43 アスタロト
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アイリックの背後からゆっくりと姿を現したその男性は、白い髪に銀色の瞳、肌はビスクドールのように滑らかで、美しく中世的な魅力を放っていた。
(すごく…綺麗な男の人……! でも、この人……)
優里は、未だに種族の判別が出来なかったが、アスタロトと呼ばれたこの男性が放つ禍々しいオーラに、この男性は悪魔だと瞬時に認識した。
「リヒト、この悪魔は知り合いなのか? それに、サルガタナスって……」
ミーシャも、この男性の異様な存在感に警戒を強め、リヒトを見た。
「俺は……煉獄ではサルガタナスと呼ばれている。アスタロト様は……オレの直属の上司だ」
「上司!?」
優里が再びアスタロトに目を向けると、アスタロトも興味深そうに優里を見ていた。
「へえ……あんたも、なかなか悲惨な死に方をしたねぇ~。まぁ、サルガタナスほどじゃないけど」
「え?」
アスタロトの言葉に、優里は一瞬固まった。
(悲惨な死に方って……どうして……)
リヒトは、無遠慮に見つめてくるアスタロトから隠すように、優里の前に立った。
「アスタロト様こそ、ここで何をしているのですか?」
「何って……ちょっと面白そうな人間がいたからさぁ~、イロイロ手伝ってあげてるわけ。これから処刑なんて、なかなか楽しめそうじゃん? ねぇ、アイリック?」
アスタロトはそう言ってアイリックの顔を覗き込んだ。アイリックは黙っていたが、そこへ髭を生やした身なりのいい男性が現れた。
「余計な事をベラベラと喋るな、アスタロト! お前の主はワタシだぞ!」
髭を生やした男性は、そう言ってじろりとアスタロトを見た。
(誰……?)
優里の疑問が顔に出ていたのか、男性は顎を突き出すように優里たちを一瞥すると、フッと鼻で笑った。
「ワタシはこの国の王政を任されている、ハラルド=ベッケンである! 国王陛下暗殺を企てた重罪人及び、その脱獄の幇助を行おうとしたお前たち全員を、今すぐ処刑場へ連れて行く!!」
ハラルドと名乗った男の言葉に、リヒトは瞬間移動の能力を使おうとした。
(この展開はまずい! せめてユーリさんだけでも……)
しかし次の瞬間、アスタロトがリヒトの目の前に潜り込むようにして現れ、リヒトは思わず息をのんだ。
「サルガタナス……あんた、ぼくの邪魔をするつもり……?」
リヒトはごくりと喉を鳴らしたが、小さく息を吸ってから口を開いた。
「悪魔に、裏切りはつきものでは?」
そう言われたアスタロトは、一瞬キョトンとしたが、すぐにクスクス笑い出した。
「うん、そうだねぇ、確かに、悪魔に裏切りはつきものだ。じゃあぼくも、今まで目を瞑ってたコト、穏便に処理しちゃおうかなぁ~。……リオ、とかいったっけ? あんたの大事なヒトの名前……」
リオという名前を出され、リヒトは明らかに動揺した。
「ぼくが何も知らないとでも思ってたの? あんまりぼくを疲れさせないでよね、サルガタナス」
アスタロトは少し低い声でそう言い、リヒトのそばを離れた。リヒトは俯いたままギュッと拳を握り、その場から動くことはなかった。
「では王子、この者らに裁きの鎖を」
ハラルドにそう言われたアイリックは、右手で文字の様なものを宙に描き、優里たちに向かって突き出した。すると、山吹色の光が優里たちに向かって飛んで行き、それは鎖となって次々に両手の自由を奪った。
(この鎖は……!)
