5 子供
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(はぁ……毎朝心臓がもたないよ……!)
優里とシュリが共に旅をするようになってから、7日が経った。
出会ってから毎日、生気を分けてもらっていた優里だったが、シュリは必ず優里を抱きしめたまま眠り、そのまま朝まで決して離さなかった。
(生気を貰って満たされると、私も抗えない睡魔に襲われるんだよなぁ……。むしろ、シュリさんの生気に睡眠効果があるんじゃないの?)
満足感からか何なのか、優里自身もいつもそのまま眠ってしまい、朝、シュリの腕の中で目覚め、ドキドキするという繰り返しだった。
当のシュリはといえば、顔を赤らめる優里を気にする様子もなく、むしろ毎日ぐっすり眠って快適というような感じだった。
(恋人でもない人と、こんな風に朝を迎えるのって問題あるよね!? でも、生気を貰わないと生きていけないし、そもそも生気を貰うって行為が必要な魔族に転生って…処女の私にどうしろと!! 今更だけど詰んでる……!)
優里は毎朝こうして、解決しない問題をぐちゃぐちゃと考えては、大きなため息をついていた。
そしてもうひとつ、優里には気になることがあった。
ポーチから地図を取り出し、前を歩くシュリと照らし合わせた。
(やっぱりこの星マーク、シュリさんだ……)
地図の中の、猫マークのすぐ前にある星マークが、進行方向に動いている。
(私が初めてこの世界に降り立った時、きっとシュリさんは、あの湖のそばで休んでたんだ。でも、私が星マークに向かって歩き始めてから、シュリさんも森に入ったりし始めて……。だから次に地図を見たときは、星マークが移動してた。とにかく、今こうして見ても、この星マークはシュリさんを指してるって断言できる)
優里は、星マークがシュリだということはわかったが、理由は見当もつかなかった。
(しかもこの地図、常に私の周りだけを映し出してるみたいなんだよね……。距離はどのくらいまでかわからないけど、割と近い範囲しか対応してない感じ……。スマホのマップ機能みたいに、別の場所も見る事が出来ればいいのに……)
「ユーリ」
地図を見ながら考え込んでいると、前を歩いていたシュリが突然振り向いた為、優里は慌てて地図を隠した。
「は、はいっ?」
「あそこに行商人がいる。少し物資を補給していく」
シュリが指さした方を見ると、一台の馬車が停まっていた。
近くまで行くと、髭を生やした行商人のおじさんが笑顔で迎えてくれた。
「いらっしゃい」
「干し肉はあるか?」
シュリがおじさんと話してる間、優里は物珍しそうに品物を見ていた。
(わぁ……色んなものが売ってるんだな)
端の方に、少しだけ洋服も置いてあった。
(服もあるけど……あんまりオシャレじゃないなぁ……)
「ユーリ」
シュリに呼ばれそばに寄ると、口の中に、何か木の実のようなものを押し込められた。
「!?」
突然のことで優里はびっくりしたが、その実は思いのほか甘く、程よい酸味もあった。
「おいしいです!」
「クルルの実だ。日持ちもするし、栄養価も高い。まぁ、お前に食べ物の栄養は関係ないが……」
「クルルの実?」
優里が聞き返すと、シュリの近くにいたクルルがピピッと鳴いた。
「この実は、クルルの大好物だ。だからクルルと名付けた」
「そうなんですね! おいでクルル、一緒に食べよう」
「ピピッ」
クルルと仲良く木の実を食べる優里を見て、行商のおじさんはにこにこしながらシュリに言った。
「あんたら、夫婦かい? 可愛い奥さんだねぇ」
(夫婦……!?)
優里は、クルルの実を詰まらせそうになった。
「こんなに可愛かったら、あんたも心配で目が離せないだろう」
優里が思わずシュリの方を見ると、シュリは口元に手を添えて、少し考えてから言った。
「……そうだな。毎晩抱いて満足させているつもりだが、夕方を過ぎるとすぐ欲しがるから、確かに目が離せない」
「ちょーーーー! 言い方ーーーー!!」
(いや、言ってることは間違ってないんだけど、ニュアンスが違う……!)
優里は真っ赤になって反論したが、行商のおじさんは豪快に笑い飛ばした。
「そうかい! 若いっていいねぇ!」
(ほらーーーー! なんか、私がすごいやりたがりみたいに思われてるーーーーーー!!)
