44 渦の中で
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渦に巻き込まれた優里たちは、激しい流れの中で方向感覚を失っていた。
しかしルーファスは力を振り絞り、バルダーが掴んでいたアイリックを見つけると、その首元に咬みついた。そして血を少し吸うと唇を離し、そのまま渦に巻き込まれ流されていった。
ルーファスが咬んだ事により、優里たちの魔力を抑え付けていた鎖が消えた。クロエは優里の手を引いたまま、スキルを発動しようとした。
(メリュジーヌは水の精霊ですわ! スキルさえ使えれば、上に上がれる!)
しかし、激しい渦の中、優里を離さない様に掴んでいるのがやっとで、上手く水流を操れないでいた。
(くっ……! 流れが強過ぎる……!)
『クロエ! このまま流れに身を任せるんだ! 俺に捕まれ!』
その時、突然クロエの頭の中にバルダーの声が響き、目の前にアイリックを咥えた赤いイルカが現れた。
(バルダー!? イルカに変身して……)
『流れに従えば俺たちは助かる! 何もするな!』
(流れに従えば助かる!? どういう意味ですの!? わからないけれど……あのバルダーが嘘をつくはずがない! バルダーを信じて、このまま流れに身を任せるしかない!)
クロエはイルカに変身したバルダーの背びれを掴んだまま、皆の姿を確認した。
リヒトは子供姿のミーシャを抱えていて、バルダーの声も届いている様子だった。ルーファスはすでに意識を失っている様で、白目をむいて流れていた。
(皆も流れに身を任せている! このままバルダーの言う通りにしていれば、本当に助かるんですの!?)
半信半疑のクロエだったが、バルダーが昔も今も優しい男だという事は知っていた。
(昔…宝物庫に入ったけれど、すぐに衛兵に見つかって何も盗らずに逃げたわたくしを、バルダーはかくまって、更に逃げ道も教えてくれた。バルダーは、今回も助けようとしてくれている。信じるしかありませんわ!)
しかしその時、限界を超えた優里から、重く、暗い魔力を感知した。
(苦し…い……息が……このまま……私……)
(ユーリ様!)
(このまま……死んだら……シュリさんに…もう二度と会えない……)
意識が遠のいていく中、優里の脳裏に浮かんだのは、シュリの事だけだった。
(シュリさん……シュリ……さん……)
(いけない……! ユーリ様の魔力が暴走しそうですわ……!)
毒スキルなのか、はたまた何か別のスキルなのかはわからなかったが、クロエは万が一の事を考え、優里の魔力をコントロールしようとした。
(もし毒スキルが発動すれば、ユーリ様とルーファス以外は死ぬ! それでは、ユーリ様が傷付いてしまう!)
クロエは、採掘場での優里のセリフが心に残っていた。『誰も殺したくない』と言った優里の気持ちを、クロエは必死で守ろうとしていた。
(ユーリ様のスキルで、誰かが死ぬ様な事態には絶対にさせませんわ!)
優里の体が紫色に輝き、その光の粒はクロエと、クロエが掴んでいたイルカ姿のバルダーの事を瞬く間に包み込んだ。
『この光はなん…だ……』
(しまった! このスキル……は……睡魔に……)
紫の光に包まれたクロエたちは、たちまち抗えない程の睡魔に襲われた。
『くそ! 意識……が……。だが、このまま……流れに身を任せて…いれば……』
その時、するりとクロエが手を離した感覚がして、バルダーは慌てて人型に戻り、アイリックを離さぬようにしながらも、優里とクロエをも抱え込んだ。
(絶対に……離さない! 兄上も、ユーリたちも……俺が守る!)
バルダーは3人を離さぬ様に必死に抱え込み、紫色の光に包まれたまま流されていった。
「あれ……」
優里が目を開けると、そこは王宮の廊下の様な場所だった。
(あれ? 私…渦の中に落ちて……それで……)
「ユーリ様」
隣には、いつの間にかクロエがいた。
「クロエ!」
「ユーリ様、ユーリ様の魔力が暴走してしまいそうだったので、咄嗟にあの時のスキルに変換してしまいました。勝手な真似をして申し訳ございません」
「あの時のスキル?」
優里は首を傾げたが、すぐにハッと気が付いた。
「まさか、過去の夢の……」
「はい」
目の前には、廊下に用意された長椅子に座る、オーガの親子の姿があった。
父親らしき男も子供の方も、赤い髪に山吹色の瞳をしていて、頭から一本の角が生えていた。
「あれは……」
その時、優里の後ろから声がした。
「父上……兄上……?」
振り向くと、そこにはバルダーの姿があった。
「バルダー!? どうしてここに!?」
「わ、わからない。気が付いたらここに……。それよりも、あそこにいるのは俺の父上と兄上だ! ふたりともだいぶ若いが……どういう事だ?」
優里も訳がわからず、クロエを見た。クロエは少し考えて、優里たちの方を向いた。
「ユーリ様の魔力を変換する時、わたくしたちはバルダーに抱えられていたので、それで恐らく、バルダーもわたくしの様に、この過去の夢の中へ誘われたのかもしれませんわ」
「過去の夢? それは一体……」
バルダーの質問の途中で、女性の叫び声が廊下に響いた。
「ダメ……! ダメよ!! まだ生まれてきてはダメ……!!」
「王妃様!! これ以上引き延ばすのは無理でございます!!」
「あと…あと少し……月食が終わるまで待って……!!」
その叫び声に、廊下の椅子に座っているバルダーの父親が、組んだ両手を額に当てて目を瞑った。
まだ幼いアイリックはおもちゃで遊んでいたが、辛そうな表情をしている父親の膝にしがみつき、顔を覗き込んだ。
「父上、どこか苦しいのですか?」
父親はそんなアイリックの頭を撫でると、そのまま肩を抱いた。
「苦しんでいるのは、お前の母上の方だ」
その時、部屋の中から赤子の泣き声が響いた。
父親は廊下の窓から外へ目を向け、空を確認した。
夜だった為、空は闇に包まれていたが、まるで人々の不安を煽る様な赤黒い不気味な姿の月が空に浮かび、異様な雰囲気を放っていた。
「月食は……終わっていない……」
そう呟いた父親は、アイリックを見つめた。
その時バンと扉が開いて、侍女らしき女が父親に言った。
「お生まれになりました! 男の子にございます!」
開いた扉からベッドに横たわる母親の姿が見え、アイリックが笑った。
「母上!」
母親へと駆け寄るアイリックの後ろ姿を見ながら、父親は再び呟いた。
「アイリック……これから私たちは、辛い選択を迫られるかもしれない。その時お前は……お前の選ぶ道は……」
父親は軽く首を振ると、アイリックの後ろについて、部屋の中へ入って行った。
「これはまさか……俺が生まれた時の……!?」
バルダーは、信じられない気持ちで目の前の光景を見つめていた。
「その様ですわね……。ですが、あなたがわたくしたちの様に視る側にいるという事は、この過去の夢を見ているのは、恐らく……」
「兄上……」
そう呟いたバルダーの隣から、優里は母親のベッドにしがみつく幼い子を見つめた。
月食の日に王家に生まれたバルダーと、この幼い兄は、今この瞬間から、北の国を取り巻く根強い信条と暗い陰謀に巻き込まれて行く事になる。
月・水・金曜日に更新予定です。