「貴様らの魔力は封じた。大人しく我々に従え」
アイリックはそう言って、また冷たい目を優里たちに向けるのだった。
優里たちは、アイリックとハラルドにつれられ地下深くまで続く階段を下りていた。
円柱状の建物の壁に、張り付くように造られた階段はとても狭く、一列になり慎重に歩を進めた。
アスタロトは、真ん中の吹き抜けの部分を大きな黒い翼で悠々と飛びながら、優里たちが逃げ出さないように監視していた。
(ここは……)
バルダーは、この地下深くに何があるのか思い出していた。
階段を下り、辿り着いた先には大きな泉があった。泉というより、床に開いた大きな穴に、人工的に水を溜めているプールの様なものだった。溜められている水はとても澄んでいて綺麗だったが、そのきれいな水を通しても底が見えない程深く、時折渦が巻き起こっては、また凪いで静かになるという事を繰り返していた。
「兄上! この泉は……!」
バルダーはアイリックに何か言おうとしたが、アイリックはじろりとバルダーを睨みつけた。
「黙れ。囚人が余計な口を叩くな」
そして改めて優里たちの方に向き合うと、両手を広げた。
「ここが貴様らの処刑場である!! この泉は、あの伝説のダヴィードの泉!! ダヴィード王子の涙が貴様らの罪を洗い流し、神聖なる死へと導いてくれるであろう!!」
(ダヴィード王子の涙って……さっきミーシャ君が話してくれた、“王子と犬”の!? 本当に存在していたの!? ていうかまさか……私たちを、この泉に……)
「もしかして、ボクたちをこの泉に落とすつもりなのかい? ボク、泳げないんだけど……」
「いや、明らかに今それどころじゃねーだろ。空気読めよ」
ルーファスの言葉にミーシャが突っ込みを入れたが、アイリックは蔑む様にフッと鼻で笑った。
「例え泳げたとしても、この渦の中では無駄な事だ」
泉に目をやると、まるで泉の中に落ちたものを底まで引きずり込むように渦が巻き起こっていて、優里はぞっとした。
(あの渦に巻き込まれたら……私たちは……)
優里には翼があったが、鎖で魔力を抑えられていた為、全く機能しなかった。それは恐らく、同じく翼を持っているクロエやリヒトも同様だった。
「クロエ、アイリックがボクたちを泉に落とす瞬間、彼に咬みつく。ボクが咬めば、アイリックのスキルは無効化され、鎖も解除されるはずだ。キミは水の精霊、この渦を何とかして、ユーリを守ってくれ」
ルーファスはこっそりクロエに囁いた。クロエは頷いて、ふたりはアイリックの隙を伺った。
「では、王子……始めましょう」
ハラルドの言葉に、アイリックは頷いてからバルダーに近付いた。
「罪を洗い流すこの処刑は、私のせめてもの慈悲だ。感謝するがよい」
そして、本人にしか聞こえない程小さな声で続けた。
「バルダー、この後、私に何が起こっても動揺するな。貴様なら、どうするべきかわかるはずだ」
バルダーは驚いてアイリックを見た。
「私は今も昔も、貴様を信じている」
そう言って微笑んだアイリックの胸から、剣の切っ先が現れた。
「兄……」
バルダーも優里たちも、最初は何が起こったかわからなかった。アイリックが血を吐き、バルダーの方へ倒れ込んだ所で、ハラルドがアイリックの背中から剣を突き刺していた事に気が付いた。
「あ……兄上!? 兄上!!」
両手を鎖で繋がれていたバルダーは、それでも必死でアイリックを支えようとした。
ハラルドは、突き刺した剣をアイリックから引き抜いて、付いた血を乱暴に振り払うと、アスタロトに向かって叫んだ。
「アスタロト!! 早くこやつらを泉へぶち込め!! アイリックが絶命すれば鎖が外れ、魔力が使えるようになる!! そうなると厄介だ!!」
アスタロトは気だるそうに返事をして、バルダーが支えているアイリックも一緒に、優里たちを大きなシャボン玉の様なもので覆い泉の上空へと運んだ。
「ハラルド!! 処刑は俺だけのはずだ!! なぜ兄上にこの様な真似を!?」
バルダーの叫びに、ハラルドはニヤリと笑った。
「愚かな兄に、従順で優し過ぎる弟……お前たち兄弟は、まさに“王子と犬”の様だったよ! ワタシの台本通り、見事に踊ってくれた!! 感謝するぞ!!」
ハラルドはそう言って、アスタロトに「やれ」と目で合図をした。
アスタロトはシャボン玉の中の優里とリヒトを見ると、妖艶な笑みを浮かべた。
「ごめんねぇ、そういうコトだから、じゃあね、ばいばーい」
アスタロトがパチンと指を鳴らしたと同時に、シャボン玉が弾け、優里たちは真っ逆さまに渦を巻いている泉へと落ちていった。
「きゃああああああ!!」
「ユーリ様!!」
クロエは必死で優里の手を掴んだ。
渦は瞬く間に優里たちをのみ込み、しばらくして凪いだ状態になったが、誰一人浮かんでくることはなかった。
月・水・金曜日に更新予定です。