カラカラと笑っていたおじさんだったが、急に真剣な顔になり、シュリたちに忠告した。
「夢中になるのもいいが、ここいらで最近、盗賊の被害が相次いでるから、夜は特に気をつけな」
「盗賊?」
優里が聞き返すと、おじさんは腕組をして、眉間にしわを寄せた。
「知らない間に、金品が無くなってるらしくてよ。どうやら夜、寝ているときに盗まれてるんじゃないかって話だ」
「そうか、わかった。気を付けよう」
シュリはそう言い、行商の馬車を後にした。優里は少し不安になった。
(熊のモンスターの次は、盗賊か……。異世界って治安悪いなぁ。私も自分の身を守るすべを、何か身につけた方がいいのかも……。サキュバスは、魔法とか使えないのかなぁ? 夜、シュリさんに聞いてみよう)
そんなことを考えながら歩く優里だったが、突然止まったシュリにぶつかってしまった。
「わっ!」
シュリは立ち止まったまま、何やら森の方を見ていた。
「どうかしたんですか?」
「いや……。何でもない、行くぞ」
シュリはしばらく森の方を見ていたが、再び歩き出した。
「……?」
優里は不思議に思ったが、シュリがどんどん歩いて行くので、小走りで追いかけた。
揺れるポーチの中で、地図に新たな星マークが現れていたことに、優里はまだ気付いてはいなかった。
日が暮れ始め、今夜の野営地にテントを張った。夕飯の後、優里はぼんやりと月を眺めていた。
今夜は綺麗な満月で、空気が澄んでいるのか、月や星はとてもよく見えたが、吹く風はいつもより冷たく感じた。
(今日はちょっと寒いな)
自分を抱きしめるように両腕をさする優里を見て、シュリは森に入る準備をした。
「少し焚き木を拾ってくる」
「あ、はい」
テントのすぐ裏手は森になっていた。
(私が寒そうにしてたからかな……。もしかしたらあの時も、焚き木を拾いに森に入ったのかも)
優里は、シュリと初めて会った日のことを思い出していた。
あの日からシュリには翻弄されっぱなしだが、異世界という見知らぬ土地で、頼りになることも確かだった。
(ひとりはちょっと心細いけど、これがあれば、シュリさんが近くにいるってわかるから、安心できるな)
焚火にあたりながら、優里は何気なく地図を開いた。そこで初めて、星マークがひとつ増えていることに気が付いた。
「えっ!?」
森に入ったシュリのマークと、もうひとつは、優里のすぐ後ろにあるテントの辺りに現れていた。
(何!? これ……!? マークが増えてる!?)
優里は振り返り、テントを見た。
(中に……誰かいる!?)
「シュ……シュリさん!」
優里は後ずさりしながら、シュリの名前を呼んだ。次の瞬間、テントの中から黒い影が飛び出し、優里はその影に押し倒された。
「!!」
両腕を掴まれ、覆いかぶさるように押さえつけられ、優里は身動きが取れなくなった。
月を背に、自分を見下ろすその影の正体に、優里はより一層驚いた。
(子供……!?)
まるで今夜の満月のような金色の瞳、銀色の髪の毛に、犬のような耳と尻尾が生えたその男の子は、優里を見下ろしたまま言った。
「騒ぐな」
優里は、驚きのあまり動けないでいた。
そしてごくりと喉を鳴らし、目の前の男の子を見た。
(ど、どうしよう……生まれて初めて、男の人に押し倒されてる!!)
だが子供だ! と、自分自身にツッコミを入れつつも、優里は動揺し、男の子を見つめる事しかできなかった。すると男の子は何かの気配を感じたのか、耳をピクリと動かし、優里から飛び退くように離れ、くるりと一回転をして地面に着地した。
と同時に、森の方から嘶きが聞こえ、ジャンプしてテントを飛び越えてきたユニコーン姿のシュリが、優里を守るように男の子の前に立ちはだかった。
「シュリさん!」
シュリはすぐに人型に戻り、男の子に話しかけた。
「誰だお前は。盗賊か?」
「フン! 助けに来るのが遅かったな、馬ヤロー! これは頂いてくぜ!」
男の子の手には、優里が腰にぶら下げていた、今日買ってもらったクルルの実が入った巾着があった。
(いつの間に!?)
