61 すれ違う気持ち
61
優里がシュリへの恋心に気付いて慌てふためいていた頃、アスタロトは、北の国の深い森の中にある、古びた遺跡に来ていた。誰にも見つけられないような、朽ちた遺跡の一番奥にある部屋に入ると、そこには鎖に繋がれ、ぐったりと動かない悪魔の姿があった。
アスタロトはその悪魔に近付くと、大きくて美しい羽を撫でた。それは、悪魔にも関わらず、白く美しく、まるで天使の羽の様だった。
「アスタロト……」
その悪魔はアスタロトの気配に気が付き、消え入りそうな声でその名を呼んだ。
「やあ、気分はどう? ベルナエル。ずいぶん元気がないようにみえるケド」
アスタロトは、ベルナエルと呼んだ悪魔の美しい羽を撫でながら、妖艶な笑みを向けた。
「ふざけるな……! ここから出せアスタロト!」
そう言ったベルナエルの腕に、ボロボロの遺跡の隙間から射した日の光が当たった。すると光が当たった部分が火傷の様に赤くなり、ベルナエルは思わず声を上げた。
「うっ……! ぐっ……!」
「動いちゃダメだよベルナエル……。この部屋に射す日の光は、遺跡の神聖な力によって、ぼくたち悪魔が苦手な聖属性の光に変換されるって言ったでしょ? 部屋自体も、聖なる力に満ちている。ぼくも能力を発揮できないから、ここではあんたを殺せない。だから安心して?」
「う、うぅ……」
小さく唸るベルナエルの顔を、アスタロトは自分が光に当たらない様に注意しながら覗き込んだ。
「ベルナエル……いい加減、彼女を呼んでよ。ぼくが話したいのは、あんたじゃない」
「ずっと言ってるだろう……あいつはオレの闇にのみ込まれた。もう、出て来やしねぇよ」
アスタロトは鎖を掴み、ベルナエルの体をわざと光の下に晒した。
「ぎゃあああ!!」
ベルナエルの体はたちまち焼きただれたように赤くなったが、その傷は徐々に回復している様に見えた。
「嘘をつくなベルナエル。じゃあ何であんたの羽は白いままなんだ? 何でこの聖なる部屋で、悪魔のあんたの傷が治る? 彼女はまだそこにいる。いいから早く彼女を呼べ」
「うう……くそっ……! くそっ……!」
「ベルナエル……ぼくはね、あんたを痛めつけたいワケじゃないんだ。あんたの美しい羽をこうして愛でられるのも、その美しいエメラルドみたいな瞳を見るのも、ホントはぼくにとって、何ものにも代えがたいすごく大切な時間なんだよ」
アスタロトはそう言うと、ベルナエルの顎を掴み目を合わせた。
「早くあんたに会いたいよ、ベルナエル。会って……そして訊きたいんだ。……どうしてぼくを裏切ったのか」
アスタロトはそう言うと踵を返し、部屋を出て行こうとした。
「ま、待て! 行くなアスタロト!! ここから出せ!!」
「また来るよベルナエル。次に来た時は、彼女に会わせてね」
「アスタロト!!」
ベルナエルの悲痛な叫びを背に、アスタロトは部屋の扉を閉めた。
(どっどっどっどうしよう!!)
その日の夜、優里は部屋でひとり、激しく動揺していた。
(まさか、シュリさんに恋しちゃってたなんて! 一体いつから? シュリさんにドキドキしてたのは初めからだけど、それは私が恋愛慣れしてなくて、男性に免疫がないからだと思ってたのに……)
しかし優里は、結構初期の段階から、シュリに対して普通とは違う感情を抱いていた事を知っていた。
(前に宿屋で、私の尻尾がシュリさんにまとわりついた事があった。アリシャさんの事を聞いた時も、シュリさんの恋人じゃないって知ってホッとしてた自分がいた。シュリさんに、何かできることはないかって訊いた時、ずっとそばにいる事だって言われて……すごく嬉しかった)
優里は俯いて、胸の前でギュッと手を握ると、目を瞑った。視界を遮断すると、頭の中がシュリの顔や優しい声色でいっぱいになり、自分はシュリに夢中なのだと気付かされた。
(ふたりでお酒を飲んだあの日、酔っぱらったシュリさんがかわいくて、愛おしくなって……自分の気持ちが抑えられなくなったんだ……。それで魔力が暴走して、サキュバス本来の姿になって、シュリさんの生気が……シュリさんの事が、欲しくて欲しくてたまらなくなった。シュリさんが……好きだから……)
優里は目を開けて、口元を手で覆った。
(どうしよう、私、こんなにもシュリさんの事が好きだったんだ。好きに……なってたんだ……)
このままでは、生気を貰う時にまた本来の姿に戻ってしまうかもしれない。そうすると、またシュリが昏睡状態になってしまう。優里は自分の恋心を落ち着かせる為、深呼吸した。
その時、シュリが部屋に入って来た。
「待たせたな、ユーリ」
「シュ、シュリさん……! いえ! べべべ別に待ってないです!」
優里はシュリの方を向いたが、まるで待ってましたと言わんばかりに、自分がベッドで待機していた事に気が付いた。
(し、しまったーーーー! 私ってば、思いっきりベッドの上で考え事してたーーーー! しかもいつものクセで、枕もふたつ並べて、掛け布団もめくってシュリさんがすぐ横になれるように準備万端にしてたーーーー!)
