48 アイリックの過去 その4
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それから、あっという間に月日が流れた。王家の血筋の者は昔から成長が早く、スキルの取得や魔力の制御も、常人に比べ早いうちに開花させる事ができた。
弟の身長は私を優に追い越し、強く逞しい立派なオーガの姿に成長していた。魔力の制御も身に付き、いつでも自由に変身できるようになっていた。しかし民たちの中には、その変身能力を気味悪がって、それこそが呪われている証だと言う者もいた。
私は父上の補佐として、王政に関わっていた。あの、幼少の頃弟をいじめていたハラルドも、私と共に父の補佐をしていた。ハラルドは人間の様に頭がきれ、オーガの様に腕力が強く頑丈で長命だった。双方の良い部分を受け継ぎ、仕事もできて優秀だったが、やや権力に執着し過ぎる所があり、力のない者に対して差別的な態度を見せる事がしばしばあった。その事で、私はハラルドと意見を対立させる事が多かった。
私は、相手の魔力を封じるという強力なスキルを取得し、国の治安を守るのに役立っていたが、肝心の北の国から呪いを払拭するという件については、あまり進展が見られなかった。
弟は、自ら表舞台には立たない様にしていて、相変わらず地下で暮らしていた。
しかしそれは消極的なものではなく、裏方から国政を支えているような、縁の下の力持ち的な存在だった。
実際、弟の助言で上手くいった法案がいくつもあり、一部の民はそれを理解し、称賛していた。
私はそんな弟に、孤児院の運営を任せた。
北の国には、国で運営をしている孤児院がいくつかあった。これからの未来を担う子供たちが、弟は危険ではないと認識すれば、良い方向に流れていくのではないかという安易な考えだったが、弟はこの仕事が気に入ったようだった。
そして国で災害が起こった時も、弟を現場へ派遣した。これに関しては結果はまちまちだった。感謝する者もいれば、この災害自体が弟の呪いによるものではないかと言い出す輩もいた。しかしそんな輩に対して、間違っていると異議を唱える者も出てきた。これは良い傾向だと思った。
そうして、呪いに対して意見を述べる者が出てくれば、一歩ずつでも前に進める。
外に出る事で、好奇の目に晒される事も増え、弟には辛い思いを強いる事になるが、弟はそんな事よりも、国の為に、民の為に自分が何が出来るのかを考える男だった。
そんな弟の人柄が民に理解されつつあった時、それは起こった。
「バルダー、いるか?」
私は、新しい法案について助言を求める為、地下の部屋を訪れた。
「兄上!」
弟は、少し焦った様子で何か隠した。
「何だ? 今、何を隠した?」
「あ、いや、これは……」
「見せてみろ。私に隠し事などするな」
私は弟が隠した物を無理矢理取り上げた。それは、いわゆる大人の為の、妖艶な女性が挑発するような格好をした姿がたくさん載っている本だった。
「あ、あの、兄上! これはその……孤児院の子供に頼まれて……」
弟は、取ってつけたような言い訳をした。
「孤児院に、獣人の面白い子がいるんです。とても頭が良くて、話をしていると良い刺激になります」
「そ、そうなのか? 貴様がそう言うのなら、私も会ってみたいものだ」
(刺激? それはどういう意味での刺激だ? エロ本を要求するような子供に、どんな刺激を受けたのだ?)
本来なら、「子供にそんな本を与えるな!」と叱咤しなければいけなかったのだが、いかんせん私も動揺していた。弟も健康な若いオーガだ。そういう欲があってもおかしくはない。だが、まさかあの可愛い弟が……いや、これが成長というものだと、私は必死で自分に言い聞かせた。
しかし弟は、どうやってこの本を手に入れたのだろう。まさか街まで買いに行ったのだろうか? もしそうなら、兄としてその勇気を称えるべきなのか? 私が様々な事を悶々と考えている間、弟は卓上にワインを準備していた。
「兄上、何か話があったのではないのですか? 実は、孤児院の近くにある農場の商人から、美味しいワインを頂いたんです。一緒に飲みながら話しましょう」
「ああ、そうだった。頂こう」
私はグラスを手に取り、弟が入れたワインに口をつけた。
(なんだ? ワインとはこんな味だったか? 何か喉が……)
次の瞬間、私は喉に焼けるような痛みを感じ、咳込んだ。
「がはっ! がっ……!」
「兄上!?」
ポタポタと、床に血が垂れた。
(何だ!? 私が……血を吐いているのか!? なぜ!?)
「兄上! 兄上!!」
訳がわからなかった。弟が私を呼ぶ声が段々遠ざかっていき、私は意識を失った。
次に目が覚めた時、そこは自分の部屋のベッドの上だった。私が目覚めた知らせを受け、ハラルドが部屋を訪れた。
「王子! 心配しましたよ!」
「ハラルド……。私は一体……」
「ワタシも驚きました。まさかバルダー様が、王子を暗殺しようとするなんて!」
「な……!? 暗殺!?」
私は頭が真っ白になった。何を言っているんだこの男は?