「じゃあな!」
男の子はその場を離れようと後ろにジャンプしたが、それを阻むように、白い玉のような塊が、男の子の上から覆いかぶさった。
「ピピィ!」
「うわ!」
白い塊の正体は、クルルだった。男の子はクルルに押しつぶされるような形になり、今度は男の子の方が、身動きが取れなくなった。
「くそ! なんだコイツ!? どけよ!」
「ピピィ?」
クルルは首を傾げて、男の子が持っているクルルの実が入った巾着を、じーっと見ていた。
「その巾着を離せば、あるいは退くかもしれんな」
シュリがそう言うと、男の子は悔しそうな顔をして、持っていた巾着を放り投げた。
「…………」
しばしの沈黙が流れたが、クルルはその場から動かなかった。
「どかねーじゃねぇか!」
男の子はバタバタと暴れていたが、上に乗っているクルルはびくともせず、自分の仕事は終わったとばかりに、羽繕いをし始めた。
「……ふふっ」
その姿がなんだか可愛くて、優里は思わず笑ってしまった。
「笑ってんじゃねぇ! この痴女!」
「ちっ、痴女ぉ!?」
思わぬ悪態をつかれ、優里の声が裏返った。
「そんな布地の少ない服着やがって! 女性なら、もっと清楚で可憐な服着やがれ! オレの母上みたいに!」
「そ、そんなこと言われたって、これしか持ってないんだから、仕方ないでしょう!?」
子供に痴女と言われ、恥ずかしいやら悲しいやらで、優里は涙目になった。
「お前、服を持っていなかったのか? わたしも、お前は趣味でその破廉恥な服を着ているんだと思っていたぞ」
「は、ハレンチとか言わないで下さい!!」
シュリに追い打ちをかけられ、優里は心に誓った。
(服!! 何としても、まともな服を買わなくちゃ!!)
その時、男の子のお腹が、ぐぅと大きな音を立てた。
男の子は恥ずかしそうに顔を赤らめたが、シュリはその場にしゃがんで、男の子の顔を覗き込んだ。
「お前が暴れないと約束するなら、食べ物を分けてやる」
男の子はしばらく黙り込んでいたが、小さな声で「わかった」と言った。
シュリが食事を準備している間、男の子は大人しく待っていた。
子供だが精悍な顔立ちをしていて、少し汚れてはいたが、身なりもよかった。
「ひとりなの? お父さんとお母さんは?」
優里が話しかけると、男の子はそっぽを向いたまま答えた。
「オレをガキ扱いするな、痴女のくせに」
(また痴女って言った!!)
「おねえさんは、優里っていうの。あの人はシュリさん。君、名前は?」
優里は言い返したいのをこらえて、話を進めた。
「ユーリ? 北の国のヤツか?」
(シュリさんにも言われたけど、優里って、こっちの世界では北の方の名前なのかな……)
「私は、北の国の出身じゃないから」
優里がそう言うと、男の子はじろじろと優里を見ながら答えた。
「ふうん。まぁ、お前は痴女で十分だ。オレは、ミハイル=ヴィクトロヴィチ=ヴォルコフだ」
優里はいい加減言い返そうとしたが、食事の準備をしていたシュリが、割って入った。
「ヴォルコフ? お前、北の国のヴォルコフ家の子息か?」
「シュリさん、知ってるんですか?」
シュリは出来上がった食事を、ミハイルと名乗った男の子の前に置くと、優里の隣に座った。
「北の国の有名な資産家だ。その息子が、なぜひとりで盗みなど働こうとした?」
ミハイルは、いただきますも言わずに目の前の食事に食いついたが、シュリの問いかけに一旦食べるのをやめ、しっかりとした口調で言った。
「オレは、伝説の薬師に会いに、東の国に行く途中なんだ」
優里は、思わず息を吞んで、シュリの方を見た。
シュリも少し驚いた様子で、ミハイルをじっと見ていた。
金色の月に照らされたミハイルの瞳には、強い決意が感じられた。
必ず伝説の薬師を見つけると言ったシュリと同じ光が、ミハイルの瞳にも宿っていた。
月・水・金曜日に更新予定です。