優里は慌ててベッドから飛び退いたが、シュリはベッドに座ると自分の隣においでとも言う様に、ポンポンとマットレスを叩いて優里を呼んだ。
優里は抗えるはずもなく、大人しくシュリの隣に座った。
「質のいい解毒薬の準備が出来たから、明日の昼にでも、ミーシャの母親に夢を見せようと思うんだが……大丈夫か?」
「あ、はい! クロエとも話をしましたし、大丈夫です!」
優里はもじもじと指を動かして、それを凝視する事でシュリの事を見ない様にした。
「昼頃なら、まだ生気も十分だろうから、お前の毒スキルも発動せずに済むだろう。万が一の場合の解毒薬の確保もできたし、明日の為に、今日はたっぷり生気を与えなくてはな」
シュリはそう言って優里を見つめ、頭を撫でようとしたが、優里は目を逸らしたまま軽く頷いた。
シュリは、そんな少しおかしな優里の様子に気付き、手を引っ込め、目を伏せた。
「ユーリ……実は、お前に訊きたい事がある」
「え?」
優里は思わず顔を上げた。シュリは目を伏せたまま黙っていたが、意を決したように顔を上げ、口を開いた。
「お前と酒を飲んだ日、わたしはお前に何かしたか?」
「!!」
優里は一瞬で真っ赤になった。
(シュリさん、あの時の事覚えてないの?)
「わたしは、酒を飲むと……記憶が曖昧になる。お前があの日、本来の姿に戻ったのは、わたしが原因だったのではないか?」
(ユーリを愛する気持ちを止められず、わたしがユーリを刺激してしまったのではないか?)
シュリはそう考え、優里から真実を引き出そうとした。
「あっ、いえっ、その……」
(どっ、どうしよう! シュリさんが好きすぎて暴走したなんて言えない……!!)
優里はさっきシュリへの恋心を自覚したばかりで、その気持ちを伝えるなどという事は到底出来なかった。
「た、たぶんお酒のせいです! 私、ただでさえ魔力の制御ができないのに、お酒のせいできっとより一層おかしくなったんです!」
「……そうなのか?」
「そうです! シュリさんは何もしてません!」
(むしろ、襲い掛かったのは私の方……!)
優里は有無を言わせないといった気迫で、シュリを見た。シュリは優里の綺麗な紫色の瞳を見つめ、ふうと小さく息をついた。
(ユーリは、何か嘘をついている……。様子がおかしいし、瞳にも何かを隠している色が見える。だが何故だろう、わたしはそれを指摘出来ない。城でわたしの気持ちを伝えたが、迷惑だったのか? その答えを知る事を、わたしは恐れているのか……?)
シュリは再び目を伏せた。
(嘘をついているとわかっていて何も言えないのは、2度目だ……。あの時も、わたしは恐れていた)
シュリの脳裏に辛い記憶が甦り、動揺した心を優里には悟られないよう、ギュッと唇を噛んだ。
「何も……なかったのならいい。少し喉が渇いたな。水を貰って来る」
シュリはそう言って部屋を出て行った。優里はシュリの動揺には気付かず、ホッと胸を撫でおろした。
(はぁ……、何とか誤魔化せた……。とにかく、生気を吸う時に暴走して本来の姿に戻らないように、自分の気持ちを落ち着けないと……)
優里はトクトクと鳴る鼓動を確認する様に、胸に手を当てた。
(シュリさんが好き……。だけど、魔力がコントロールできるようになるまでは、この気持ちは抑えておいた方がいいのかもしれない)
その時優里は、城でシュリが言った言葉を思い出した。
『毎晩お前を抱いて……このままずっと守っていきたいと思った。ユーリ、わたしはお前を……』
(シュリさんは……私の事が誰よりも大事って言ってくれた。かわいいって思うようになったって……。あの言葉の続きは……何だったんだろう)
優里は顔を赤くしたまま考えた。
(シュリさんの気持ちが知りたい。でも、もしも私が期待してるような答えじゃなかったら? 私はやっぱりただの睡眠導入剤として、大事だと思われてるだけだったら?)
優里の胸がズキリと痛んだ。シュリの気持ちを知りたい一方で、初めての恋に傷付く事を恐れていた。
自分の気持ちに気付いた今、シュリに決定的な事を言われてしまったら、きっと辛くてシュリのそばにはいられないと思った。
(知らなかった、こんな気持ち……)
優里は、シュリに恋をして、初めて切ないという気持ちを知った。
一方シュリも、アダムに水を貰い、部屋に戻るまでずっとユーリの事を考えていた。
(ユーリは、わたしの為にスライを殺そうとした……。だがそれは、相手がわたしでなく、例えばミーシャやルーファスでも、同じ行動をとったかもしれない。あの時……ただ、大事な仲間として、わたしの事を助けようとしただけなのかもしれない)
そう思い、シュリは少し自嘲気味に笑った。
(ユーリがわたしだけを大事に思っているなどと考えるのは、自意識過剰だったな……。優しくてお人好しで不器用な、そんな彼女だからこそ、わたしは愛しく思うのだ。ユーリがわたしと共にいるのは、不眠症のわたしを思いやってくれているだけ……)
そこまで考えると、シュリは自分の胸を押さえた。
(これは……少し辛いな……。だが、ユーリがどう思っていようと、わたしの気持ちは変わらない。ユーリを愛している。彼女の信念を守る為、わたしは……彼女のそばで、守り続ける)
シュリは改めてそう決意すると、部屋のドアを開けた。
「すまなかったな、ユーリ。明日の為に、今日はもう休もう」
「はい、そうですね」
優里とシュリは、お互い思っている事を言葉にできないまま、ベッドに横になった。
紫の靄は、うまくかみ合わない気持ちごとふたりを包んだ。
月・水・金曜日に更新予定です。




