あの王子様、月食の日に生まれたんだってよ! 呪われてんだよ、あの王子様!」


その声に、他の子供たちも一斉に王子を見た。王子は少し気まずそうに目を伏せ、その場を離れようとした。


「何だよそれ、ばっかばかしい!」


オレの口から、思わずそんな言葉が漏れた。


「呪いなんてあるわけねーだろ。これからは科学の時代だぜ!」


そう言って、オレはハッとした。


『これからは科学の時代だ』


これは、父さんの口癖だった。魔力のない父は、常に科学の可能性をオレに熱弁していた。

オレは、父さんの口癖を自身満々に言ってしまった事に、なぜか恥ずかしさと悔しさを感じ、慌てて取り繕った。


「だっ、だから王子! お前も、呪いなんていうくだらない事を、間に受けてんじゃねーよ!」


オレが王子を指さしてそう言うと、王子は何故か小さく笑った。


「お前、名はなんていう?」


「ひっ、人に名前を訊く時は、自分から言うもんだぞ!」


王子は一瞬面くらった様な顔をしたが、再びフッと笑って、洗練された優雅な仕草でオレに向き直った。


「俺は北の国の第二王子、バルダー=バーグだ」


その美しい所作にオレは魅入られ、息をのんだ。周りの子供たちも、その美しさに目を奪われているように見えた。


「オ、オレはミハイルだ……」


「ミハイル、お前は、もう少し目上の者に対する話し方を習った方がいい」


バルダー様の言葉に、皆が笑った。


「うっ、うるせー!」


オレは恥ずかしくなり、そっぽを向いた。だけどその日から、バルダー様は何かとオレに話しかけてくる様になった。


バルダー様は、毎週の様に孤児院にやってきて、何か困った事や足りない物はないかなど、職員や子供たちに訊いて回った。そして次に来た時には、必ず困り事の解決方法を提示したり、足りない物は補充して、孤児院の運営が速やかに行われるように動いてくれた。


そんな仕事のできるバルダー様を尊敬しつつあったある日、孤児院に寄付された本を見ながら、オレはバルダー様に尋ねた。


「なぁ、もっと大人が読む様な本はないのか?」


「大人が読む様な本?」


バルダー様は、オレの質問を復唱した。


「子供向けの絵本や物語も好きだけど、こういうんじゃなくて、もっと……」


父さんが読んでいたような、科学や数学の本……と、頭の中に浮かんだが、咄嗟に口を噤んでしまった。オレの口から、“父さん”という言葉がまだ出てくるなんて……何だか悔しかった。


「大人が読む様な本か……具体的にはどういう……」


バルダー様がオレにそう訊き返そうとした時、孤児院に食料を卸している農園の従業員が、バルダー様に話しかけた。


「バルダー様! 今期のウチのワインはとても良質です! お城でご注文してはいただけませんか?」


バルダー様は、自身の“呪い”のせいで、大人たちにはいつも嫌な視線を向けられていたが、商人は別だった。もしかしたら、一生会う事もないだろう王族に、直接商品を売り込む事が出来るとあっては、呪いなんて気にしてる場合じゃない。商売人というのは、本当に逞しい。


話が長くなりそうだと思ったオレは、早々に立ち去る事にした。


「じゃあ頼んだぜ、王子様!」


「あ、ああ。 来週また来る」


だが、バルダー様はそれからしばらく姿を現さなかった。

次にバルダー様が孤児院に来たのは、最後に会ってから20日ほど経ってからだった。


「毎週来てたのに、今回はずいぶん遅かったな」


「……ああ、少し……城で色々あってな。遅くなって悪かった」


バルダー様はそう言うと、何故かオレを物陰へ呼んだ。


「約束していた、大人が読む本だ」


「待ってたぜ!」


何故わざわざ物陰に呼んだのか不思議に思いながらも、オレはワクワクしながら手渡された本に視線を向けた。だが、次の瞬間、オレは固まってしまった。

バルダー様に手渡されたのは、裸の女性が淫らな格好をしている姿がたくさん載っている、いわゆるエロ本というやつだった。


「大人が読む様な本というのはどういうものかと、最近親しくなった盗賊に訊いたのだ。それでこれを薦められた。これは……その、少々刺激的な本だから、孤児院には置いておけない。お前が個人的に持っておくといい」


「な……な……な……」


オレは真っ赤になって、バルダー様に本を付き返した。


「何考えてんだ!! このエロ王子!!」


「え、えろ……」


バルダー様は目を丸くしていたが、オレは恥ずかしさのあまり、相手が王子だという事も忘れまくし立てた。


「大人の本って、こーゆう意味じゃねぇよ!! アホか!! てゆうか最近親しくなった盗賊って何だ!? 王子が盗賊と親しくなるって、普通に考えてまずいだろ!!」


「そ、それはそうなのだが……彼女は何も盗んでいなかったし、困っていたようだったから助けただけだ」


「彼女ぉ!? 盗賊って女かよ……。こんな本を薦めるなんて、その女、明らかにヘンタイだぜ!」


「そんな言い方をするな、ミハイル。俺の説明がまずかったのかもしれない。この本も、わざわざ彼女が持ってきてくれたのだ。安心しろ、盗品ではないぞ」


「どーでもいいわ!!」


オレは大きくため息をついたが、バルダー様に付き返した本を見て、ある事を思いついた。


「……まぁ、せっかくだからやっぱり受け取っておく。アンドレイの養子縁組が決まって、あいつ孤児院を出て行く事になったんだ。そん時の餞別として、この本を渡す」


「アンドレイが? そうなのか。……だが、お前はアンドレイとそれほど仲良くないと思っていたが……」


アンドレイは、この孤児院のガキ大将の様な子供だった。体が大きくて喧嘩が強く、やたら威張り散らすから面倒くさくて、オレはあまり関わらない様にしていた。


「アンドレイの養父は大学の教授らしいんだ。あいつ、上昇志向が強くてずる賢いし、親のコネもあるからそのうち立派な研究員になるかもしれない。賄賂(わいろ)を送っておいて損はない」


そう言って、オレはバルダー様から再び本を受け取ったが、その本は突然オレの手から消えた。


「子供が読む本ではないな」


オレから本を取り上げたのは、背が高く仕立てのいい服を着た獣人の紳士だった。


(何だこのオッサン……。全然気配を感じなかった)


「ヴィクトル」


バルダー様が獣人の男をそう呼ぶと、ヴィクトルと呼ばれた男は礼儀正しくバルダー様に挨拶をした。


「バルダー様、お久しぶりです」


「オレが読む訳じゃない。返せよ」


オレがその男を見上げると、男はさっきの話を聞いていたようで、少し戒める様な顔をした。


賄賂(わいろ)は良くないな」


「……言い方を間違えた。それは、オレがアンドレイの男としての成長を期待して、渡そうと思った物だ。ある意味……投資だ」


そう言ったオレに、男は興味深そうな目を向けた。


「面白い考え方だ」


「ヴィクトル、ミハイルは頭が良くて世間の考え方に囚われない、自由な発想の持ち主だ。話をしていると色々な事に気付かされる」


バルダー様は、オレの事をそんな風に思っていたのか。オレは、なんだか少し気恥ずかしくなった。


「バルダー様がそんな風におっしゃるなんて……私も、ミハイルともっと話がしたいと思いました」


これが、オレと父上の最初の出会いだった。



月・水・金曜日に更新予定です。

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