54 堕天使
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王宮内にある広場の真ん中には、大きな月の女神の像があり、大勢の北の国の民がその周りに集まっていた。
優里たちは、その広場が一望できるバルコニーへ続く部屋に着いた。
北の国では、何か祝い事がある時などに王宮の広場を解放し、訪れた民にバルコニーから手を振ったり、労いの言葉を掛けたりしていた。
今回はハラルドの謀反の件を民に報告する為、朝早くから街に伝令を出し、民に集まって貰っていた。
部屋の窓から、優里がチラリと広場に目をやると、たくさんの民がバルコニーを見上げ、王の報告を待っているのが見えた。
(すごいたくさんの人……! バルダー、大丈夫かな……)
アイリックの過去の記憶の夢の中で、優里はバルダーが“呪われた子”として良くない視線を向けられていたのを目の当たりにした。その視線を、今日も向けられるかもしれないと思うと、胸が痛んだ。
「ユーリたちはこの部屋から見守っていてくれ」
アイリックにそう言われ、優里は小さく返事をした後、バルダーに声を掛けた。
「バルダー! あの……大丈夫?」
バルダーは、心配そうな顔をしている優里の頭を優しく撫でた。
「俺は大丈夫だ、ユーリ。陛下が、兄上が、お前たちが、俺を支えてくれている」
「……うん」
凛とした表情のバルダーに、優里は安心して頷いた。
その様子を見ていたアスタロトが、静かに部屋を出て行こうとした。
「アスタロト様、何処へ行くのですか?」
呼び止められ、アスタロトが振り向くと、そこにはリヒトの姿があった。
「ここからじゃよく見えないから、空から見ようと思ってね……サルガタナスも一緒に行く?」
「……」
リヒトが静かに見つめると、アスタロトは口元を緩ませた。
「サルガタナス、何を心配してるの?」
「悪魔に……裏切りは付き物ですからね」
リヒトの言葉に、アスタロトは呆れたような声を出した。
「別に何も企んじゃいないよ~。あんたって案外しつこいよね。そんなんじゃ、ユーリに嫌われちゃうよぉ?」
「俺とユーリさんは、そういう関係ではないです」
「……ふうん。まぁどーでもいいケド。一緒に来ないのなら、ほっといてよね」
アスタロトはひらひらと後ろ向きで手を振りながら、部屋を出て行った。
その姿を黙って見つめているリヒトに優里が気が付き、声をかけた。
「リヒト君、どうしたの?」
「……いや、何でもないです。俺にも、シュリさんの様に嘘を見抜ける能力があったらなと思っただけです」
優里は、シュリの名前を聞いて俯いた。
「シュリさん……目が覚めたかな……。目が覚めて私たちがいなかったら、きっと心配するよね。この世界って、携帯がないから連絡も取れないね」
少し元気がないような優里を、リヒトは少しでも安心させたいと思った。
「こちらの状況は、先生が千里眼で見ているはずです。もしシュリさんが目覚めていたら、きちんと彼に説明してくれますよ」
「うん、そうだね」
優里も、リヒトが自分を気遣ってくれている事に気付き、心配をかけないように笑顔を向けた。
「それはそうとユーリさん、クロエはこの場に召喚しないんですか?」
「うーん、それが、さっきからやってみてるんだけど、反応がないんだよね……。印の光り方も弱いし……何かあったのかな……」
優里がそう言って手の甲の印を見つめると、リヒトも目をやった。
「人間と悪魔の場合は、一度召喚を解くと再び召喚するのにクールタイムが必要なんですが、魔族同士の場合でも同じことが言えるのかもしれません。今まで、続けて召喚した事はないんですか?」
「うーん、言われてみればないかもしれない……。いつも1日は経ってたかも」
「クールタイムがどのくらい必要かはわかりませんが、ユーリさんの場合、魔力をコントロールしているのはクロエさんの方なので、彼女の負担が大きくて、続けての召喚は難しいのかもしれませんね」
「そうなんだ……。また後で試してみるよ」
そう言った優里は、ふと昨日の事を思い出した。
(そういえば……リヒト君って、煉獄の悪魔なんだっけ……)
「あの、リヒ……」
優里がその事についてリヒトに質問しようとした時、広場のざわつきが一瞬大きくなった。優里たちが目をやると、王とアイリックがバルコニーに出た所だった。
王が右手を前に出すと、ざわついていた広場が一瞬で静かになった。
「皆に報告がある。わたしの補佐としてこの国に貢献していたハラルド=ベッケンが、昨夜謀反を起こし、我が息子アイリックに剣を向けた。その事は、他の大臣や衛兵も目撃している」
「なんだって!?」
「ハラルド様が……!?」
民が再びざわついた。
