55 決着
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「貴様が月の女神だと!? ふざけるな! そんな話、信じられるか!!」
アイリックの叫びに、アスタロトは頭の後ろで両手を組むと、黒い玉に寄りかかり気だるそうにした。
「信じられないって言われても、事実なんだからしょうがないじゃん。元々、ぼくは月の女神だったんだけど、天界から追放されて悪魔になったの! つまり、あんたたちが信仰してる月の女神サマは、昔のぼくのコトなんだってば」
「貴様は悪魔だ! 悪魔は人を惑わし、陥れる為に嘘をつくものだ! 何が女神だ! 大体、貴様は男ではないか!」
「アスタロト様が言っている事は、本当です」
部屋の壁に叩きつけられたリヒトが、よろけながらバルコニーへ出てきた。
「リヒト君!」
ルーファスが慌ててリヒトを支えると、憤りをあらわにしているアイリックに言った。
「アスタロト様は元天使です。月の女神と、勝手に女性だと決めつけたのは、貴方たちの方です」
「サルガタナスの言う通りだよ。ヒトは、何でも自分たちの都合のいいように勝手に決め付ける。月が隠れていたら、ぼくの祝福を得られないだって? 馬鹿馬鹿しい。月があってもなくても、ぼくはあんたたちを祝福なんかしない。でも……ヒトがやるコトを傍観してたぼくにも、多少の責任はあるのかなって思うから……」
アスタロトは再び広場にいる民を見下ろした。
「ぼくはその怠惰の罪を償うタメに、責任を持って、この国をぶっ壊すよ」
アスタロトは片手でふわりと黒い玉を操ると、広場にいる民目掛けてそれを投げた。
「やめろーーーー!!」
アイリックと王は、なすすべなく叫ぶしかなかった。しかしその時、バルダーがバルコニーを飛び越え、投げられた黒い玉の前に飛び出した。バルダーの体は山吹色に光り、ドラゴンに姿を変え、そして口から巨大な火の玉を吹いた。火の玉は黒い玉にぶつかり、爆音と共に黒い玉は砕け散った。
『アスタロト! たとえお前が月の女神だろうと、この北の国の民を傷付ける事は許さない!!』
「……あんたのタメにやってあげてるのに……ぼくの邪魔をするの? バルダー……」
アスタロトの周りに小さな黒い玉がいくつも現れ、それはバルダーに向かって一気に打ち込まれた。しかしバルダーは翼でそれらを弾き返し、アスタロトは咄嗟に防御壁を張って防いだ。
バルダーは、広場にいる民にアスタロトの攻撃が当たらない様に巧みに空を飛び回り、アスタロトと激しい攻防を繰り広げていた。
「バ、バルダー様が、北の国の為に……俺たちの為に戦ってくれているのか!?」
「私たちを守る為に……!」
「よし! 俺たちも加勢するぞ!」
広場にいる民や衛兵たちは、魔力のある者は魔法を、そうでない者は矢をアスタロトに向けて放った。
四方八方からくる攻撃に、アスタロトは更に上空へと逃げた。
「一致団結しちゃってさぁ……ぼくをこれ以上……疲れさせないでよ!!」
アスタロトは、大きな黒い玉を再びバルダーへ向かって投げつけた。バルダーが火の玉を放ち、それを蹴散らした瞬間、距離を詰めていたアスタロトが死角から現れ、ニヤリと笑ってバルダーの懐に潜り込んだ。
「ふふっ! 油断したね、バルダー!」
アスタロトは、リヒトを吹き飛ばした時の様に、ドラゴン姿のバルダーの胸元に手を当て、魔法を放った。ドンと大きな音がして、バルダーの口元から血が流れたが、バルダーは尻尾でアスタロトの体を掴むと、山吹色の瞳を光らせた。
『油断したのはお前だ、アスタロト』
「え……」
バルダーは至近距離から、アスタロトに向かって炎を吐いた。
「ぎゃああああああ!!」
アスタロトは悲鳴と共に、黒い靄となって消えた。
「や、やった! バルダー様が悪魔をやっつけた!!」
「俺たちを守って下さった!!」
「バルダー様ぁ!!」
広場にいる民たちは、歓声を上げた。それは地鳴りの様に、城を、北の国全体を揺らし、バルダーを称える歓喜の声は、アイリックと王の心に響いた。そこにはもう誰も、バルダーを“呪われた子”だと言う者はいなかった。
「バルダー、貴様は……自分の手で、呪いを払拭したのだな」
アイリックは、涙を浮かべた。王はアイリックの肩に手を置いて、誇らしげにドラゴン姿のバルダーを見つめた。
バルダーは、上空から民たちが無事な事を確認すると、人気のない森へと降り立った。
「私、バルダーの様子を見てきます! もしかしたら、ケガをしてるかもしれないから……!」
優里は、バルコニーから森へ向けて飛んで行った。
「バルダー!!」
鬱蒼と茂る木々をすり抜け、優里はバルダーの名前を呼んだ。すると大きな木の陰から、バルダーの声が聞こえた。
