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63 ミーシャの過去 その1

63


オレは、北の国の小さな田舎町で生まれた。父は人間で、母は獣人だった。いわゆる混血ってやつだ。だがオレの耳は狼みたいで、立派な尻尾も生えていた。周りの皆は、母親に似たのだろうと言った。


「母さん、見て! 母さんと、父さんを描いたんだ!」


オレは絵を描いたり本を読んだりする事が好きだった。描いた絵を母に見せると、母はチラリと横目で見て、何も言わずに視線を逸らした。


「母さん、ちゃんと見てよ! 母さん!」


「ミハイル、父さんに見せてくれ。すごいじゃないか! よく描けてるぞ!」


父は、横からオレの絵を覗き込むと、優しく頭を撫でた。


「母さんは少し疲れてるんだよ。向こうで、父さんと一緒に本を読もう」


母はオレに関心がなかった。というよりむしろ、避けられている様な感じもしたが、その理由はわからなかった。父も、なぜ母がそうなってしまったのかわからないようだった。医者に連れて行こうとしても、「病気じゃない」と言って癇癪(かんしゃく)を起こすので、父も困り果てていた。


そんな母に代わって、父はオレの面倒をよく見てくれた。父は教師で、オレは小さい頃から読み書きや計算を父に教わった。


「すごいぞ、ミハイル! お前は頭がいいな」


父はよくそう言ってオレを褒めた。父に頭を撫でられると嬉しくなり、オレはもっと頑張ろうと色々な事に挑戦した。オレは利発な子供だと、近所でも有名だった。


父が休みの日は、近くの森に狩りに連れて行ってくれた。魔力のない父は、色々な工夫をして狩りをしていた。父の仕掛ける罠はとても精巧で、まるで魔法がかかっているかのように獲物を捕らえることができた。魔力のない人間が作り出すものは、創意工夫に溢れていて、オレの好奇心を刺激した。


「ミハイル、おれたちは生きる為に動物を狩る。生きる為に森に入るんだ。森に敬意を表する事を忘れてはいけないよ」


そう言って父は、捕らえた獲物にとどめを刺す時、必ず祈りを捧げた。

父は正しい。何でもできるすごい人だ。オレはそんな父を、とても尊敬していた。


一方母は、ずっと家にいた。かといって掃除や洗濯をするわけでもなく、たまに家に来る獣人の若い男と、一日中楽しそうに喋っていた。その男が誰なのか知らなかったが、男はオレの事をいつも邪魔くさそうな目で見ては、オレに小遣いを渡して家を追い出し、鍵をかけた。幼かったオレは家に入る事ができず、仕方なくその金を使って時間を潰していたが、父には言えなかった。言えば、何かが壊れてしまうと思った。そういうカンはよく働いた。


だが、オレの家に若い男が入り浸っていると近所で噂が立ち、父の耳にも触れる事となった。


「おれが働いている間、お前は家で何をしているんだ!? 若い男を連れ込んで!!」


「うるさい! あんたには関係ないでしょう!? いつも仕事仕事で、私の事なんか気にも留めてないくせに!」


そんな口論が夜な夜な続いたある日、母は苛立つ父を前にして、最大の()()を告白した。

その日、オレは父と母の口論を聞きたくなくて、布団を被ってベッドでうずくまっていた。けれどオレの耳は、聞きたくなかった事もとてもよく聞こえてしまった。


「あんたが大事に育ててるあの子! 本当に自分の子だと思ってるの!?」


「……何だって?」


「獣人と人間の混血が、まるっきり獣人だっておかしいと思わない!? あの子の毛色は私とも全然違う! 母親似だとか言われてるみたいだけど、あの子は父親そっくりよ!」


母の思いがけない告白に、父が言葉を失ったのがわかった。

オレは布団の中で、息が上手くできなくなった。


母さんは、今、なんて言った? オレは……オレは、父さんの……本当の子供じゃないのか? オレの、本当の父親は……。


たまに家に来ていた獣人の若い男。オレと同じ銀髪に金色の目。まさか、オレの本当の父親は……あの、若い獣人……?


オレは激しい吐き気に襲われた。必死でこらえ、耳を押さえて小さくまるまった。


違う! 違う! オレは父さんの子供だ! 賢くて優しくて何でもできる、尊敬できる父さんの子供だ! あんなゴロツキみたいなのが、オレの本当の父親のわけがない!


