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45 アイリックの過去 その1

45


月食の日の夜、当時5歳だった私に弟ができた。

まだ幼かった私は、国王であった父や、周りの従者たちの不安げな顔には気付かず、母の隣で泣いている小さな生き物に釘付けになった。


弟に向かって手を伸ばすと、ギュッと私の指を握った。それはとても力強く、この小さな体のどこからそんな力が溢れてくるのだろうと感動したのを覚えている。


「アイリック……あなたの弟よ」


そう言った母は、少し辛そうな顔をしていた。


「この子の事を……しっかり守ってあげてね……」


「はい、母上!」


私の指を握りながら、大きな声で泣く小さな弟を、私は必ず守ると心に誓った。


「ごめんね……」


母は、そう言って弟を見て涙ぐんだ。なぜ謝ったのかと、この時の私にはよくわからなかった。


母は、その後すぐ亡くなった。


母は命をかけて弟を産んだ。弟は母の忘れ形見だ。母の意志を、思いを継いで、私は弟を守り、共に生きて行くと決意した。


けれど私は弟と引き離され、弟は母が信頼していた乳母と地下で暮らす事になった。

なぜ地下に追いやるのかと父に訊いても、その時は明確な答えは得られなかった。


それでも私は周りの目を盗んで、たびたび弟に会いに行っていた。気付けば、弟が地下で暮らすようになって3年の月日が流れていた。


「バルダー! 遊びに来たぞ!」


「あにうえ!」


弟はバルダーと名付けられ、、私が顔を出すと嬉しそうに笑った。


「アイリック様! いけません! ここに来てはいけないと国王陛下から言われているでしょう!?」


「フリーダ! だってずるいではないか! こんなに可愛いバルダーを独り占めするなんて!」


乳母のフリーダはまだ若かったが、豪胆で逞しく、懐の大きな優しい女性だった。生前の母の良き相談相手であり、母が信頼を置いていた従者のひとりだった。


「わたしはラガーサ様……貴方のお母上から、バルダー様の事を任されたのです! 独り占めとは聞き捨てなりません!」


「私だって、母上に弟を守るようにお願いされたのだ! 私には弟のそばにいる権利がある!」


私とフリーダの攻防は日常茶飯事だったが、そんな時はいつもバルダーが私たちの間に入り、睨み合いをする私とフリーダに言うのだった。


「けんか、だめ!」


「バ、バルダー、違うぞ! これは喧嘩をしているわけではなくてだな、互いの主張に折り合いを……」


「そうですよバルダー様! わたしたちは本当はとっても仲良しなんですよ!」


バルダーは取り繕う私たちの手を取ると、握手をさせようとしながら「なかなおり」と言って笑った。


「き…貴様ぁ! ふざけるな! 可愛すぎるぞ! 仲直りせずにはいられないではないか!!」


「アイリック様、怒鳴らないで下さい! アイリック様の愛情表現は独特過ぎます!」

 

そんな調子で、弟のかわいい仕草に、私とフリーダの目じりは下がりっぱなしだった。


バルダーは私にとてもよく懐いていて、私が帰ろうとすると泣きだすこともしばしばあった。仲が良い私たちを無下に引き裂く事もできず、結局はフリーダも、私の行動を大目に見てくれるようになった。


「フリーダ、なぜバルダーは地下で過ごさなくてはならないのだ? ここは薄暗くて陰気だ。可愛い弟を育てるような環境ではない」


「……わたしの口からは何も言えません。いずれ、陛下がお話になるでしょう」


フリーダはそう言って目を伏せた。

弟が地下で暮らさなくてはいけない理由がわからぬまま時は過ぎ、私の耳に()()()が届いた。


それは、弟が“呪われている”というものだった。

私は憤りを感じた。誰がそんな事を言っているのかと従者に詰め寄ると、皆言っていると言われた。


(どういう事だ? なぜ弟が?)


私はすぐさま父の元へ行き、詳しい説明を求めた。皆が言っている事を、父が知らない訳がない。知っていて、それを黙認しているのか? だとすればそれは、家族に対する酷い裏切りだと思った。


「アイリック……お前にも、この北の国が抱える問題を背負う時が来たのかもしれない」


怒りをぶつける私に、父は一度大きく息を吐いてからゆっくりと話し始めた。


北の国では、昔から月を神聖なものと考えていた。何か願い事をする時は、月に向かって祈ったり、月の女神を称える祭りが催されたりしていた。もちろんその事は知っていたが、月に関する恐ろしい言い伝えがある事を、私はこの時初めて知った。


それは、月を神聖なものと考えるあまり、逆に月が隠れる月食は縁起が悪く、よくない事が起こるというものだった。

だから月食の日に生まれた子は、月の祝福を得られない所か、むしろその体に呪いを宿していて、周りに不幸をもたらすというものだった。


「なんですかそれは! 馬鹿馬鹿しい! そんな事ある訳がない!」


私は父に訴えた。父は興奮する私を見据え、静かに話し始めた。


「大昔から伝わる信仰を否定することは難しい。だが、その目には見えない“呪い”のせいで、疎外や迫害という問題が起きているのも事実だ。わたしは北の国を治める王として、この問題を重く受け止めて、良い方向へ導く事はできないかと常々考えてきた。王家の者が月食の日に産まれた事が、変化をもたらす良いきっかけになるのではないかとも思った」


「それならば、なぜバルダーを公の場に出さないのですか!?」


父は、目を伏せ軽く唇を噛むと、ゆっくりと口を開いた。


「わたしは、人々の心無い目に晒されたバルダーが、深く傷付く事を恐れている」


私は思い出した。「呪われている」という噂をしていた従者の目を。恐れや蔑み、自分とは異質のものを見る冷たい目だった。あの目に見られた時、人は、弟はどう思うのだろう。弟は優しくて賢い。自分は嫌われているという事を、敏感に感じ取るだろう。でも、だからといって、ずっとこのまま地下で暮らすのが弟の為なのか? 誰の目にも触れさせず、かくまう事が正解なのか? 母が私に言った、弟を守ってという言葉は、そういう意味だったのか?