「弟が私を暗殺しようとする訳がない! 弟に会わせろ!」
訊けば、弟は私が昏睡してからの3日間、地下牢に入れられているらしい。私は急いで弟の元へと向かった。
「バルダー!」
「……兄上! 無事だったのですね! よかった……!」
酷い有様だった。地下牢は錆びた鉄の様な匂いが充満していて、両手足を縛られた弟は傷だらけだった。傷の治りが早いオーガがこれほどの傷を負っているという事は、恐らく絶え間なく拷問を受けていたのだろう。
私を見て、安心した表情を浮かべた弟に、一緒に来たハラルドが冷たい目を向けた。
「よくもそんな事が言えますね。王子を暗殺しようとした張本人が」
「違う! 俺はそんな事考えてもいない! これは何者かによる陰謀だ!」
「その言葉は聞き飽きました。いい加減、ご自身の罪を認めたらどうです?」
私は、弟が用意したワインを飲んで血を吐いた。どうやら私のグラスに毒が仕込まれていたらしい。そして、その様子を偶然ハラルドの部下が目撃していたというのだ。
「それとも、グラスに毒が仕込まれていたのは、“呪い”のせいだとでも言いますか?」
ハラルドはそう言ってニヤリと笑った。
「やめろ、ハラルド。弟は毒など仕込んでいない。私はあの時、弟がワインを準備する様子をこの目で見ていたが、弟に不審な動きはなかった。グラスを選んだのも私自身だ。私が毒が入っていない方のグラスを選ぶ可能性だってあった」
これは嘘だった。正直私は、あの時は考え事をしていて、弟の一挙一動など目に入っていなかった。グラスを選んだのは私だが、弟と話す時は、私はいつも上座に案内されるから、自然と上座にあったグラスを手にしたのだ。
だが弟の疑惑を晴らすために、私は嘘をついた。
ハラルドは私の言葉に押し黙り、小さく舌打ちをした。私はそれを見逃さなかった。
「弟にやましい事があれば、変身能力を使いとっくに逃げているだろう。だがそれをしないという事が、弟の潔白を証明している」
「そ、そうですハラルド様! バルダー王子はアイリック王子を慕っております! 暗殺などする訳がありません!」
「こんな、自分が犯人だと言わんばかりのずさんな方法を、バルダー王子が発案するとも思えません!」
様子を見に来ていた他の大臣たちが、ハラルドの言い分に異議を唱え始めた。それは、弟の助言により成功を収めた大臣たちだった。弟の日頃の行いが、味方を作っていたのだ。
「証拠がない限り、この拘束は不当だ。すぐに弟を解放して、手当をしろ」
「……かしこまりました、王子」
同じ、父の補佐として国政に関わっていたハラルドだが、やはり立場としては王子である私の方が上だった。周りの目もあった為、ハラルドは素直に命令に従い、弟の拘束を解いた。
ハラルドが後処理をしている間に、私は急いで父の元に向かった。
父は、私が昏睡している間、弟の暗殺未遂を民に公表しようとしていたハラルドを抑止し、部下にも口止めをしていた。
私が姿を現すと、安堵すると共に人払いをした。私がこれから話そうとしている事を、父も既に勘付いていたのだろう。
「父上、ハラルドが謀反を起こそうとしています」
「……やはりか」
あの時ハラルドは、私の言葉に舌打ちをした。私は、弟に罪を被せ私を暗殺しようとしていたのはハラルドではないかと思った。
昔から、ハラルドは権力に執着していた。遠縁ではあるが、自分も王家の血を引いているはずなのに、なぜ王族ではないのか、なぜ自分には魔力が無いのか、なぜ、呪われているバルダーが王家の一員として城にいるのか……そういった負の感情が、ヤツの周りに常にあった事を私も父も知っていた。その為、王家にとって危険な存在であると認識し、注意を払っていた。
それでも、頭のいいヤツは、上手く立ち回り周りの信頼を得て、実績を上げた。父もそれを評価しない訳にはいかず、危険を承知で補佐という立場を与えたのだ。
だが王子という確かな権力を持ち、意見を対立させる私は、ハラルドにとって非常に疎ましい存在だったのだろう。ハラルドは、私という邪魔者を排除しようとしたのだ。
「ハラルドは、私を暗殺し、その罪を全てバルダーに被せるつもりです。呪われた王子が自分の兄を暗殺したとなれば、民はますます“呪い”は真実だったと噂するでしょう。ハラルドは民の不安感を増長させ、王家全体が呪われているなどと言い出しかねません」
「そうしてわたしを失脚させ、自分が王位に就く……という事か。しかしハラルドは狡猾で頭のきれる男だ。決して尻尾は掴まさないだろう」
「はい。ハラルドの思惑を証明するには、決定的な証拠が必要です」
父は黙り込み、何かを考えていた。
「今回、ハラルドは遂に行動に移した。このままいけば……バルダーが危ない」
「父上……どういう事ですか?」
「バルダーは自分の為ではなく、常に誰かの為に行動する男だ。故に、このままではいつか、わたしたちの為に命を落とすだろう」
私は息をのんだ。
「それは……流石に、父上の考え過ぎでは?」
「……だといいが……あれは、母親に似過ぎている」
優しかった母。弟を、月食の日に生まないようにと必死で抵抗して、それが母の死へと繋がった。弟もいつか、私や父の為に命を落とすと?
「とにかく、ハラルドの動きには注意しろ。あと……バルダーには極力近付くな」
「はい……」
私の身に危険が及べば、バルダーはその犯人に仕立て上げられるだろう。もしくは父の言う様に、私を守ろうとして命を落とすかもしれない。
私は子供の時に、ダヴィードの泉で渦に巻き込まれた私の手を、決して離そうとしなかったバルダーの事を思い出していた。
嫌な予感がした。
そして数日後、その予感が現実のものとなった。
月・水・金曜日に更新予定です。