オレはギュッと目を瞑り、布団にくるまった。考えて考えて、そのまま疲れきって寝てしまい、朝、目が覚めると、少量の荷物と共に母の姿は消えていた。


「父さん……母さんは……?」


部屋でぼんやりと立ち尽くしている父に話しかけると、父は小さな声で言った。


「母さんは……少し、旅に出てるんだ……。大丈夫、すぐ帰って来るよ……」


だが、母は帰って来なかった。父もそのうち仕事に行かなくなり、部屋は荒れて、オレは毎日腹を空かせていた。


「父さん、何か食べよう? オレ、お腹が空いたよ」


父はうつろな目でオレを見ると、何かを断ち切るように酒を煽った。そしていくばかの小銭を渡し、外を指差した。

オレはその小銭を持って、外でパンを買い飢えをしのいでいた。


そしてある時から、借金取りのゴロツキがオレの家の周りをうろつく様になった。父は、酒を買う為に良くない(やから)から金を借りていたのだ。


毎日、こわもての男が家のドアを叩き、悪態をついた。父は耳を塞いで部屋の隅でうずくまっていた。


なぜこんな事になったのだろう。あの威厳に溢れた父が、働きもせず酒に溺れ、生きているのに死んでいるみたいだった。

どうしたら、元の優しくて賢くて何でもできる父に戻ってくれるのだろう。オレは、そんな事をずっと考えていた。


そんなある日、父がオレを狩りに誘った。いつも部屋で酒ばかり飲んでいた父の誘いに、オレは正直戸惑った。けれど、狩りの準備をしている父の横顔を見ていたら、まるで昔に戻ったみたいで、オレは嬉しくなって、やっと父の目が覚めてくれたのだと思った。


「少し遠い森に行こう。こことは違う獲物が獲れる」


父はそう言って馬を借りた。朝早かったし、馬上のの心地よい揺れも相まって、オレは手綱を握る父に寄りかかり寝てしまった。気が付いた時には、オレは知らない土地の知らない森の前にいた。


父は狩りの道具を担ぐと、森に入って行った。オレも父の後に続いた。

父はオレがちゃんとついて来ているか、たまに後ろを振り返って確認しながら、森の奥深くへと進んだ。そろそろ日が落ちてくるんじゃないかと思いかけた時、父が立ち止まった。


「ここに罠を張る」


そう言って、父はテキパキと罠を張った。それは、キツネ用の割と小さな罠だった。

罠を張った父は、オレに風下で見張っていろと言った。


「父さんは、他の場所にも罠を仕掛けて来る。お前は、ここでこの罠を見張ってなさい」


父はそう言ってその場を離れた。それが、オレが父を見た最後の姿になった。


オレは父の言いつけ通り、罠を見張っていた。途中まで父の足音が聞こえていたが、それも次第に聞こえなくなった。父は、どこまで罠を仕掛けに行ったのだろう。


その時、動物の足音が聞こえた。オレは気取られないように気配を殺し、罠を見つめた。すると一匹のキツネがやってきて、いとも簡単に罠にかかった。


「やった! 父さん! 父さん!」


オレは父を呼んだが、返事はなかった。キツネは暫く暴れていたが、やがて静かになった。


「どうしよう……とどめを刺した方がいいのかな……」


捕らえた獲物に父がとどめを刺すのを見ていたが、オレはまだやったことがなかった。正直少し怖かったし、生きる為とはいえ、命を奪うという覚悟がオレにはなかった。でも、これができたら、もしかしたら父に褒めてもらえるかもしれない。

オレは思い切って、とどめを刺す事にした。父から貰ったナイフを手にして、祈りを捧げた後、キツネに目を向けた。つぶらな瞳と目が合って、オレは自分の手が震えている事に気付いた。


「くそっ……」


その時、風上から別の動物の匂いがした。視線を上げ、辺りを警戒すると、目の前の茂みからでかい熊が現れた。


キツネは再び暴れ出し、罠から逃げようとした。熊はそれに気付き、ゆっくりとオレとキツネの方に近付いて来た。


(まずい……!)


オレは、熊がキツネに気を取られている隙に、ゆっくりと後退した。


(大丈夫、父さんに教わったようにやればいいんだ。熊を刺激しないように、ゆっくりと、離れるんだ……!)


しかし、熊はキツネを一瞥し、オレの方に顔を向けた。


「ひっ……」


オレは怖くなって、思わず駆け出してしまった。熊はそんなオレの動きに触発されて、追いかけてきた。


(怖い! 怖い! 助けて! 父さん!)


オレは必死で逃げた。獣人は足が速い。けれど、子供の足と野生の熊では、勝敗は明らかだった。熊のでかい手がオレの体を横から引っかけて、オレは吹っ飛ばされた。


「うわあぁぁぁ!!」


吹っ飛ばされた先は川で、流れが速く足がつかなかった。オレは必死で泳いで、何とか向こう岸に辿り着く事が出来た。

熊は、もう追いかけては来なかった。


幸いオレは、腰に丈夫な皮で作った水筒を下げていて、熊の手が当たったのはその水筒の部分だった為、水筒には穴が開いてしまったが、致命傷になる程の傷は負っていなかった。


だが、体力と精神力の消耗は激しく、オレは暫くその場から動けなかった。


(暗くなる前に……火を起こして、体を温めないと……)


そう思い、オレは気力を振り絞って再び森に入った。枯れ木を集め、父がやっていた様に火を起こした。魔力がなくても火を起こす方法を、オレは人間の父から教わっていた。


(明日……父さんを探そう……。父さんも、ボクの事を探してるはずだ……)


オレは自分の尻尾にくるまって眠った。父が自分を探していると信じて。



月・水・金曜日に更新予定です。

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