違う。


弟が呪われてなどいないという事を証明するには、弟自身の努力も必要だ。例え心無い目に晒されても、それを撥ね退け、呪いなど無いと民に納得させる強さと実績が不可欠だ。ずっと地下に籠っていては、弟の呪いは永久に払拭されない。


私は姿勢を正し、父に宣言した。


「バルダーは呪いなんかに負けない。私たち兄弟は、この国の王子です。協力し合って、民が納得する方法で、この国に根付く呪いという馬鹿げた言い伝えを断ち切ってみせます。私は、バルダーならそれが出来ると信じています」


父は最初は驚いていたが、そのうちフッと口元を緩めた。


「お前は強い。わたしなんかよりずっと、王に相応しい人物なのかもしれんな」



その日から私は、弟を連れて外で遊ぶようになった。フリーダは心配していたが、父が何か伝えていたのか、弟を連れ出すのを反対する事はなかった。


弟を目にした者たちは、案の定、冷たい目を向けた。弟は最初、その目を恐れ私の後ろに隠れていた。


「バルダー、恐れる必要はない。貴様は何も悪い事などしていない。堂々と私の隣に立て」


私は、弟がこれから立ち向かう問題の為には、強い心が必要だと思った。その為には、周りが向けるこの目を克服しなくてはならない。荒療治ではあったが、私は怖がる弟の手を引いて城中を歩き回った。



そして弟が6歳になった時、私は敢えて呪いの事を話した。それはただの言い伝えで、呪いなどこの世に存在しない事もあわせて言って聞かせた。


「貴様は、これからそれを証明するのだ。私と一緒に」


「兄上……」


弟は、私の強い決意を理解し、共に呪いと戦うと約束した。それからは私の隣に並び、拙いながらも王子として堂々とした振る舞いをするようになった。


私は弟の成長が嬉しかった。呪われていると噂をしていた従者も、凛とした弟の態度に見る目を変えつつあった。私はこのまま、呪いなんて事はすぐに忘れ去られるのではないかと思った。


だがある日、私がいつものように弟に会いに地下室に行くと、弟は酷くふさぎ込んでいた。


「どうしたのだバルダー? 何かあったのか?」


弟は地下室の隅に座り込んで、涙をこらえているように見えた。

今朝がた、地下の廊下でハラルドと言い合いになったという事を、フリーダがこっそり教えてくれた。内容こそは聞き取れなかったが、その後からずっと部屋の隅でうずくまっているとの事だった。


ハラルドとは、父の遠縁の親戚の息子で、オーガと人間の混血という、当時では珍しい人種の奴だった。親に連れられてたまに城に来ては、私や弟に敵意を向けるハラルドを、正直私はあまり好きではなかった。


ハラルドは混血だったが、魔力がなかった。本人にとってはその事が、劣等感を抱くに値するものだったのだろう。ハラルドは魔力のある王家の者(わたしたち)に強い反発心があり、特に、“呪い”を持っている弟は、魔力のない自分よりも劣っていると考えている節があった。

その為ハラルドは、やたら弟に絡んできて、事あるごとに「呪いのせいだ」と言うのが口癖の意地の悪い所があった。

どうせまたくだらない事を、弟の呪いのせいにしたのだろうと思った。


「バルダー、ハラルドに何か言われたのか? 何を言われたとしても、貴様が正しいと思う事ならば胸を張っていればいいのだぞ」


弟はしばらく黙っていたが、やがて重い口を開いた。


「ハラルドに……母上が亡くなったのは、俺の呪いのせいだと言われました」


私は言葉を失った。


(なんて事を言うんだあの馬鹿野郎は! 人の心を持ち合わせていないのか!?)


「バルダー、そんな事は絶対にない! 呪いなどこの世に存在しないと初めに言ったであろう!?」


私は思わず大きな声を出した。弟は俯いたまま、拳を強く握りしめた。


「母上が、俺を生んだ事で命を落としたのは事実です。……それを、俺は……」


ぽたぽたと、弟の目から涙が零れ落ちた。


「兄上、俺は、自分は呪われているんじゃないかと思ってしまいました」


私は目を見開いた。


「母上は、俺を生む為に命をかけてくれたのに、俺は、母上の死を呪いのせいかもしれないと思ってしまったんです。自分のせいじゃないと……逃げてしまったんです。この身にかけられた呪いのせいだって……。俺は……俺は、母上の想いを踏みにじった臆病者です」


まだ6歳だった弟の小さい体が小刻みに震えていて、私はその震えを止めたくて、力いっぱい弟を抱きしめた。


自分自身の心を守る為に、呪いを肯定しようとしてしまった事を、誰が責められるだろうか?

民に祝福され、愛されて育った私には、弟の気持ちを本当の意味で理解する事などできないのかもしれない。


私はただ、泣きじゃくる弟を、黙って抱きしめる事しか出来なかった。



月・水・金曜日に更新予定です。

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