「ハラルドは悪魔を利用し、我が王家に刃を向けた。しかしその悪魔の裏切りにあったのだ。彼は悪魔に魂を食われ死んだ」
民は顔を見合わせたり、口元に手を当てて動揺していた。
「ハラルド様は、国政を牛耳って私腹を肥やしてたって噂だったわ」
「おれたち平民には、見下すような物言いをする所があったし……正直いなくなってせいせいする」
「悪魔に魂を食われるなんて、自業自得だ」
ハラルドの政治に不満を持っていた民が、次々に文句を口にした。
王は再び右手を上げ、自身に注目させると、話を続けた。
「わたしが病に倒れたという噂が流れていたが、ハラルドの油断を誘う為、病気のふりをしていた。皆に余計な心配をさせ、騙すような形になってしまってすまなかった。だが、その噂を聞きつけ、頼りになる男が余の前に現れた。バルダー、ここへ」
王の言葉を受け、バルダーがバルコニーに姿を現すと、広場の民たちは驚きの声を上げた。
「バルダー様!?」
「バルダー様だ! 生きておられたのか!?」
動揺している民に対し、王は強い口調で言った。
「バルダーは、雪崩に巻き込まれた後、自身の呪いが民へ不安感を与える事を懸念し、自ら北の国を去ったのだ。だが今回、私の事を思い戻って来たバルダーは、ハラルドに剣で貫かれたアイリックを救った! 自分の兄を、この北の国を、悪意に満ちていたハラルドから救ったのだ!」
広場は静まり返った。呪われているバルダーが国を救ったという王の言葉に、まるで英雄を見るかのような瞳でバルダーを見つめる者もいれば、複雑な表情を浮かべる者もいた。
その時、上空から子供の様な笑い声が響いた。
「王様ぁ! いきなりそんな事言われても、みんながみんな納得するワケないじゃん!」
その声に皆が上空を見上げると、そこには、巨大な黒い玉の様な塊を背後に浮かべたアスタロトが、広場を見下ろしていた。
「な、何だあれは!?」
「なんて禍々しいオーラだ! まさかあれが、ハラルド様を裏切ったという悪魔か!?」
広場にいる民たちは、空に浮かぶアスタロトと黒い玉を見上げ、恐れおののいた。
「その黒い玉は何だアスタロト! 何をしようとしている!?」
アイリックがそう叫ぶと、アスタロトは、不安げに自分を見上げる民を一瞥した。
「いくらバルダーがアイリックを救ったとしても、大昔からある“呪い”の言い伝えは、そう簡単に払拭されない。だったらどうすればいいと思う? ものすごーく、手っ取り早い方法があるじゃないか」
「アスタロト! 貴様……まさか……!」
アスタロトは、背筋が凍るほど美しく妖艶な笑顔を向けた。
「全部ぶっ壊して、初めからやり直せばいいんだよ」
「……!!」
その場にいた誰もが、言葉を失った。部屋にいた優里たちも騒ぎに気が付き、バルコニーに出た。
(何!? あの黒い玉……!)
優里も空を見上げ、その禍々しさに体が震えた。
「アスタロト様!!」
リヒトが黒い翼を広げ、咄嗟にアスタロトの前に飛んで出た。
「お遊びが過ぎます、アスタロト様! 何をしようとしてるのですか!?」
「何って……人助けだよ。ちょっとそこどいてくれない? 邪魔なんだけど」
アスタロトはそう言うと、リヒトの胸に手を当てた。
すると次の瞬間、リヒトは吹っ飛び、優里たちのいるバルコニーを抜けて、部屋の壁に叩きつけられた。
「リヒト君!!」
優里はリヒトの元へ駆け寄ろうとしたが、ミーシャが腕を掴み、それを止めた。
「待て、ユーリ! 下手に動くな! あの悪魔、何をしでかすかわからない!」
「でもっ……!」
その時、バルダーがアスタロトに向かって叫んだ。
「やめろアスタロト!! そんな短絡的な考えは間違っている!!」
アスタロトはバルダーに目を向けると、大袈裟に首を傾げた。
「なんでさ? あんたみたいな被害者を出さないタメに、ぶっ壊すんだよ? それに、ぼくは呪いなんてくだらないコトを伝えた覚えはないんだよ。あんたたちがぼくを崇拝するあまり、勝手に妄想して作り出したイイツタエでしょ? そんな決め付けをされて、ぼくだって迷惑だ」
「……崇拝? 何を言っている!? 北の国に、悪魔を崇拝する宗教はないぞ!」
アイリックがそう言うと、アスタロトはハァとため息をついた。
「……あのさぁ、あんたたちが崇拝してる月の女神って、ぼくなんだけど」
「な……」
あまりにも馬鹿げた発言に、アイリックは元より、王もバルダーもその場で固まった。
「あぁ……ぼくだったって言うのが正しいのかな」
太陽を黒い玉で隠す様に背負い、冷たくも美しく笑うその姿は、広場にある月の女神像にとてもよく似ていた。
「ぼくはもと月の女神、堕天使アスタロトだ」
月・水・金曜日に更新予定です。