「……ユーリか?」
「バルダー、大丈夫!?」
「ま、待てユーリ! 来るな!」
「どこかケガしてるんじゃないの!? 早く治療を……」
バルダーの静止を無視して、優里が木の陰を覗き込むと、そこには全裸のバルダーがいた。
「き、きゃーーーー!」
優里は思わず悲鳴を上げ、真っ赤な顔を覆って後ろを向いた。
「な、何で脱いでるの!?」
「いやっ、これは……兄上の服には魔法がかかっていなくてっ……炎竜に変身した時に破けてしまったんだ!」
バルダーも咄嗟に後ろを向いて、ふたりは背中合わせになった。
(あ、そ、そーいえばアイリック様の服を借りたって言ってたっけ……)
優里は動揺する心を落ち着かせる為、深呼吸した。
「えっと、あの……みんなが……北の国の人たちが、バルダーにすごく感謝してるのが伝わってきて……、私、それが嬉しくて」
優里は、後ろを向いたままもごもごと話し始めた。
「アイリック様の夢で、バルダーが辛い過去を背負ってた事を知ったから、北の国のみんなが、本当のバルダーをわかってくれた事がすごく嬉しいよ。バルダーがすごく優しくて、頼りになる人だって、みんなが認めてくれた事が嬉しい」
「……ユーリ……」
バルダーは、自分の胸がぎゅうと締め付けられるのを感じた。そして、優里の存在を、言葉をとても愛しく感じ、後ろから優里を優しく抱きしめた。
「……っ!? バ、バルダ……」
「お前が……母の声を聞かせてくれたから、俺は強くなれた。優しくて、頼りになるのはお前だ。ユーリ、俺は、お前が……」
「ねぇ、裸で女の子に抱きついて、ナニしてんの?」
その時、優里たちの頭上から、聞き覚えのある声がした。
「……!?」
優里たちが声のした方を見上げると、そこには、白い髪に銀色の瞳、ビスクドールの様な艶やかな肌をした、美しい容姿のあのアスタロトがふたりを見下ろしていた。
「オーガからヘンタイに種族変更しちゃったワケ? ぼくちょっと引いちゃったよ」
「なっ……!? アスタロト!? 生きて……!!」
バルダーは動揺しながらも優里を背中に隠し、臨戦態勢に入った。
「待った待った! もうぼくには、戦う意思も意味もないよ!」
アスタロトはそう言うと、ふわりと優里たちの前に降り立った。
「どういう意味だ!? なぜあの炎に焼かれて生きている!?」
バルダーは、警戒を解かずにアスタロトに詰め寄った。
「あのねぇ、ぼくは煉獄の悪魔だよ。業火の中で暮らしてきたんだから、炎には耐性があるんだよ。まぁ、正直あんたがあそこまで無慈悲だとは思わなかったから、ちょっとびっくりしたケドさ。でも、迫真の演技だっただろ? ぎゃああああああ~って、煉獄で苦しむヒトを参考にしたんだ」
アスタロトは、得意そうに笑った。
「やられたふりをしたのか? 一体なぜ……」
アスタロトは、優里たちを一瞥すると空を見上げた。
「ヒトはあざとくて都合がいい生き物だ。この国を滅ぼそうとしてるぼくがあんたにやられれば、呪いなんてくだらないモノ、もう信じないだろ?」
「アスタロト、お前……俺の呪いを、払拭しようとしたのか?」
バルダーがアスタロトを見つめると、顔を歪ませて呆れたように言った。
「はぁ!? だから都合のいいように受け取らないでくれる? ったく、これだからヒトは……。ぼくは、ぼくが放置していたモンダイを片付けただけだ! そのタメにあんたを利用しただけ!」
その時、3人の元へリヒトが降り立った。
「アスタロト様」
「リヒト! お前、ケガは大丈夫なのか?」
バルダーは、アスタロトに吹っ飛ばされていたリヒトの体を心配した。
「煉獄というブラック企業で鍛えられてますから、大丈夫ですよ。アスタロト様のパワハラには慣れっこです」
「ぱわ……? どういう意味だ?」
首を傾げるバルダーだったが、リヒトはアスタロトの前に立ち息をついた。
「アスタロト様、これからどうするつもりなのですか? 俺は、嫌な予感しかしないのですが」
「サルガタナス、ぼくには視えるよ。あんたが、ぼくのやるコトに心配ばっかしてる姿が」
アスタロトは自分の綺麗な銀色の瞳を指差しながらそう言うと、優里に向き合った。
「というワケだからユーリ、ぼく、もう北の国にはいられないし、あんたたちの旅についてくコトにしたから、よろしくねぇ!」
「え……」
優里がキョトンとした顔でアスタロトを見つめると、桜色の唇が弧を描いた。
「あんたの周りは面白そうだからね。イロイロと」
「えぇー!?」
驚く優里と、頭を抱えるリヒトを尻目に、アスタロトは子供のように笑った。
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